ひとり ~瀬戸内寂聴~

2018年の8月、寂庵にて「NHK俳句増刊号」のインタビューの模様が放映された。
録画してあるので、忠実に文字に起こす。

NHK俳句増刊号「ひとり~瀬戸内寂聴の俳句と人生~」

(ナレーションと聞き手、桜井洋子さん。途中から黒田杏子さんが加わります)


作家、瀬戸内寂聴、96歳。
昨年、初めての句集「ひとり」を自費出版しました。
「ひとり」は第6回星野立子賞を受賞。
恋、出家、生と死、そこには寂聴さんの波乱の人生が綴られています。



 春逝くや
 鳥もけものも
 さぶしかろ   寂聴




俳人、瀬戸内寂聴の心の世界に迫ります。



京都市右京区嵯峨野にある曼陀羅山 寂庵。
寂聴さんが開いた寺院です。
人気作家、瀬戸内晴美が得度し瀬戸内寂聴となったのは、昭和48年、51歳の時のことでした。



桜) こんにちは、よろしくお願い致します、有難うございます


七月のある日、寂庵を訪ねました。


桜) この句集の「ひとり」、拝読しました

寂) 初めての句集です

桜) そうですよね、でも賞もお取りになって

寂) それは本当にびっくりしました
小説だったら、自信があるって言えるんですよね
だから人が悪口言っても、これはね、いいものだって言えるんですよ
だけど俳句っていうのはね、まったく自信がないんですよ
だから人に見せるようなものじゃないと思ってましたからね
まだね、頂いたんだけどね、頂いた気がしない…


桜) そうですか

寂) 恥ずかしい

桜) そもそも、どうしてその句集を作ろうとされたんですか

寂) それはね、入退院を繰り返したんですね
その時に、これだったら早く死んだほうがましだなと思ったんです
なんかね、鬱になるじゃないですか、滅入って来るでしょ
その鬱になるのがとても嫌でね
それで何とかして気持ちを元気にしようと
それは自分の一番好きなことをしたらいいんですよね
一番好きなことはわたくし小説を書くことでしょ
それができない、その気力がない
それでもうどうしたらいいかなって思ってね、色々考えてたんです
そしたら、俳句だったら短いからエネルギーが続くかもしれないと思ったんですよ
じゃあ俳句を作って句集でもね、ひとつ持てばどうかなと思ったら
そう思っただけでも急に、こう生き生きしてきたんですよ
それで、もうこれだと思ってね


桜) 今日はこの第一句集の中からですね
一句一句読みながら、何を考えて来られたのか伺って行きたいと思います
よろしくお願い致します




 むかしむかし
 みそかごとあり
 さくらもち




桜) 密か事、という言葉が気になりますね
どんな密か事なんでしょう


寂) それはね、密か事ばっかりなんです (笑)
本当はね、一番好きなんですよ
だけどね、どれが好きですかって言ったときにね、これ出すわけにもちょっと (笑)
他の句を選びますけどね、一番好きなんです
結局わたしはね51歳で出家しましたでしょ
だから出家した後は、もうそういうことは一切、密か事ないんですよ、仏様に誓ってないんですね
だけどそれまで行いが悪かったから
世の中は、いまもそんなことばっかりしていると思われて
でもね、心で誰かを想うってことは
懐かしく想うとかね、逢いたいと想うとかね
そういうのは、わたくしは、どうも死ぬまであるんじゃないかと思います
いま、だって96ですからね、96でね
そういう気持ちか、まったくないかって言うと、あるんですよね


桜) さくらもちって言う、おいしそうなところに
ふっとこうね、それがまたよろしいですよね


寂) ほのかに想う、その気持ちはあると思います
それはあったほうが幸せじゃないですか


桜) 差し支えなければどういう方だったのか
お名前をちょっと教えて頂くこともできるんですか


寂) それはちょっとね、できない…
ご存知の方もあれば、みなさんがまったく知らない人も、一人や二人じゃないですから
 (笑)


若い男性との出奔や妻子ある男性との同棲。
奔放な恋の蔭に隠された葛藤も句にしました。



 骨片を
 盗みし夢や
 もがり笛




寂) その好きな人がね、奥さんのある人だったりするでしょ
そうすると亡くなった時に、お参り行かれないですよね
それで、骨が欲しいじゃないですか
だけど骨を貰うわけにいかない
そうするとね、そういうこと全部知ってる、男の人ですけどね
お葬式に行って、それでその焼くところまで行ってね
骨を盗んで来てくれたんですよ
実際にわたくしにくださったの、すぐわかってね
ああ、何よりのもの有難うって言ったんです
そんなことがありましたからね
だけどね、わたし身の上相談よく受けるでしょ
好きな人の骨っていうのはみんな欲しがるんです
その骨をどうしたらいいかって、よく相談を受けるの
わたくしはね、カルシウムだから食べちゃいなさいって言うんですよ
食べた人もずいぶんいるの


