「ヨハネ福音書におけるκοσμοςについて-特に1・29を中心にー」

「ヨハネ福音書におけるκοσμοςについて-特に1・29を中心にー」
                            濱 和弘
 本論考は筆者がアジア神学大学院の牧会学博士課程に在籍中に、学科の提出課題としてまとめたものに加筆をしたものである。実際のものには脚注もついているが、noteでは脚注の機能がないので、本文だけを掲載する。

はじめに
 ヨハネ福音書は、共感福音書とは異なる視点において書かれている。したがって、そこには共観福音書とは異なる、用語の選択や文体等々から見ても、そこに独自の神学的視座があると考えられる。用語の選択や文体は、その視座の反映である。
この用語の選択や文体等々からヨハネ福音書の独自の神学的視座が何であるのかを探り求めるは聖書神学が負うところであろう。しかしながら、聖書は歴史的文脈の中で書かれたと同時に、歴史文脈の中で読まれるものでもある。それゆえに、聖書の言葉は歴史文脈の中でどう読まれたかも追及されなければならないであろう。これは歴史神学の負うべき課題である。特に、それがキリスト教のidentityに関わるような問題であるとするならば、なおさらである。今回、本レポートにおいて扱うヨハネ福音書1・29におけるκοσμοςも、そのような問題を含む箇所であるといえよう。
そこで、本レポートであるが、既に述べたように、主にヨハネ福音書におけるκοσμοςについて考察するが、その際主に1章29節を中心にして、アウグスティヌス、エラスムス、ルター、カルヴァンといった宗教改革期につながる神学的系譜において、このκοσμοςがどのように理解されたかを見て行く。その上で、彼らがそのような理解に至ったそれが及ぼした神学的影響を視野に入れつつ、彼らの理解を産みだした彼らの宗教性とその根拠を明らかにしたいと考えている。というのも、ヨハネ福音書におけるκοσμοςと言う言葉の用いられ方の独自性が、キリスト教救済論的問題、特に宗教改革以降のプロテスタンティズムにおける救済論に関わる問題を含むからである。

1. 問題の所在
 ヨハネ福音書1章29節は「その翌日、ヨハネはイエスが自分の方にこられるのを見て言った、『見よ、世の罪を取り除く神の小羊』」となっている。おなじヨハネ福音書1章36節で、同じく洗礼ヨハネによって繰り返さし言及される ことになるが、このような、「神の小羊」という呼称は、聖書中この2箇所だけである。そう言った意味では、この「見よ、世の罪を取り除く神の小羊(Ιδε ο αμνος του θεου ο αιρων την αμαρτιαν του κοσμου)」というキリストの呼称は、ヨハネ福音書独自の表現であり、この言葉には、ヨハネ福音書独自のキリスト理解があると考えられる。
もっとも、この言葉は洗礼ヨハネによって語られた言葉である。この場合洗礼者ヨハネはキリストの弟子ではない。つまり、イエスを中心とする弟子団の外の存在である。そのヨハネが、イエスに対して、「見よ、世の罪を取り除く神の小羊」というのである。確かに、R.A.カルペッパーのいうように、ヨハネ福音書における洗礼者ヨハネの役回りは、イエスを証しするイエスの証人であることは疑いのないことである。しかし、その証言は、カルパッパーの言うように、すべての人々がイエスを信じる為にヨハネは証言をしているかどうかについては慎重にならなければならない 。というのも、歴史的に考えるならば、ヨハネはクムラン教団との関係があったと考えられおり、「すべての人」といっても、その範囲はユダヤ主義を超えたところにまで及んでいたかどうかは疑問が残るからである。仮にそれが、カルペッパーのいうように、ユダヤ主義を超えたすべての人に対する証言であったとしても、それはヨハネ福音書の聖書記者によって与えられた役回りによるものであって洗礼者ヨハネ自身の理解であったどうかについては断定的には言えないであろう。
しかし、ここで取り上げる問題の本質は、使徒ヨハネであったとしても、また洗礼者ヨハネであったとしても、その証言がユダヤ主義の枠内にあったものかそれを超えたところにあるのかということではなく、ヨハネ福音書が、神の小羊(ο αμνος του θεου)であるイエスを世の(του κοσμου)罪を(την αμαρτιαν)取り除くものであると言っているところにある。ヨハネ福音書はイエスを、決して、我々の罪を取り除くと言ってもいなければ、あなた方の罪を取り除くとも、また私の罪を取り除くとも言ってない。「世(κοσμος)の罪を取り除く」と言っているのである。だとすれば、このκοσμος はいったい何を指しているのであろうか。
ギリシャ語新約聖書釈義辞典によれば、次のように述べられる。
「まず第一にκ.(筆者注、κοσμοςの略語)は存在し、生成し、過ぎ去ってゆくものという見方をすれば、神のよって造られたものの総体を示す。…(中略)…しかし、単なるκ.もこの意味では-特にヨハネで-神のよって造られたが同時に神から離反している現在の世界を意味する。…(中略)…一連の章句においてκ.は、特に人間ないし、人間の相互関係の総体としての〈世〉という意味で用いられる…。」

 ここで述べられていることは、κοσμοςは被造物すべての総体としても理解することができるし、人間ないし、人間の相互関係の総体であるとも理解することができるものであると言うことである。被造物全体と考えれば、それは宇宙、あるいは世界を指すと言えるであろうし、人間ないし、人間の相互関係だとすれば、それは社会を指すものであると考えられる。
 だとすれば、ヨハネ福音書1・29節におけるκοσμοςはすべての被造物の総体をさしているのであろうか。それとも、人間ないし人間相互関係の総体を指しているのだろうか。
 仮にヨハネ福音書1・29におけるκοσμοςが、すべての被造物の総体であるとするならば、την αμαρτιαν του κοσμουは、それは自然をも含んで宇宙の罪と言うことになる。たしかにRom.8・18-22には被造物の虚無とうめきが記されているが、それは罪によって引き起こされた事態である。しかし、これはロマ書の記述であり、ヨハネ福音書の記者がそのような意識を持ってκοσμος を捉えていた保証はない。一方、ヨハネ福音書1・29におけるκοσμοςがが、人間ないし人間相互関係の総体であるとするならば、われわれ人間の罪の問題がそこに問われていることになる。
 これに対して我々は山口希生の興味深い論考に目を向ける必要がある。山口は、パウロの罪理解について現在の新約聖書神学の動向を捕らえつつ、パウロはユダヤ黙示思想に基づき、罪を宇宙論的なものとして捉える傾向があるという。つまり、罪とは、κοσμος全体を包み込むいわゆる個々の罪へ向かわせる力であるというのである。
 もちろんそれはパウロの神学思想であるが、それがユダヤ黙示思想にあるとするならばヨハネもその影響下にあると考えてもおかしくはない。むしろその影響下にあったと考えれるのである。だとすれば、ヨハネが人間社会を含めκοσμος全体が罪の影響化にあると考えていたことになる。このことは、κοσμοςが、自然界全体としての相対であっても人間ないし人間相互関係の総体であろうと、そのいずれであったとしても、本質的問題として、世の罪(αμαρτιαν του κοσμου) というとき、それは総体としてのκοσμος の罪を指しているのであり、決して個々人の罪、あるいは個々の被造物の罪が問われているのではない。そして、そこには、その両者の関係は如何なるものなのとかが問われることになる。というのも、総体と言う以上、それは個々に被造物によって構成されるものだからである。それゆえに、ここに問題の本質がある。
「神の小羊」と言う呼称が救済論的意味を持つ呼称であると言うことは疑う余地がないことである。それゆえに、多くの注解者たちはこの救済論的意義を取り上げてこのヨハネ1・29を注解する。しかし、この「神の小羊」が救済論的意味を持つものであるとするならば、なおさら、このκοσμος が何を指しているかに関心を向けなければならない。それによってキリストの救済の性質が決定されてくるからである。

