見出し画像

かもめはかもめ

「となりの家は、うちよりもお金持ちで、家が広くて、おいしいものがいっぱいあるけど、その家の娘になってみないかな?」と父がよく、子供の頃の私をからかっていた。

「いやだ!ぜったい行かない!この家はいちばんいい!」と、幼い私はいつも頑として譲れなかったらしい。

幼稚園の娘にそんな質問をしてどこが面白いのか、未だにいまいちわからない。男はみんな寂しがり屋だからだろうか。

とはいえ誰でも寂しくなる時がある。コロナでもう1年近く家族と会えていない。しかし親の声が聞きたくて電話をすると、「日本での仕事をやめて帰国してほしい」といつも同じ会話の繰り返しになってしまう。そしてある日の電話で父がポツリと言った。

「あの頃あなたが言ったじゃないか。となりのお金持ちの家に行かないって。でも結局あなたは私たちを捨ててとなりの家に行ってしまった」

アラサーの娘に今さらそんなことを言ってもどうしようもない。男はいつだって寂しがり屋だなと。しかし娘としてはその言葉を聞いたらやはり動揺してしまう。なんの変哲もないの真夜中になぜかその電話を思い出し、持て余す郷愁に襲われ、号泣した。自分は親にとても残酷なことをしたと思った。

別に日本は「となりのお金持ちの家」だから、ここで生活しているわけではない。日本に来たばかりの頃に「日本のどこがいい?」と聞かれたら、すぐ100個数えて答えられるだろう。しかし今はガイジンとして日本のことをちょっと知りすぎてしまったかもしれない。日本のどこがいいのかよく分からなくなってしまった。(日本は好きです、念のため。)

なにせ実家も決して「貧乏な家」ではない。人口800万人の都会にある、水辺のマンションの17階に住んでいた。両親の仲が良く、私のことをとても大切にしてくれた。仕事やお金に困ったことがない。成績は優秀で、友達がたくさん。普通に幸せな10代だった。

そんな私はずっと飛び出そうとしていた。目的地は「となりのお金持ちの家」ではなく、別に「家」である必要すらないかもしれない。今から考えると日本に来た一番の理由は、日本は自分の母国ではない、地元ではないということだった。世界で何か大きなことを成し遂げたいという願望はそんなにない。仕事においても、人生においても、私はただかもめのように、いつも自分の眼で水平線を追いかけたい、自分の羽で潮風を確かめたいだけだ。

振り向くと岸辺には港の灯りがある。懐かしい声が聞こえる。いっそのこと、その誘惑に負けてしまってもよいのでは、と考えたりもする。

それにしても、かもめはかもめ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?