桜) それは、その後どうされたんですか

寂) ちいちゃなきれいな壺があって、それに入れてね、傍にこう置いて眺めて…

桜) いまもどこかに置いてあるんですか

寂) そうそうそう、仕事場に

桜) いつも、ふっとした時に想いはその人のところに

寂) それはね、亡くなった人のことを朝から晩まで
ずっと想ってるってことはないんですよ
そんなこと想ってられませんよ、もう大体忘れてますよ
だけどそれは想いの通すことのできない人だったからね
だから結局別れてます
別れってのは必ず色々なことや嫌なことも出て来ますよね
すべての想いがいいわけじゃないのね
でもその人からね、色々なものを貰っているでしょ、自分が成長するものをね
でも恩人ですわね結局、だから大切に想っている
まあ、ごめんなさいって言って出家したんだからね
赦されているような気がしてるんですけど、ちょっと図々しいですわね
赦されることではないけれども
そういうことをしてしまったってことは認めなきゃしょうがないでしょ




 子を捨てし
 われに母の日
 喪のごとく




寂聴さんは25歳の時、夫と幼い一人娘を残し家を出ました。
年下の男性との愛を貫き、小説家として生きて行く決心をしてのことだったと言います。


寂) 四つの時にわたしは家を出たんです
お母さん行くの嫌ってことが言えない
言葉の言えない子だったんです
生まれたときから、北京から引き揚げたりして、転々としてますから言葉が遅かったんです
だからお母さん行くの嫌って言ってくれたらいいんですけどそれがまだ言えないのね
そんな子を置いて出てるんですわたしは
ずいぶん悪い親なんですよ
それを認めてる自分がね
だから、その子はいま70過ぎてますわね


桜) でもいまお付き合いはもうね、再会してらっしゃいますよね

寂) 最近はもうね、何気なく付き合ってます

桜) そうしますと、悔いってところではいかがですか
まだやっぱりずっとそれはもう…


寂) それはありますけど
私のお誕生日とか、それから出家した日とか、母の日とかね
本当にたくさんの方からプレゼント頂くんですよ
だけどその彼女から何にも贈ってくれない、当たり前 (笑)
それで、家にも手伝ってくれる女の子がいるでしょ
その子たちに、わたし恥しいのよね
だから彼女が何もくれないことが、何か恥ずかしいのよ
それは自分が悪いことしてるからくれないんだからね
だからそれは、みんなが楽しい思いをするときにはね
喪のような日なんですよ
嫌でも思い出さなきゃならない、あ~あ~と思ってね
そういうことがあるんです




 二河白道(にがびやくどう)
 駈け抜け往けば
 彼岸なり





二河白道とは、阿弥陀の浄土へと続く一筋の道。
水の川と火の川に挟まれた道は細く、転落すれば水に溺れ、火に焼かれます。


寂) なかなか歩けないのね
そこを走って行けば向こうは彼岸なんですよ
あの世だからね、そこを振り向かないできゅーっと走っていけばいいんですよ


桜) スピード感がすごくね、駆け抜けるというのと、行くというのと、動詞が二つ重なってますよね

寂) 最期はそうしたいと思ってるんですけど、どうですか
腰が曲がって走れないかも知れない




 生ぜしも
 死するもひとり
 柚子湯かな



この句は、寂聴さんが好きな一遍上人の言葉から生まれました


 生ぜしもひとりなり
 死するもひとりなり
 されば人とともに住すれども
 ひとりなり
 添いはつべき人
 なきゆえなり



寂) だから家庭を持って、子供をたくさん産んで孫もいてね
賑やかに暮らしても、人間は一人だってことね
一遍上人はさすがにすごいことおっしゃいます


桜) 一人なんだって自覚ですね、それはなかなかそうは思っても何だか自分の中で落ちない部分もあると思うんです
ご自身が、いややっぱり一人なんだ、というふうにご自分の中に根っ子として持たれたのはいつ頃なんでしょうか


寂) わたくしは一人っていうのは、割合早くから覚悟してますね
それから、出家してからまったく一人です
一人なんだ、なんて力んでるわけじゃない (笑)
何となく、ああ一人だからと思ってね
何か辛いこととか気に入らないことがあっても
どうせ一人なんだからと思えばね諦められる
人のことを当てにすると、好転するんじゃないのかとかね
もっといいことがあるんじゃないのかと思うじゃないですか
でも一人と思えば、何かいいことがあったりすればお恵みだと思うでしょ
特別に下さったと思えるから
一人ですよ