2.ヨハネ福音書1・29におけるκοσμος
さて、先に筆者はギリシャ語新約聖書釈義辞典におけるκοσμοςの語義を提示し、それを基に論を勧めたが、しかしこれは、κοσμος の語義的理解であって、それはヨハネ福音書においてどのように用いられているかは、未だ明らかにされていない。このヨハネ福音書におけるκοσμος のもつ意味について 、小林高徳は次のように述べている。
  「ヨハネ福音書では、『世(κοσμος)』は被造物全体を指す事も(21:25)、倫理的に中立な意味で人間世界を表す事もある(11:9,13:1)が、主として、神から離れ、贖いを必要とする人間世界全体を指すのに用いられる(9:39、14:30、16:28、18:37)。」
 
 実際、ヨハネ福音書において、κοσμος の用例は46節において63回にわたる が、その大部分がイエス・キリストが発せられた言葉の中で用いられている 。そして、そのイエス・キリストにおいては、明らかにイエスと対峙し、これを拒み敵対する社会が福音書におけるκοσμος である。すなわち、イエス・キリストにとっては、神の支配を拒む悪魔に支配された人間社会の総体がκοσμος なのである。そう言った意味では、小林の指摘するように、ヨハネ福音書におけるκοσμος の用例は、「主として、神から離れ、贖いを必要とする人間世界全体を指す」ということができよう。そして、そこにはこの世と神の国の対立構造がある。
しかし、本小論で取り上げているヨハネ1・29におけるκοσμος は洗礼者ヨハネの言葉である。だとすれば、洗礼者ヨハネが用いたκοσμος も、イエスの用例と同じように考えて良いのであろうか。結論からいえば、同じように考えて良い。
もちろん、洗礼者ヨハネ自身のκοσμος 理解は、ユダヤ人社会全体であったであろう。しかし、この洗礼者ヨハネの言葉は、ヨハネ福音書全体の中では、冒頭の部分におけるイエスが誰であるかを紹介する部分に置かれている。すなわち、この洗礼者ヨハネの言葉も、ヨハネ福音書の著者、ヨハネ福音書全体の中においてはナレーターとして登場する人物によってなされるイエスの紹介の一部分として機能しているのである。
当然、このヨハネ福音書の著者は、キリストに属するものであり、キリスト教を擁護する立場にある。つまりイエス・キリストの影響下にある存在であると言えよう。だとすれば、その語用もイエスの影響下にあると考えるのが妥当である。従って、ヨハネ福音書の著者が、イエスを紹介する意図で編纂した部分において洗礼者ヨハネの言葉を用いてイエスを「世(κοσμος)の罪を取り除く神の小羊」と紹介しているのであれば、ヨハネ福音書の著者の意図における「世(κοσμος)」もまた、イエスの語用に準じていると考えられるからである 。

3.事態の発生
「『見よ、神の小羊だ』。このかたはアダムからの〔罪〕の伝搬をもっていない。肉はアダムから受けたが、罪は受け取らなかった。わたしたちの土塊から罪を受け取ることがなかったこのかたが、わたしたちの罪を取り除いたのである。『見よ、世の罪を取り除く神の小羊』。かつてある人々がこう言ったのを、あなたがたは知っている『わたしたちは聖者であって、人間の罪を取り除くものである。もし洗礼を授ける聖者がいなかったならば、人間自体が罪に満ちている以上、人の罪をどうやって取り除くであろうか』と。こうした議論に対して、わたしたちは自分のことばを告げはしない。ここにこう読まれる。『見よ。世の罪を取り除く神の小羊』

 これは、ヨハネ3・19-33から語られたアウグスティヌスの説教に一部である。アウグスティヌスは、この箇所を通して、「人間に罪を赦すことなどできない。できるのは、イエス・キリストのみである」と主張している。そして、人間が罪を赦すことができない根拠として、原罪によって人間自身に罪が満ちているからだとする。なぜならば、「この方(濱注:イエス・キリスト)はアダムからの〔罪〕の伝搬をもっていない。」と述べる言葉は、明らかに原罪を意識させるものである。また、ここでは「もし洗礼を授ける聖者がいなかったならば、人間自体が罪に満ちている以上、人の罪をどうやって取り除くであろうか」と、洗礼において罪を取り除くことと結び付けている。そこには、原罪を持たない者こそが罪を取り除けるのだと言うのだと言う構造があり、罪を取り除くと言うその罪と原罪とが等値されている。  そして、アウグスティヌス以来、カトリック教会では幼児洗礼が受容されるが、その根拠が原罪の洗いであることは周知のことである。
 そこでこの説教から、アウグスティヌスが世の罪を個々の人間の罪であると見ていたことを確認することができる。そしてその罪は人間に受け継がれてきた原罪の故である。原罪については、西方教会の伝統においては自明のことのようにして取り扱われるが、教理史的に言うならば、原罪の教理の発生はアウグスティヌスにあり、その論理的根拠は、便宜的にアンブロシスティスと呼ばれる作者不詳の注解書においてなされたローマ書5章の注解にある 。これによって、アウグスティヌスは、ひとりひとりに罪が入り込んだと理解するわけで、一応κοσμος は人間社会と言う意味で理解されているが、実質的には個人の罪に帰されている。こうして、世の罪:αμαρτιαν του κοσμου は個人の罪、あるいはその総体として受け止められるという事態が発生するのである。また結果としてキリストの救済の業は贖罪として、私個人の罪の赦しに還元されて行くことになる。そこには、人間社会それ自体が持つ構造的罪や宇宙全体がもたらす罪と言った問題は視野に入っていない。

