残照

山と町との往復時に、遠まわりしてこの風景を眺めることがある。
残照を人生に重ねて見入ったり、瞑想で心を無にしたり…。

なんちゃって瞑想だから、座禅修行の初歩のまた初歩程度の行である。

しかし耳を研ぎ澄ませば、風に踊る草たちのさんざめく声が聴こえ、はたまた麓から人の暮らしの音がして、またそれが雑念や邪念になる。

生まれてから喰って寝てをずっと繰り返し、ただそれだけのために生きていたことを恥じる瞬間もあり、安易に流され続け、これもまた我が人生の蹉跌だった。


山里に
ひとりながめて
思ふかな
世にすむ人の
心づよさを



新古今に採られた慈円のこの歌は、諦念や羨望が混在していて琴線が共鳴する。
生き馬の目を抜くことばかり考える人たちが溢れ、何とも生き辛い世の中である。
もっともっと、したたかに生きなければ社会や人生に負けて窒息しそうだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?