初富士をさへぎるもののなかりけり

2018年1月2日



宿を8時半に出れば御殿場までおよそ2時間。
それでも10時台には上り線20キロの渋滞予想が出ている。

カレンダーの並びで、今年のUターンラッシュのピークは今日2日らしい。
年に一度のことだからと腹を括ったつもりでも、大渋滞はつらい。

朝食後にコーヒーを飲み、ぐずぐずしている間に時間は過ぎ、妻と義母を急かせて出発は8時45分になった。

最短距離で御殿場インターを目指すと、ちらほら富士山が見えて来る。
冠雪が少なく、この時期には珍しい光景だ。


ちよいちよい富士がのぞいてまつしろ 山頭火


箱根スカイラインから県道401号線。
ナビは「この先凍結のためチェーン規制」と言っているが、そのような表示もなく、料金所でも何も言われなかった。

対向車もタイヤはノーマル。
塩カリが大量に撒かれてあったものの、例年の方が凍結個所は多かった。

初富士をさへぎるもののなかりけり 片岡奈王


普遍的な印象を単純に詠む潔さ。
単純が故に、作者の感動が直截に伝わる。
同じ景を目の前にしているからこその共感である。

片岡奈王はかなりマイナーな俳人で、昭和初期のホトトギスへの投句によって私はその名前を知ったのだが、しつこく検索すると素晴らしい俳句に出合える。

展望台にて小休止。

手前にある御殿場市街は冬木立に隠れて見えないが、平和で温和な眺望の中に、トラ刈りの自衛隊の演習場が見える。


初富士や「戦前」となること勿れ 山の人


左奥にはたっぷり雪を載せた南アルプスが望めた。
これだけ大気が澄んでいれば、富士山頂からは北アの山並みまでもはっきり見えるだろう。

「もはや戦後ではない」と言い始めたのは昭和30年代前半だった。
同時に「いまは戦前かもしれぬ」の表現も、俳句や短歌に散見されるようになった時期である。

富士山は密かにマグマを溜めているのだろうか。
フィリピン海プレートに押され、まだ高みを目指すのだろうか。

引きでの俯瞰。
左は愛鷹山。

B-29は富士山を目標に日本を目指し、そこから有視界飛行で関東の各都市へ向かったという。

これほど目立つ目標物はないが、シンメトリーに裾を広げた姿は、これこそ独立峰の黄金比ではないかと思うほど美しい。


初富士のかなしきまでに遠きかな 山口青邨

足柄SAにて初富士の見納め。

予想通り、すでに渋滞は始まっていて、25キロの表示が出ている。

御殿場~大井松田では事故渋滞5キロのアナウンスもあり、通過すると4台の玉突き事故。
すべて路肩に停まっているものの、典型的な見物渋滞だった。

去年も事故渋滞につかまったし、前日はこの区間で死亡事故のニュースも見た曰くつきの区間だ。
通り過ぎて30分もすると事故処理は完了したようだが、12キロまで渋滞が延びた由。

首都高も含め、以後、想像していたよりも若干スムーズに走れ、無事に妻の実家へ到着。

箱根駅伝では母校がまた優勝した。
あまり強過ぎると、アンチヒーローになってしまうので、喜びもそこそこ。
でも、今年もよく頑張った。


帰路は日常へ戻るための助走路のようなもの。


正月の二日ふたつとなまけけり 一茶


怠け癖がついてしまったか否かは、明日になればわかる。

おせちも食傷した。
正月気分は本日にて終了!

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