3.事態の進展
 西方教会の伝統は良しにつけ悪しきにつけアウグスティヌスの継承にある。特に宗教改革は、アウグスティヌスへの回帰の傾向が強い。ルター然り、カルヴァン然りである。だとすれば、このヨハネ1・29の理解においてはどうであろうか。
そこで、次に時系列にしたがってルターの理解を見てみよう。ルターは、このヨハネ福音書をローマ書やガラテヤ書のように、ウィッテンべルグ大学の講義として取り上げてはいない。しかし、説教において取り上げられている 。ヨハネ福音書1・29の説教は、1537年11月3日ウィッテンべルグ町教会においてなされている。われわれはそれを通してルターのヨハネ1・29の理解を見ることができる。その説教の一部を引用する。長い引用でありすべてを引用できないので、抜粋しながら引用しよう。

 「ヨハネはこう言いたいかのようである。あなたがたユダヤ人は、モーセが命じたとおり、毎年一匹過ぎ越しの小羊を屠る。それに加えて日々2匹の小羊を屠り、朝晩、子羊を捧げて焼き殺している。確かにそれは小羊である 。…(中略)…そのためヨハネは、モーセの小羊と、真の小羊であるキリストとを並べて判断できるようにしたのである 。…(中略)…これは人々の罪を取り除く、真の神の小羊である。あなたがたは過ぎ越しの祭りに、別の小羊によって罪が取り除かれるのを求めていたが、それは得られなかった。こちらの小羊によってあなたがたはそれを見いだす 。…(中略)…ほかの点では、この方は他の人々と同様の一人の人間であった。しかし、神は彼を、全世界の罪を負う小羊になさったのである。…(中略)…あちらの生におて、
われわれは、神のみ子が深く沈まれて私の罪を、いや全世界の罪、アダムから人類の最後に至るまで人間によって犯された罪をご自身に背負われたことに、永遠に深い喜びと至福感をもつことであろう。それを主は望まれたのであり、私が罪を取り去られ。永遠のいのちと救いを得るために、主は、苦難をうけ、死ぬることをも望まれる。しかし、困窮に直面して、だれが正しく語り、考えることができるであろうか。すなわち、全世界が、そのあらゆる聖さと義、力と壮大さをもってしても罪の下に閉じ込められており、神の前にはまったく無でしかないので、人が救われ、罪から解放されようとするなら、その罪をすべて小羊の背に負わせることを知るべきだと言うことであ
る。」

この言葉からもわかるように、ルターもまた、κοσμος を一応は人間社会全体という意味で捉えてはている。しかしながら、「私が罪を取りさられ、永遠の命ろ救いを得るために、主は苦難を受け、死ぬることをも望まれる」と言う言葉にもうかがわれるように、その焦点は個人に罪にあてられているのである。ただし、この説教の言葉には、個人の罪を超えた視座もあることも見逃してはならない。というのも、上記の引用でルターは、「全世界が、そのあらゆる聖さと義、力と壮大さをもってしても罪の下に閉じ込められ神の前にはまったく無でしかないので、人が救われ、罪から解放されようとするなら、その罪をすべて小羊の背に負わせることを知るべきだ」と述べているからである。
ここには、罪が世界を支配し、世界は罪の支配のもとに閉じ込められ、その罪の支配からの解放と言う救いの別の側面が見出されている。実際、グスタフ・アウレンによって、キリスト教における救済論を東方教会の伝統にあるギリシャ型の救済論と西方教会にあるラテン型の救済論に分類されたとき、アウレンはルターの中にギリシャ型の救済論、すなわちキリストの十字架の死は、この世を支配する悪と死に対する勝利であるといういわゆる「勝利者キリスト」のモチーフが見られるというのである 。
 確かに、アウレンが主張するように、ルターの中に「勝利者キリスト」のモチーフがあることは、先の引用から見ても間違いがないことであろう。しかし、確かにそのような視座が認められるにもかかわらず、全体のトーンは、圧倒的に個人の罪の救済と言うラテン型の救済論が前面に出てきている。そこでは、あいかわらず、αμαρτιαν του κοσμου は個人の罪の総体であるか、総体であるαμαρτιαν του κοσμου は個人の罪の集積した総体なのである。

 次に、宗教改革の第2世代であるカルヴァンである。カルヴァンは、このヨハネ1・29を注解して次のように述べる。これも長い引用になるので抜粋しながら引用する。
 

「わずか数語で、しかもきわめてなじみやすく、キリストの主要なつとめが言いつくされている。すなわち主要なつとめが言いつくされている。すなわち、自らの死と犠牲を通じて、世の罪を取り除き、人々を神に和解させるのである。…(中略)…バプテスマのヨハネも、わたしたちをキリストへとさしむけるために、まず、キリストによって与えられる罪の赦しから始めている。…(中略)…罪は単数にされているが、こ れはいっさいの不正を意味しているのである。かれは、いわばこう言っているのだ。と。そして世の罪といって、かれは無差別に全人類にこの恵みをおしひろげている。…(中略)…しかし、これからわたしはこう結論する。世のすべてのひとたちは、おなじ断罪のうちにとりこめられているのだ、と。すべてのひとたちは、例外なく神の前では不義の罪を犯している。だからバプテスマのヨハネは、一般的に世の罪といって、わたしたち自身のみじめさを痛感させ、その癒しを、もとめるように、わたしたちをうながそうとしたのである」

