奈良の絵日記 室生寺

2010年9月15日



前回の「奈良の絵日記 斑鳩」からの続きです。



レンタカーを借りて、室生寺へ向かうことにした。
コンパクトな1000㏄か1500㏄でいいのに、二時間待たなければ戻って来ないという。
今は1800㏄のカローラしかないと、関西弁で力説するので、言う通りにした。
明日は仕事があるんやから、こっちかて、とにかく朝から慌ただしいんやで。

R169を南下する。
「わ」ナンバーとはいえ、れっきとした「奈良ナンバー」だ。
これで東京のナンバーに意地悪する奴らも、気に留めないでくれるだろう。
ハンドル片手に、コンビニで買った玉子サンドを頬張る。

天理を抜けて右側を注意する。
数年前のことだが、「まほろば」という食事処で、生れて初めて「どて焼き」なるものを食べた店を見つけたい。
時間も早いし、もちろん食事もしないけれど、奈良市内から、箸墓や明日香への行き帰りには、いつもその店を贔屓にしていた。
味噌仕立ての「どて焼き」は、要するにホルモンだった。
感激するほどのものではなかった。

景行天皇陵近くに「大和まほろば」という店を見つけたが、覚えている外観が違うし、場所ももっと先だったように記憶している。
結局、箸墓を過ぎても、懐かしの「まほろば」は見つけられなかった。

いつも外周をぐるりと一回りし、古代王権や邪馬台国に想いを馳せるだけなので、箸墓も今回はパス。
横目で見ただけで通過した。
ナビはバカだから、しばらく直進しろと指図するが、途中からJRの三輪駅方向へ左折し、県道を近鉄の大和朝倉までショートカットする。
東京もんをナメんなよ!

ここから初瀬街道のR165を東進する。
長谷寺も山部赤人の墓も無視、室生寺に着いた。
ここは十年以上もご無沙汰していたお寺だ。
涼風が頬を撫でて通り過ぎる。

太鼓橋

室生川を渡る。
朱塗りの太鼓橋も健在。

元々は奈良末期の修験道場から始まったらしいが、開祖の役小角は実在の修験者。
さかのぼって、飛鳥時代には、大織冠の藤原鎌足とも関係があったという。
関係といっても、現代でイメージする不純な関係とは関係ない。
日本語、変か?
それでも、よくもまあ、こんな山深い場所にと感心する。
こちらも法隆寺と同様、桂昌院とお犬様母子の庇護が篤かった。

室生寺

緑が濃い。
紅葉の頃は見事だろう。

仁王門

阿吽の金剛力士像は、赤鬼、青鬼に見える。ちょっとお茶目っぽい。まずは弥勒堂まで石段を上る。このお堂の本尊は重文の弥勒菩薩。脇壇には国宝の釈迦如来と役行者の像がある。続いて金堂へ。金堂内陣には、中尊の釈迦如来像を中心に、薬師如来と地蔵菩薩、そして文殊菩薩と十一面観音が鎮座している。前に立ちはだかる十二神将も見事のひと言に尽きる。どれも素晴しい仏様たちだ。秋草や生きるよすがの釈迦三尊

失敗作で~す

そして修復成った五重塔。
遠近感が出ずに失敗。

室生寺 五重塔

ここまで来て、伽藍のすべてが桧皮葺きであることに気付いた。
山間のこの環境では湿度が高く、手入れも大変だろう。
室生寺滞在三時間、また奥の院までは行けなかった。
こうしてわざと課題を残し、再訪の口実にする。

駐車場まで戻る途中で、うどんを食べた。
まだ風邪が完治していないので、味が分からない。
よって、味の評価が出来ない。
さて、美味しかったのか、そうでもなかったのか…。
食欲が快復したので、それだけで良しとしよう。
行間を読む人なら、
「ああ、きっとまずかったんだろうな」
と思うだろう。
本当に、味は分からなかった。
汁は関西風。
真っ黒な関東の汁が恋しい。

いよいよ帰路である。
ここでちょっと失敗したことに気付いた。
実は、荷物を宿に預けたままなのだ。
そうでなければ、最寄りの営業所に車を乗り捨てたり、このまま三重方面へ走ることも可能だった。
仕方なく、来た道を引き返した。

奈良まで戻ったのは夕方の五時だった。

京都に着くと駅近くのビジネスホテルに予約を入れ、荷物をコインロッカーに詰め、着換えだけ持ってチェックインした。
疲れが溜まっているのが自覚できてしまう。
これも歳のせいかと情けないが、今夜はゆっくり休んで、明日、東京に戻ることにした。

おしまいです。
お疲れさまでした。



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