寅さんに逢いたい

2008年10月14日



露天商を見ると、どうしてもフーテンの寅さんを思い出してしまう。
きっと誰の頭の中にも、国民的映画の中で演じる、国民的スターの映像が刷り込まれているからなのだろう。
いつまでも人気が衰えないのは、身の丈で生きる寅さんの姿に誰もが共感し、安心するからだろうか。
そんなわけないじゃん、と思っても、寅さんを取り巻く善意の人々に対して心なごむ我々観客がいる。
実際に寅さんのような身内がいたら途方に暮れてしまうが、この辺りに映画全般の本質がありそうだ。
あくまで寅さんは脚本通りにしゃべり、演出通りに動いていることを誰もが忘れている。
カメラのフレームから外れた場所には、監督を始めとして、大勢のスタッフがいる事実が見事に消し去られている。
だから渥美清は車寅次郎と同化して、現実と虚構の境目が曖昧になる。
これは完成度の高い作品の手柄なのだろうし、渥美清を起用した山田洋次の感覚の鋭さだろう。
山田洋次の作品には、伏流水のように、常に変わらないテーマとスタンスがある。
もう語り尽くされているから多くは書かないが、山田洋次の思いは一貫している。
陽の当らない弱者を思い遣る、登場人物に背伸びをさせない、すべての作品がこの二点に収束している。
一連の健さんの主演作や、名作「たそがれ清兵衛」などを見れば、それは明らかだ。
脇を固める善意の人たちがいるからこそ、寅さんも健さんもスクリ-ンの中で一層輝くのであって、これこそが山田洋次の技であり才能なのだろう。
その才能が、我々日本人の琴線に触れる。
スクリーンの中の寅さんも健さんも、結局は山田洋次の感性の産物であることは間違いない。

渥美清の私生活は、映画のキャラクターとはまったく正反対だったという。
彼の遺した俳句がある。


コスモスひょろりふたおやもういない 風天 (渥美清)

土筆これからどうするひとりぽつんと 同

ひぐらしは坊さんの生まれかわりか 同

蒼き月案内子に命やどすよう 同

天皇が好きで死んだバーちゃん字が読めず 同

ようだい悪くなり苺まくらもと 同



結核で片肺を失くしたことが関係しているかはわからないが、晩年から始めた作句には死生観が色濃く滲んでいる。
ここに車寅次郎はいない。
いるのは渥美清だけだ。


山吹ききいろ ひまわりきいろ たくわんきいろ 生きる楽しさ 同


これなどは寅さんが旅の途中で詠みそうな句だ。


さくら幸せにナッテオクレヨ寅次郎 同


記念すべき俳句第一作らしい。
季語は当然、「さくら」だろう。
昭和を代表する、本当にいい役者だった。
合掌。

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