 ここにおいてもκοσμοςは、私たち自身と言う個人に還元されている。カルヴァンは、イエス・キリストが、ユダヤ教の犠牲を暗示するものであると受け止めている。その上で、「見よ、世の罪を取り除く神の小羊」ということで、犠牲がどんな目的を持っているかをあらわし、ユダヤ教の犠牲は、キリストの人格の内にあらわにされた人格の象徴にすぎないというのである。このとき、カルヴァンによって犠牲の持つ目的が罪の赦しであると考えられていたことは言うまでもない。
ところで、「見よ、世の罪を取り除く神の小羊」と言われるとき、カルヴァンはキリストが取り除くこの世の罪αμαρτιανが単数であることに着目し、「かれ(筆者注、洗礼者ヨハネ)は、いわばこう言っているのだ。ひとびとを神から遠ざける不正のあるかぎりのすべてが、キリストによってとりのぞかれるのである。と」とのべている。この場合、この「ひとびと」を神から遠ざける不正が人々の外にあるとカルヴァンは考えていたわけではない。というも、おなじ註解の中で「取り除く」αιρωνについて、カルヴァンは次のように述べているからである。
「取り除くという語は、ふたとおりに解釈することができる。そのひとつは、キリストはわたしたちをうちひしぐ重荷を、みずからひきうけた、というのである。…(中略)…もう一つは、かれはわたしたちの罪を排除した、というのである。しかしこの第2の解釈は、第1のに従属するものであるから、わたしはすすんでこのふたつともをうけ入れる。すなわち、キリストは、わたしたちの罪を自分にになうことによって、それを排除し、とり除いた、と。だから、罪は、つねにわたしたちの本性にむすびついたものだが、キリストのめぐみによって排除され、わたしたちに負わされないから、神のさばきにおいては罪がないことになる」

 ここでカルヴァンのいう第一の解釈でいう、うちひしぐ重荷というのは、先に述べたユダヤ教の犠牲との絡みで考えるならば、律法による神殿祭儀としての贖罪の犠牲を捧げる行為を指すものだと考えられる。そして、この第一の解釈に従属して、犠牲の捧げものによってえられる罪の赦しがなされ、わたしたちの内にある神の裁きに対しては罪がないものとされるというのである。ここには刑罰代償説的なモチーフが読み取れる。そして、その代償される罪は、私たちの本性に結び付いたものであり、私たちが負わされているものとして、個人に帰結していくのである。というのも、本性は一人一人が有しているものだからである。
しかしいずれにしても、このように、カルヴァンには、プロテスタンティズムの中心的主題である信仰義認が受け継がれている。しかし同時に、それは個人の信仰にともなう、個人的罪の救済が中心にあると言うことを意味しており、それゆえに、プロテスタンティズムの中には、個人的救済論に終始し、社会の罪や被造物総体の持つ罪と言ったことが関心の対象にはなっていないのである。
 このような個人的罪と個人的救済が強調される傾向は、プロテスタンティズムの伝統の中、特に福音派と呼ばれる保守的信仰の中に反映され今日に至っている。

4.比較
われわれは、ここまで、宗教改革における代表的人物であるルター、そして第2世代を代表する人物であるカルヴァンを見てきた。そこで、ここでは、ルターに先行し、キリスト教ヒューマニズムの視点から教会の改革を目指したエラスムスについて、見てみたい。
周知のごとく、エラスムスは1500年に英国を訪問した際に、J・コレットと出会い、コレットの聖書解釈に触れ、聖書研究を神学の中心に据える。その成果が、一つはNovum Insrtumentumであり、また彼の聖書注解であるparaphraseである。
このようにエラスムスは聖書研究を神学の中心に据えたが、その聖書研究とは、一つは文献学を駆使した聖書の本文研究であり、その成果がNovum Insrtumentumに結実する。またエラスムスの聖書研究は聖書を如何に解釈するかと言う解釈方法にも現れる。それが「文字と霊」というアウグスティヌスの言葉を借りた聖書の文言の背後にある本質を汲み取る解釈方である。エラスムスはこの「文字と霊」による解釈をルターが最も嫌ったオリゲネスを高く評価し、オリゲネスの解釈法の線に沿って展開する。その結実がparaphraseとなって現れてくる。
そう言った意味ではエラスムスがこのヨハネ1:26をどのように理解していたか捉え、先に見た宗教改革者たちの理解と比較するのは有意義なことであるといえよう。
そこで、そのparaphraseにおけるヨハネ福音書1:26のエラスムスの理解であるが、paraphraseにおいて、エラスムスはこの1・26に対して次のように述べている。


 「『見よ』とヨハネが言った。『あなた内の多くの人が、かつてこのお方に私が洗礼を施したのを見た。そのお方が今ここにおられる。私(洗礼者ヨハネ)が、洗礼の際、このお方に注いだヨルダン川の水が、このお方を洗い聖めたわけではない。むしろこのお方によってヨルダン川の流れが聖とされたのだ。全ての者の中でこのお方だけのゆえに、あらゆる罪の汚れから解放されたのだ。それはこのお方、それは預言者イザヤによると、もっと喜ばしい犠牲の供え物であると述べているあの最も汚れのない神の小羊でなのであるが、その神の子羊であるお方が、ありとあらゆる欠陥で汚された全世界のもろもろの罪に対して贖いとなられたからなのである。このお方こそが、モーゼの小羊の原型である。そして、そのモーゼの子羊は罪のけがれのない血はイスラエルの子らを裁く天使の剣からイスラエルの子らを守ったのであるが、この(モーゼの小羊の原型であられる)お方ご自身は、どんな罪の汚れも全くないので、このお方のみが全世界のすべての罪を取ることができる。彼だけが神の怒りを慈悲に変えることができるほど、神と親密な存在なのである。彼は、とても寛大であり、人間の救いを強く望んでいる。それゆえにイエスによって、彼の恩恵を我々に与えるために、彼(イエス)には、すべての罪に対する罰を支払うための、そして我々の病を負うための備えができているのである。イエス・キリスト様は私(洗礼者ヨハネ)が以前に一度ならず語っていたあのお方である。そのお方は私の後に来る。しかし、力と誉れとにおいては私に先立っており、私はこの方のはるか後ろに退かなければならない。なぜならば、かれの誕生の人間的状況にかかわらず、今は彼の時だからである。確かに説教においても、また権限においてさえ、彼は私に対して従属的であるかのようであった。にもかかわらず、彼は聖なる資質において私よりはるかに優れていた。そして、私でさえ彼がどれくらい偉大であるか、あるいは、彼が何者であられる
かを、まだ十分にはわかっていなかったのである。『彼は、あなたも賞賛するその私でさえ、どんな形であったとして彼とは比べようがないほどに、彼は偉大なお方である。彼は主であり、すべての者救い主である。彼の救いに優るようなのものを、私は何ひとつ持っていない。そして、(イスラエルの歴史における)先駆者たちもまたそうなのである。そして、私の洗礼も、そして私の説教もまた、イエスが私たちにもたらした神に国の力と神の国の教えの予行演習以上の何物でもい。」  

