いつも悩む奈良の宿


2017年9月4日




奈良を訪れたのは七年振りくらいと記憶しているが、たった七年では、南都は何も変わっていない。

変わったのは自分が老いたことくらいで、千三百年の歴史の重層ばかりが沁みる。

以前はスケッチや作句が目的で、それなりに満足感を得た数日だったけれど、今回は奈良の空気を感じに来た。

一番に行きたいのは法隆寺だが、死期が迫ったら、しみじみ斑鳩の里を逍遥したいので、それまでは自重しようと決めている。

畳か病院のベッドか路上か、どこで息絶えるかわからないながら、いまわの際に鮮明な記憶が甦るとしたら、それはどうしても法隆寺、法輪寺、法起寺、藤の木古墳辺りでありたい。

それでも奈良を再訪して、絵はがきのようなアングルで猿沢の池越しに望む興福寺の五重塔に接すると、南都に来た実感が湧くから、私は模範的な観光者なのだろう。

そして問題はどこに投宿するか、である。
有名な日吉館はすでになく、奈良へ泊まる時は、宿やホテルも限られて来る。

普段は、ほとんどお隣のサンルートかホテルフジタ奈良(東大寺目当てなら奈良倶楽部)で、睡眠の質や食事の充実度、ロケーションなど考慮しないのだが、この歳になり、おまけに二人旅なので、ゆっくり静養しようと考えた。

そしてずいぶんご無沙汰の、奈良といえば誰もが真っ先に思い浮かべるのが、名前を記すまでもないこのホテルである。

四季亭、飛鳥莊、青葉茶屋なども選択肢ではあるが、貧乏人の宿泊は宿に申し訳ない、との思いがある。

旅の醍醐味は、非日常を体感することに尽きると考えているので、宿の選択も重要である。

折り上げ格天井が格式の高さの証しであって、貧乏人はそれだけで自分の格も上がったように錯覚するから気をつけなければいけない。

以前、親に連れられて泊まったことがあるが、自分のお金でこのホテルの本館に泊まれるまでになった20代には、いささか感慨深いものがあった。

和洋折衷の造りのホテルということで、幼い当時は箱根の富士屋ホテルや日光金谷ホテルと混同していたが、そんな錯覚も今となっては懐かしい。

しかし、虚栄心を買っているような気もして、女性がブランド品や宝石などに目を奪われてしまうのと、いったいどこが違うのかわからなくなる。

高級外車を乗り回す趣味もなく、高額の腕時計やスーツなどにも関心がなく、かといって皇族や著名人なども宿泊するホテルを利用することで、自分のステータスが上がると錯覚するほど阿呆でも単純でもない。

一般的には世間から軽蔑される薄っぺらい御仁に限って、自分の頭が悪いとは思っていないものだ。
だから町中でスーパーカーを空吹かしして、己の愚かさを猛アピールするのだ。

それよりも、他人様に迷惑をかけないささやかな虚栄心を、このような場所で発散させるのが分相応というものではないか。

物が増えるよりはマシで、思い出だけを残すことが賢明。
死期が迫ったら、斑鳩の里を巡りたいと切望するのと同じ感覚だ。

その思い出だって我々二人だけが独占するものであり、ブランド品や宝石などのように、誰かに譲渡することは不可能である。

ホテルのスタッフの対応は慇懃ですこぶる清々しいものだが、内心でどう思われているかまでは考えると怖い。
これが小市民の真実である。

この数日、目覚めると、ここはどこだ? と一瞬戸惑い、ああ、旅してる途中だったんだと納得して安堵する朝が続いている。

旅行中でも見る夢は至って現実的で生活感に満ち、時間に追い立てられたり、彼岸の人と生きているのが当然の如くに会話をしている。

夢は本人と談合せず、選択の余地のないストーリーによって進行してしまうのでたちが悪い。
夢で良かったとか悪かったとかの反復は眠りが浅いからで、根性の悪いレム睡眠の仕業と諦めるしかない。

チェックインしてすぐに汗を流し、ベッドで10分ほどウトウトしたら思いのほか寝心地が良く、気力のようなものが甦った。

旅はやっと中盤に差し掛かったところで、子供じゃないんだから里心がついては困る。

しかし突然、昔はエレベーターなんてあったか? と微妙な感覚も芽生えた。
定宿ではないから、落ち着かない部分もある。

以前泊まった部屋のバスタブは猫足だったか、などの記憶もなく、やはり風呂は大きい方がいいな、などと思った。

ぼんやり、昨夜の和室の布団も檜風呂も良かったなと、京都の夜を懐かしむ気持ちもある。
でも、パークサイドの静かな環境で安眠熟睡できれば、それで満足しよう。

ドレスコードなどはないが、カジュアルのみすぼらしい服の夫婦でこのメインダイニングのフレンチを食べるには緊張を強いられた。

近鉄駅前周辺や東向商店街付近を散策し、とろろうどんと柿の葉寿司のセットで夕食とした方が賢明だったかとも考えたが、美味しいコース料理だったので、充分に満足した。

食後に元興寺極楽坊まで夜の散歩をしていたら、どこかで鐘の音が聞えた。

安物の腕時計を見ると午後8時だった。
ならば東大寺の鐘だ。
今夜は良く眠れそうな気がした。

明日の朝食は茶がゆ定食を頼んだ。
「定食」というところが気に入った。

苦手な奈良漬も出るのだろうか。
洋定食でオムレツのチョイスもあったが、好き嫌いせず、出された食事はありがたく頂戴しよう。

これも和洋折衷というべきで、あんぱん、肉じゃが、カツ丼、オムライスだって和洋折衷食なんだからね。
他の宿への移動も面倒なので、ここで二泊する。

続きます。



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