 柚子湯して
 逝きたるひとの
 みなやさし




 はるさめか
 なみだかあてな
 にじみをり




 鳥渡る
 辛い手紙を
 読みさして




 神の留守
 森羅万象
 透きとほり




 火葬炉の
 鉄扉の奥に
 虎落笛





寂聴さんが俳句を作り始めたのは60代前半のことでした。
そのきっかけとなったのが、俳人の黒田杏子さん。
寂聴さんの母校、東京女子大学の後輩にあたります。


桜) 二人の出会いはどういうことだったんでしょう

黒) わたしはね、東京女子大の後輩なんですが、ある会社に勤めてました
で、大学のわたしのゼミの先生が、東京女子大の中で、寂聴さんを褒める人、よくないという人、いろいろいるけれど、あなた調べて来てくれって言われて、それでわたしが「会社の仕事じゃりません」と言ってお会いしました
その時、先生が得度して間もないです、53、4
わたし16歳下ですから、30代でした


桜) その時のことは覚えてらっしゃいますか

寂) 全部覚えてます
東京女子大の後輩だってそれだけでね
上がんなさい上がんなさいって言って座敷に上げてお話したんです


黒) 離婚の相談ですか、っておっしゃったんです
違いますって言って


桜) そしてその後ですね、ここで句会を今度は開かれるようになるんですね

寂) ふっとした時にね、実は女子大の時から俳句をしてるって
なんでそれを早く言わないのよって言ったんです
じゃ俳句してるなら、句会、寂庵でしましょうってことになって、それで人を集めたんです
だから誰でも会う人、俳句にいらっしゃいいらっしゃいって集めて
何でもいいからとにかく人数がいると思ったのね



昭和60年、寂聴さんの声掛けで「あんず句会」が始まりました
宗匠を務めたのは黒田さんです
お堂に経机を並べ、句会の会場にしました


黒) でも先生がかき集めた人ばかりですから、お堂に集まった人の中には有名な人もいたんですけどね
永六輔さんと寂聴さんの二人が急にわたしの応援団ということになりまして、俳壇の中ではわたしが非常に名前が知られたんですが、妬んだ人もいました


寂) そんなこと、もうね存在はちゃんとあったんです

黒) いやいや、ないんですよ
でもね、ともかく先生に言われました
あなたはね、月給貰ってると
餌付けされてる人間に本当のものは書けないよと言われたんですね
はい、わかりましたって言ったんです


寂) そんなこと言った覚えないんですよ

黒) 全部覚えないんですよ

桜) そういう黒田さんに伺います
改めて寂聴さんの俳句、句集の魅力というとどういうことになりますか


黒) ともかく、わたしが死んだらあちこちに書き溜めてある句をまとめて
一周忌にお配りものにしてください
というふうにおっしゃったんですよ
ですけど死なない間にまとめちゃって
寂聴さんの俳句は寂聴さんしか書けないし
一句一句が全部、例えば源氏の絵巻、一遍上人の絵巻なんですよ
だからわたしはこの句集は、瀬戸内寂聴という作家として
社会的なことも含めて、この世に抗って生きて来た小柄な女性の人生の絵巻であると
で、句集を出す前はちょっと鬱病的になったとか、事実そうだったと思いますけども
句集を出して自分を励まそうって思ったこと自体がオリジナルな考え方で
自分で一人っていうんだから誰にも頼らないで、自分で自分を励ます力を持っているんですよね
先生は人の十倍律儀で真面目で働き者です
だけど先生に他の人がないものは無頼ということです
最初の句が




 紅葉燃ゆ
 旅立つ朝の
 空(くう)や寂




黒) 旅立つ朝っていうのは、得度してこの世から彼岸に旅立った
ものすごく髪の毛多かったんですよ
その人がこういう頭になっちゃったわけですね
そこで尼さんとして暮らして、静かに暮らす人もいるけど
その後、激烈に仕事したわけですね、いろいろと
無頼精神がなければ立っていけない


桜) 無頼っておっしゃいました
そのあたりはいかがですか


寂) その通りです
さすがによく見てらっしゃると思って
面と向かって、この人無頼だなんて (笑)




