人間としての尊厳を護りたい

2005年11月28日


昼間の町中でのこと。
その場所には不似合いな、上品な仕草と着こなしの老女から声を掛けられました。

『少々お尋ねいたしますが、わたくし何処へ行けばいいのかわからなくなりまして…』

以前にも同じような経験があり、瞬時に直感。
手を引いて近くの交番へ連れて行きました。
穏やかな眼差しと、丁寧なお辞儀が印象的な方でした。

他人は「ボケ」と一蹴し、身内には過酷な日々ですが、今は世間の約束事や常識から解き放たれた、謂わば選ばれた人たちなのです。
本当の幸せ不幸せとはいったい何でしょう。
空を見上げると、何故か空が滲みます。



先日、悲しい報道があった。
85歳の夫が80歳の認知症の妻を殺害したという事件だった。
夫は末期の大腸ガンで、残される妻の行く末を悲観しての行動だったらしい。
ご近所の人のインタビューが流れたが、とても仲の良い老夫婦だったという。
行政はいったい何をしていたのかと腹立たしい。
ぜひとも裁判所の寛大な判断を望みたい。

そして、昨年1月に京都で起こった、母親を実の息子が殺めた事件の判決が半年後の7月に地裁で出た。
母親も同意の上のことだった。
母と心中するつもりだった息子が死に切れず、承諾殺人(嘱託殺人とは違う)ということになってしまった。
求刑三年(三年以下の場合のみ、判決で執行猶予が付けることが可能)を出した検察と、その意を酌んだ裁判所。
両者の温情は大いに評価したい。
ただ、悲惨な結末へと流されるしかなかった母子の、絆の強さ故の哀れが心に痛い。
(YouTubeにあります、各自でお探しください)


自立支援法改悪から、在宅介護せざるを得なくなったケースは多い。
強硬採決までして変えた法律だった。
元凶は現場の実態を把握せずに法改正をおこなった立法府の温もりの無さだろう。
担当地域の福祉行政もしっかりして欲しい。

この日、老女を交番へ連れて行った後で、「智恵子抄」を思い出していた。
光太郎が、精神を解き放った妻智恵子を九十九里の海岸に遊ばせた折の想いは哀切極まりない。

人間商売さらりとやめて、
もう天然の向うへ行ってしまつた智恵子の
うしろ姿がぽつんと見える。
二丁も離れた防風林の夕日の中で
松の花粉をあびながら私はいつまでも立ち尽す。

<角川文庫「校本智恵子抄」から「千鳥と遊ぶ智恵子」より抜粋>


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