 エラスムスもまた、このヨハネ1・28の言葉の中に、宗教改革者と同様にアウグスティヌスの伝統に立ち、キリストの救いが罪の赦しであることを読み取っている。しかし、エラスムスの場合、他の宗教改革者たちと違い、このヨハネ1・28の言葉に個人の要素をみいだすのではなく、むしろ民族であり全世界といった共同体の存在をみている。たしかに、エラスムスも、この神の小羊という言葉を、旧約の神殿祭儀における犠牲と結び付けるが、それは「イスラエルの子ら」というイスラエル民族に対する救いであり、それは、新約的に言うならば、全世界の罪を洗い清める救いの業なのである。
 もちろん、だからと言ってエラスムスが人間個人の罪を見逃しているわけではない。木ノ脇悦郎が、エラスムスのローマ書15章の解釈からエラスムスが人間が罪を犯す現実から、人間の原罪の問題を捕えていると述べている ように、エラスムスは人間が主体的に罪を犯す現実をしっかりと捉えている。そもそもルターとの間のいわゆる自由意思論争において、
エラスムスが人間の自由意思を擁護する立場に立ったのは、この人間の罪における主体性の留保と言う問題がその動機の一因であったのであって、エラスムスにおいても、個人の罪の問題は、ちゃんと見据えられている。
 しかし、ここにおいては、あくまでもユダヤ民族、すなわち「イスラエルの子ら」に対する神の裁きとしての天使の剣がから、モーセの犠牲の子羊が守ったように、全世界の罪に対する神の裁きに対して、イエスの犠牲は救いを与えるのである。
 考えて見れば、仮に個人が救われても、全世界が罪を犯し裁かれるとするならば、個人の罪の赦しは、その意味を失う。なぜならば、救われた個人も全世界の構成員として再び裁かれるからである。まず社会全体の罪が赦され救われて初めて、それを構成する個々人の罪の赦しが問題にされていってこそ、完全に人は救われることになる。そう言った意味では、個人の罪の赦しだけではなく、全世界の罪の赦し、あるいは社会全体における罪の赦しもとわれなければならないのである。
 エラスムスは、キリストがこの社会を構成する一人となったという。先ほどのparaphraseの言葉に続いてエラスムスは次のように言う。
     

 「彼は謙虚な態度で生きていていました。そして人々を何事によっても区別されなかった。また全ての人々と同じようになって群衆の中に溶け込んだ。そして彼が罪の奴隷の中にいる一人のように私(洗礼者ヨハネ)の洗礼を受けに来たのであった。」

ここには、群衆の中に溶け込み一体化したイエスの姿がある。このように群衆の中に溶け込み一体化するからこそ、群衆の中の一人として全体の犯す罪、共同体の罪を負うことが出来るのである。しかし、ここで、イエスが洗礼者ヨハネの洗礼を受けたのは、イエスが群衆の一人一人が個人の罪の赦しのための洗礼としてそれを受けたからではない。少なくともエラスムスはそのように考えている。というのも、先の引用であげたが、エラスムスは次のようにのべているからである。

「私(洗礼者ヨハネ)が、洗礼の際、このお方に注いだヨルダン川の水が、このお方を洗い聖めたわけではない。むしろこのお方によってヨルダン川の流れをが聖化されたのだ。全ての者の中でこのお方だけのゆえに、あらゆる罪の汚れから解放されたのだ。」

 ここでは、イエスの洗礼によってイエスが他の群衆と同じように罪の赦しを受ける他のものではなく、全ての人を罪から解放するための洗礼であった事が述べられている。つまり、イエスは、他の群衆が受けた洗礼とは全く違った意味でバプテスマのヨハネの洗礼を受けられたのだというのである。イエスは群衆の中の一人として洗礼を受けたからこそ、群衆全体を罪から解放されたのである。
 このような理解は、イエスを神の国と密接に結びつける。エラスムスはヨハネ1・30の言葉に対して次のように述べている。
       

 「『彼は、あなたも賞賛するその私(洗礼者ヨハネ)でさえ、どんな形であったとして彼とは比べようがないほどに、彼は偉大なお方である。彼は主であり、すべての者の救い主である。彼の救いに優るようなのものを、私は何ひとつ持っていない。そして、先駆者たちもまたそうなのである。そして、私の洗礼も、そして私の説教もまた、イエスが私たちにもたらした神に国の力と神の国の教えの予行演習以上の何物でもない。」

 エラスムスは、この世を支配するこの世の支配者は悪魔であると言う明確な意識をもっている。それは、paraphrase に先立つ1501年の著作「エンキリディオン」において明らかに述べられている 。イエスは、群衆の中に溶け込み、群衆の一人としてバプテスマのヨハネから洗礼を受けることで、この世を聖化し、神の国をもたらしたのである。それは、人々がイエスの弟子となり、イエスに従うものとなるという一歩を踏み出すことで、神の国という
新しい社会、それは、のちに教会と言うこの世の中に置かれた新しい社会となるのであるが、その神に構成員となることができるのであり、それはまさに手の届くところにあるのである。
 このように、エラスムスにとって、ヨハネ1・29の「世の罪を取り除く神の小羊」と言う言葉は、一人一人が犯す個人の罪と言うことに対しても、十分な理解をもつエラスムスではあるが、このように、エラスムスにとって、ヨハネ1・29の「世の罪を取り除く神の小羊」と言う言葉には、全世界の罪、社会の罪の問題が見据えられていると言えよう。むしろ個人の罪は背後に退き、かわりに単に全世界の罪、社会の罪の問題が前面に出てきている。そこには、悪魔に支配する地上的この世と神の支配の下にある天的世界がこの世に突入した神の国との激しい戦いがあり、神の国に属し麾下に編入したもの として、この世(κοσμος)とこの世いながら生きるかが問われているのである。そう言った意味ではエラスムスにとっては、「世の罪を取り除く神の小羊」であるイエス・キリストは、悪魔の支配の下に置かれそれゆえに罪に支配されたこの世(κοσμος)という共同体に対して、その罪が浄化され悪魔と決別した神の支配の下にある神の国という新しい共同体打ち立てるお方であったともいえよう。そこには、人間の模範者としてのキリストというエラスムスのキリスト観によって評価されるエラスムスのキリスト観ではない、救済者としてのキリストがそこにあり、その根底には悪魔と罪とに勝利した「勝利者キリスト」のモチーフが前面に出てきているのである。

