喫茶去

2008年4月19日



時間があるとつい立ち寄ってしまうのが鎌倉の報国寺。
以前この近くで一年ほど暮らしていたことがあり、浄妙寺、杉本寺、瑞泉寺などと共に慣れ親しんだ寺でもある。
ここは「鎌倉の竹寺」の愛称で有名な臨済宗の寺。
竹林を抜けると休憩所があり、そこでお茶を頂ける。
それは竹林を露地に見立てて茶室に歩を進めるようでもあり、一歩ずつ俗世から遠ざかるステップのようにも感じられる異界への入口でもある。

趙州禅師は修行僧との禅問答にも似たやり取りの中で、突き放すように「喫茶去」の言葉のみを示したが、謂わばそれは黙照禅とは違う看話禅の本質なのだろう。
禅と茶の精神は一体であり、貴賤や貧富、人品の区別なく茶を振る舞う心である。
と、難しく捉えて茶を解釈しても意味のないことで、竹林を渡る柔らかな風を竹の葉の揺れに感じながら、久し振りに穏やかな時を過ごした。

世阿弥や利休以後、謡と茶は武士が武士たる精神の支えであり、欠くべからざる素養、そして教養になった。
書も同様。
文武両道たる所以である。
平成の今でも自らを武士や侍と名乗る輩は多いが、彼らは果たして謡や能、茶をたしなみ、その精神の本質を理解しているのだろうかと考える。
日本独自の文化を創造、発展、継承、熟成、昇華させたこれらの伝統は、いつの間にか文人の占有するものに変節した。
平成の武士や侍は文を置き去りにして、武にばかり流れて行く。
茶をたしなむ日常が非日常になって久しい。
喫茶去は万人を受け入れるのである。

落雁を口に含み、一服の茶を楽しむ。
武士や侍ではない私は目の前に広がる竹林を見上げ、京都高台寺の傘亭の竹組み天井をイメージしてこのひとときを過ごすだけである。
報国寺のお茶は喫茶去というより、且座喫茶でいつも私を待ってくれている。

形式に囚われる茶の湯は形骸化した部分もあるが、点てたいように点て、無手勝で喫めばそれでいいのだと思う。
花嫁修業には必須だった茶道や華道に伴う精神や所作は、果たして必要だろうか。
婚姻生活のためにという概念自体が何やら胡散臭い。
所詮、たかが茶、「茶の湯」とは本来そういうものなのである。

自らを武士とか侍と名乗る御仁には近づきたくないが、イチローを始めとする今回(2009年)のWBCメンバーたちとはぜひお近づきになりたいものだ。
彼らは侍を自認して一向に差し支えない。
一方、ニセ者たちは、その意識が「さぶらう」からの連想ならば歓迎しよう。
しかし、いわゆる「武士道」を意識したものであれば、やはりそんな自己陶酔は滑稽でしかない。
その滑稽さの自覚が完全に欠如しているから、一般人は余計に怖いし、敬遠するのである。

「侍Japan」の「Japan」も、語源はご承知の通り、マルコポーロの「Zipangu」から来ている。
ところがこの「Zipangu」は、当時の中国人が日本を指す「Riət・Ppuən・Kuo」をマルコポーロが「Zipangu」と聞いてしまったことによって世界中に広まってしまった。
(違う説もある)
「Japan」の名前にこだわるニセ者たちは、中国発信の語源を後生大事に使っていることになる。
その事実を知っている中国の知識階級は、「やはり日本は中国の属国なのだ」と、ほくそ笑んでいることだろう。

喫茶去からずいぶん話が脱線してしまったが、この話題はこれにて終了。

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