 御山(おんやま)の
 ひとりに深き
 花の闇




岩手県の山中にある天台寺でこの句は作られました。
20年近く天台寺の住職を務めた寂聴さん。
毎月京都から通い、泊りがけで法話を行いました。

数千人もの聴衆が帰れば一人。
桜の夜に生まれた一句を、翌朝、黒田さんに差し出しました。


寂) この句はいい句です (笑)
よくできてそう思います
わたしの句としてはね


黒) この御山っていうのは天台寺のことで
東北一帯の人が御山と呼んで
戦争なんか行く時は、無事帰ってくれるようにお参りに行く山ですね
それでそこに小さいお堂がある
そこに夜はたった一人なんですよ


寂) 夜中にいるでしょ
そうするとね、戸を立てているその戸がバタバタ音がするんですよ
それはね、オオカミとかキツネとかクマとか
何か来て当たってるんですよ
だから、そいういところですから怖いんですよ
じーっとしていると大体帰りますからね
ちょっと命がけ


黒) 花の闇っていうのは俳句を作っている人なら誰でも知ってる季語です
花が咲き満ちている闇です
その闇が膨大な闇なんですよ
泥棒が来たら強盗が来たらどうするんですかって
茶筒に一万円札をぎっしり詰めて二つ枕元に置いてあるから
これ上げれば帰ると思うわって平気なんですね
で、わたしは豪胆というか何というか
御山のひとりに深き花の闇って
一語一字どこにも無駄がなくて、全部に気が入っている
それはその生活をして来たから


桜) 俳句で人生を締めくくりたいと、そういうことをおっしゃってます?

黒) そうですよ、俳句はいいじゃない
小説は書いてらんないけど俳句は最期まで
息を引き取るまで書けるからありがたいわっておっしゃってました


桜) おっしゃったんですか?

寂) そう

黒) 寝たきりになってもね、呟けば書き取ってもらえれば
それが辞世の句になるから頑張るって


寂) 辞世の句ってのを考えてるんですよね

黒) でね、辞世の句ではね、絶対誰にも負けないと思っているわけだから
まだ死ねないんですね



人気作家として長年、読者のために小説を書いてきた寂聴さん。
闘病を経て、初めて自分自身のために書こうと思い立ちました。それが俳句だったのです。

寂) 人生の最期にね、こんなね、素晴らしいおもちゃを頂いて
だからね、とてもわたしは楽しんでるんですよ
だけど俳句を、わたしが小説を書くようにね
俳句に命を懸けて人がいっぱいいるじゃないですか
そういう人から見ると、わたしが楽しいから
おもちゃみたいに楽しんでるなんて言うと腹が立つでしょうね、きっと
怒っている人がずいぶんいると思うんです
だから言葉を慎まなきゃいけないと思うんです


桜) まだまだこれだけお元気でいらっしゃいますけど、どんな俳句を作って行きたいと…

寂) まあ、死ぬまでにもう一冊と思っているんですけど

桜) その句集にはどんな俳句が…

寂) 死ぬ前だから、これよりは少しマシになってるんじゃないですか



 たどりきて
 終の棲や
 嵯峨の春









星野立子賞の選者には黒田杏子もいらっしゃったが、星野椿さんの選評は温かい。

過ぎ来し九十五年の人生が十七音になって詠まれた時、慟哭にも似た感動を皆が共有したのであった。躍り出る春水の如く温かく柔らかく、そして人々を包み込んでゆく魅力があった。








小さき破戒ゆるされてゐる柚子湯かな 寂聴


寂庵の男雛は黒き袍を召し


氷柱燦爛(さんらん)訪ふ人もなき草の庵


秋時雨烏帽子に似たる墓幽か


ひと言に傷つけられしからすうり


仮の世の修羅書きすすむ霜夜かな


雪清浄奥嵯峨の山眠りけり


小春なり廓は黄泉の町にして


雛の間に集ひし人のみな逝ける


独りとはかくもすがしき雪こんこん


寂庵に誰のひとすぢ木の葉髪


生かされて今あふ幸や石蕗の花


春逝きてさてもひとりとなりにけり


湯豆腐や天変地異は鍋の外


天地にいのちはひとつ灌仏会


おもひ出せぬ夢もどかしく蕗の薹


人に逢ひ人と別れて九十五歳


花おぼろ第二の性を遺し逝く


初恋も海ほほづきの音も幽か


ぼうたんのうたげはをんなばかりなり


落飾ののち茫茫と雛飾る


もろ乳にほたる放たれし夜も杳(くら)く


星ほどの小さき椿に囁かれ


鰭酒や鬼籍となりしひとのこと


雲水の花野ふみゆく嵯峨野かな


ひとり居の尼のうなじや虫しぐれ


ほたる抱くほたるぶくろのその薄さ






合掌

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