4.事態の分析
さて、ここまでにおいて、ヨハネ1.・29の理解を通して、西方教会の伝統にあって、4特にプロテスタントのなかに見られている、個人的罪の認罪とキリストの十字架における贖罪にもとづく個人的罪の救済の追求と言う性向を見てきた。このような性向は、現代においては特に福音派と呼ばれるグループの中に見られる福音理解に強く表れている。つまり、「私の罪が赦される」という個人的罪の赦しの強調である。
その福音派においては1974年7月16日から7月25日に開催されたスイスのローザンヌにおいて行われた第一回ローザンヌ世界伝道会議、(The First International Congress on World Evangelization )で、ローザンヌ誓約が宣言された。そこにおいて取り上げられたのはホーリスティックな福音理解であるが、その背景には、まさに社会的罪や被造物全体の罪という視点の欠落に対する反省であり、それはつまりは、先にのべた福音主義のもつ性向に対する反省であったといえよう。
しかしながら、あのアウグスティヌス、ルター、カルヴァンに見られた性向は、その福音理解が個人の救済論と密接に結びついている。したがって、ローザンヌ誓約におけるホーリスティックな福音理解と言う問題も、仮にそれが個人の罪の救いに帰結する宣教論上の問題として捉えられているかぎり、それは表層的かつ一時的なのものでしかなく社会改革的な信仰の改革にも福音理解の改革にも至らない。少なくとも、ヨハネ1・29の洗礼者ヨハネの「見よ、世の罪を取り除く神の小羊(Ιδε ο αμνος του θεου ο αιρων την αμαρτιαν του κοσμου)」というメッセージが、なぜアウグスティヌスにおいて社会性をもたず、あるいは被造物全体を含まず、個人的罪に還元されていったのか。なぜルターは、せっかく「勝利者キリスト」というパースペクティブを持ちつつ、結果として「贖罪者イエス」のモチーフをもって、「私」という圧倒的に個人的罪の救済を前面に押し立てたのか。またカルヴァンが宗教改革を継承するなかで、なぜ、「勝利者キリスト」のモチーフがカルヴァンには生まれなかったのかが分析的に捉えられなければ、本当の意味での社会的罪や被造物全体の罪という視点の欠落は克服できない。

 1)分析における基本的な視座
 聖書の解釈を生み出す背景には解釈者の神学的理解がある。その神学的理解を支えているのは、宗教経験である。脇本平也は、宗教学的視点から宗教の構成要素を分析すると、一応教義、儀礼、教団、体験になると言う 。それはいかなる宗教現象も最終的には教義、儀礼、教団、そしてその宗教特有の宗教的体験を持つということを意味する。
脇本の分析によるならば、聖書の解釈は、いうなれば知的作業であり教義に関わる部分であると言えよう。しかし、教義および儀礼、教団はヨワヒム・ワッハの言う通り宗教経験の共同体における表現方法方の一つである 。だとすれば、聖書解釈の違いを比較するのに、
その根本にある宗教経験に遡って検討することは妥当な方法であると言えよう。それが、
アウグスティヌスやルター、あるいはカルヴァンといった、いわゆる教派を形成する宗教的集団を産みだしていったいわば教派的始祖の聖書解釈を理解するにはより一層有益な方法である。

3)分析2 アウグスティヌス。
 そこでアウグスティヌスであるが、アウグスティヌスの宗教性には極めて特徴的な要素―これはルターにも共通性がることであるが―がある。それは明確な回心の経験である。ルドルフ・オットー以来、個々人の宗教の宗教性が、その宗教者の宗教経験に大きく依存することは、広く知られるところであるが、だとすればその人の宗教経験が、その人の宗教性を分析する際の重要な鍵となる。特に回心の経験は、個々人の主体的な宗教における超越者、あるいは真理との接点が具体的に現れた場であり、そこには、アブラハム・ヘッシェルのいうところの、言葉で言い表せない驚きの経験がある。それゆえに、回心の出来事は、その人物の教理理解や、儀礼行動、あるいは宗教集団との関わり合い方といった、宗教性の表現に深く関わるのである。
 アウグスティヌスの回心は、『告白』にそのいきさつが記され、第8巻12章の回心の出来事が出ている 。アウグスティヌスは、放縦の生活からマニ教への信奉等の遍歴を経て回心に至るが、回心に至る以前に、ミラノの司教アンブロシウスの説教に触れ、カトリック教会の教義の理解と理性的受容には至る。しかし、それが彼の決定的回心として受容されなかった 。隣家から聞こえた「取り手読め」という子供の声を神に啓示と感じ聖書を読んだところ、最初に目に触れたのがRom13・13-14の「そして、宴楽と泥酔、淫乱と好色、争いとねたみを捨てて、昼歩くように、つつましく歩こうではないか。あなたがたは、主イエス・キリストを着なさい。肉の欲を満たすことに心を向けてはならない。」と言うものであった。これを読んだ後、アウグスティヌスは「たちまち平安の光というべきものが、私の中に満ち溢れ、疑惑の闇はすっかり消え失せた」 と言っている。この経験が、アウグスティヌスの決定的回心として受容されるのである。
 このように、アウグスティヌスの回心は、アンブロシウスの説教を聞いてカトリック教会の教義を受容した点に置くのか、彼自身が受容した点に置くのかについては議論が必要であるが、いずれにしても回心が2重構造になっている点は見逃せない。
ジルソンとペーナーは、このアウグスティヌスの回心を合理主義からの解放、唯物論からの解放、懐疑論からの解放であると述べている が、これはアウグスティヌスの回心を十分には説明しきってはいない。すくなくとも、これらは、アンブロシウスの説教を聞いてカトリック教会から教義を知的に理解した時点で経験しうるものである。しかし、それでもアウグスティヌスが神を求めて求道をした背景には、金子晴勇が「アウグスティヌスの回心は単なる知的回心ではなく、道徳生活を含む全体の方向転換である、彼の場合には特に実践的領域に問題があったと言えよう」 と正しく指摘しているように、罪の問題があったからである。しかも、アウグスティヌスの場合、自らの遍歴を通して、その罪の問題は道徳の問題、特に性愛(Libido)の問題として顕在化し彼の苦悩の原因となっている。すなわち肉の欲を満たすために罪を犯さざるを得ない自己の存在そのものがアウグスティヌスの自覚する苦悩なのである。その罪を犯さざるをえない自己の姿に苦しむその苦悩からの解放がアウグスティヌスの回心の核にあるものであり、それは、アウグスティヌスの回心がRom13・13-14の言葉に寄りかかっていることからもうかがい知れることである。
この回心の経験が、アウグスティヌスの原罪論と救済論をうみだし、救いを人間の個人的罪からの救いという方向性に向かわせたと言うことができよう。そのため、κοσμοςはン元の寄り集まる人間世界であり、την αμαρτιαν του κοσμου は、個々人の罪の総体なのである。

 4)分析3 M.ルター
 ルターの場合も、アウグスティヌスと同様にその回心の体験は2重構造をなしている。いわゆる雷の経験と塔の経験である。
 ルターは1501年にエルンフルト大学に入学し、教養課程を修め、1505年に法学部に進学する。法学部に進んだその直後、学期中であるにも関わらず、一時帰京する。学期中の帰郷は極めて異例なことであるが理由は分からない。しかし、異例の行動をするには何らかの事情があったことは間違いがないだろう。その帰郷から大学に戻る際、ルターは、シュットハイム郊外で落雷に会う。その際、ルターは落雷の死の恐怖を感じ「聖アンナよ。私は修道院に入ります」と救いを求めて祈る。そしてその言葉通りに大学には戻らす、その足でアウグスティヌス修道会に入る。これがルターの雷の経験の概略であるが、この雷の経験は、ルターに、強く死を意識させ、また罪を裁く裁きの神を強く意識させるものであった。なぜならば、そこには罪に対する裁きとしての死という死生観が強く息づいていたからである。
 もとより、死は罪に対する裁きであると言うのは聖書があるところではあるが、ルターの時代は、天刑病とも言われたペストの流行を経験した時代でもあり、罪の裁きとしての死が、よりリアリティを持った実存的経験としてあったであろうことは、疑いのないことであろう。そのような中で、ルターの罪を裁く恐ろしい存在としての神という神認識は、この雷の経験を通して先鋭化されるである。
 それに対して塔の経験はルターの恩寵経験である。この経験を通して宗教改革的回心がルターに起こる。もっとも、その塔の経験がいつ起こったのかは明らかではない 。しかし、この宗教改革的回心経験によって、ルターの「聖書のみ(sola scriptulra)、信仰のみ(sola fide)、恵みのみ(sola gratia)」といった宗教改革的認識が形成されることになる。
 アウグスティヌス修道会に入り、この宗教改革的回心に至るまでのあいだ、ルターは、私たちを罪に定める神の義の前に、いかに修練を治めても救いの内的確信が得られない現実に苦しむ。その時期の自分の姿を回顧してルターは次のように述べている。

 「さらに、私は非の打ちどころのない修道士として生活したのであるが、神のみ前においては、きわめて不安定な罪人であると感じ、自分の償罪によって神をなだめたと確信することはできなかった。私は、義であって、罪人を罰する神を愛さないで、むしろこの神を憎み、冒涜でないにしても、ひそかに神に対して怒っており、(次のように)言って、確かにとめどなくつぶやいていた。『原罪によって、永遠に失われたみじめな罪人が、十戒によってあらゆる種類の災厄に押しつぶされるだけではまだ足りないかのように、福音によっても、悩みに悩みを加え、そのうえ神が福音を媒介としてその義と怒りをもって私たちを脅かされるとは』と。このように、私は猛りたち混乱した良心をもって憤慨していた。」

 この言葉は、修道士として生活するルターが、厳格な修道生活を送り、神の前に善と思われることをいかに熱心に行ったかをうかがわせるものである。しかし、そのような修道生活を送っても、その業によって償罪されたと言う確信にいたらないルターの苦悩と、「神に対し憤り、神を憎む」までに研ぎ澄まされた裁きの神に対する思いがあふれている。
この時期のルターの思想的背景にはオッカニズムがある。オッカニズムにおいては普遍は実在しない、あるのは個物だけである。したがって、神の義によって罪を断罪され罪に苦しむのは個々人である。また、その個人が、救われたいと言う意思によってなされた善が神の義にかなうとき、神は恵みを持って救ってくださるという。だが、ルターは非のない修道生活を送っても、救われたと言う主体的経験を自分自身の内側に確信として持てないのである。そしてル自分が罪赦され、神に受け入れられたと言う確信が持てない、すなわち罪の裁きである死の恐怖から解放されないところにター自身の実存的かつ神学的苦悩がある。
このような苦悩を通り、ルターはローマ書1章の新しい解釈から神の義に対する福音的理解を得ることにより、宗教改革的回心となった塔の経験にいたる。ここにもアウグスティヌスと同じように、回心の2重構造がある。その2重構造の回心における第2の回心である塔の経験についてルターはこのように言っている。
       

 「ついに神の憐れみによって、昼も夜も黙想に耽り、私は、ことばの脈絡に注目していた。すなわち、記されているままで言えば、『福音には神の義が啓示されています』というのと、『正しい者(義人)は信仰によって生きる』というのである。そこで神の義とは、義人が神の賜物によって、すなわち、信仰によって生きる、そのような義であることを理解しはじめた。それは、こういう意味だ。神の義、すなわち恵み深い神が信仰によって私たちを義とされる受け身(受動的)の義は福音によって啓示されたと。信仰によって神関係の正しくなったものは生きると記されているとおりである。」

このようなルターの宗教的回心は、全く個人の救いの経験であり、ルターの自己の罪に対する神の裁きからの赦しの確信が得られない苦悩が深かった分、ルターにとって圧倒的恵みの経験となった。この自己の罪に対する神の裁きとしての死という苦悩とその裁きとしての死からの救いの実存的経験の圧倒的な強さが、ルターの宗教の宗教性を方向付け、それによって「勝利者キリスト」に相通じる神学的視座に結び付くルターの理解を後ろに後退させ、個人の罪の赦しと言うことが前面に出てくるのである。
このようなルターの宗教性は、ルターが目指したものが、結果としては宗教改革という教会改革運動となって行ったが、それは結果としてであって(もちろんそれは必然でもあったのではあるが)、そもそもルターの目指したものは教義の改革であり、個人の信仰の改革であって、教会の改革を目指したものではなかったのである。
そしてその教義の改革、個人の信仰の改革の核に据えられたルターの宗教経験が、「信仰義認」と言う言葉を獲得し教理化される中で、プロテスタンティズムの個人的罪の赦しによる救いという十字架理解が強く前面に押し出されていくプロテスタンティズムの宗教性が持つ性向につながっていたと言えよう。

 3)分析4 J.カルヴァン
 カルヴァンの場合、アウグスティヌスやルターと違い、その回心の経験を探ることは極めて難しい。それは、ひとつには、カルヴァンは、アウグスティヌスと違い、自らの回心の経験をあまり語っていないということがあり、もう一つは、カルヴァンの宗教改革への転身の以前と以後とのあいだに宗教経験につながるような変化が見られないと言う特徴があるからだといえる 。そこにはカルヴァンが宗教改革第2世代であるという事情があるかもしれない。しかしいずれにしても、カルヴァンの宗教改革者への転身は、宗教経験に基づく新しい展開と言うよりもは、むしろカトリック教会からプロテスタントへの転身といった感が否めないのである。
 そこで、われわれは、なぜカルヴァンがカトリック教会からプロテスタントへ転身したかを知るために、彼の信仰上の歩みを振り返ってみる必要がある。
すると、そこにはフランス・ユマニスムス がある。カルヴァンはフランスにおけるユマニストとしてその生涯のキャリアを出発させているのである 。このフランスのフマニストと言う点は、若干なりと意識を置いておかなければならないであろう。というのも、フランスのユマニスムスは、アルプス北部に広がったキリスト教ヒューマニズムとは違った系譜を持つからである。
 アルプス北部のキリスト教ヒューマニズムはエラスムスの影響が非常に強い。それに対して、フランスのユマニスムスは、ルフェーブル・デタプールの影響が強く、かつ、ギョーム・ブリソンネと言った人々により、モーの人たちと呼ばれる独自のユマニスムスに基づく教会改革が実践されるといった背景も持っている。そう言った意味では、エラスムス以上にラディカルに教会改革に取り組むといった性向がフランス・ユマニスムスには見られ、その意味でエラスムスに代表されるキリスト教ヒュ-マニズムとは別の、もう一つの流れを形成している。そして、カルヴァンもこのフランス・ユマニスムの影響を受けていると考えられるかのである。
 カルヴァンへのルフェーブル・デタプールの直接的な繋がりは定かではないが、カルヴァンがコレージュ・ド・ラ・マルシュ 時代に指導を受けたマチュラン・コルディエによって間接的に影響を受けたものと考えられる。また、オリヴェタン等を通しても、その影響があったと言われる。いずれにしても、カルヴァンの思想的背景にはフランス・ユマニスムスの存在があり、その教会改革へのより実践的傾向は、後にカルヴァンの草稿によるものと言われる友人ニコラス・コップがパリ大学の学長になった際の就任講演の内容 にも表れている。
 このような、エラスムスよりラディカルな教会改革的に対する実践的性格を持つフランス・ユマニスムスは、それゆえに挫折を経験する。改革を行うと言うことは、それに対抗する守旧派勢力があることを意味するが、フランスにおいては、それが保守的傾向が強いパリ大学神学部であった。このパリ大学神学部の圧力によって、先の述べたモーの人々は解散に追いやられるのである。カルヴァン自身も、先のコップの講演のカルヴァンの影響を疑われ、コップと共に講演後、亡命せざる負えなくなっている。このように、フランス・ユマニスムスはパリ大学神学部から迫害を受け、カルヴァン自身もはカトリック教会内での改革運動に挫折すると言う経験を持っている。
 また、カルヴァンとカトリック教会とのあいだのもう一つの対立として、父ジェラールの問題も考慮に入れておかなければならない。カルヴァンの父ジェラールは教会と問題を起こし破門される。そのため、その死 にあたって、教会から埋葬許可がもらえず、カルヴァンはすでに司祭となっていた兄シャルルと共に、父の埋葬のために奔走しなければならなかったのである。このように、少なからずカトリック教会とカルヴァンとの間には、彼の回心以前にすでに対立関係があったのである。
 以上のことを踏まえた上で、カルヴァンの回心であるが、カルヴァンは後に詩篇注解の序文で、カルヴァンに「突然の回心」があり、宗教改革に身を投じたと述べている。しかし、それは、単にカトリック教会の守旧的な教えの呪縛から解かれたと述べているだけで詳しい内容は記されていない。その部分を引用しよう。

 「わたしは教皇派の迷信にはなはだかたく溺れきっていたので、かくも深い泥沼からわたしを引き上げようとすることは、きわめて困難であったにちがいないが、神は突然の回心によって、年齢に比してはなはだ硬くなっていたわたしの心を制圧しこれを従順なものに代えられた。こうして真の信仰をいくらかでも味わい知った…」

 カルヴァンは、これ以外にも『サドレへの返書』においても、自らの宗教改革への転身のいきさつについて述べているが、そちらはもう少し詳しく記述されている。長い引用になるので中略を入れながら引用する。

 「ところで、わたしが受けた初歩的な教育は、わたしを特にあなたの神性への礼拝へと教化するものでもなく、わたしに救いへの確かな希望の道をつけるものでもなく、わたしをキリスト者の生活の義務に正しく訓練するものでもありませんでした。わたしは、たしかに、あなたをわたしの唯一の神として拝すること学びました。…中略…わたしは、教えられた通り、あなたの御子の死によって、この身が永遠の死のおいめから贖われた、ということを信じました。しかし、わたしの心に描いていた贖罪は、その効力がこの身にまでは到底およばないようなものでありました。わたしは、きたるべく復活の日を待望していました。しかし、それを思い出すことを最もわざわいであるように嫌っていました。そして、このような感情は、単にわたしに対して、個人的に支配力を持っていただけでなく、そのときキリスト教徒の教師たちによって、民衆にあまねく教え込まれていた教理から理解されていたものであります。…中略…かれらは、行いによる義に価値をおき、行いをもってあなたを和らがせたものこそ、かろうじてあなたの恵みを受けるのだとしたのであります。…中略…しかし、かれらの指示するそれの入手方法とは、あなたに与えた損害について償いをするということでありました。…中略…わたしがこれらすべてのことを、とにかく、成しとげたとき、多少とも静かな休みの間を持ちましたが、そしでもなお、良心の真実の平安からははるかに遠かったのであります。すなわち、わたしがいかにしばしば自己自身のうちに深く降って行っても、また、たましいを高くあなたに挙げましても、宥めの供えものや償いでは決して医すことのできない極度の恐怖が、わたしを打ったからであります。わたしが、おのれ自身をつまびらかに検討すればするほど、わたしの良心はより鋭いとげで突き刺さし、自己を忘却のかなたへ拉し去る以外に、残っている緩和策は何もないことになりました。しかし、それよりも良い手段が提示されていなかったために、わたしは、この道をとり続けました。ところが、非常にちがった教理が唱道されたとき、…中略…けれども、その新しさに反感をおぼえて、わたしは耳を傾けようともせず、最初は、告白いたしますが、熱心に、かつ勇気をふるって反対いたしました。まことに、わたしは、自己の全生涯が無知と誤謬との中にあったことを自認するように導かれるのを、嫌っておりました。(それは「人が生来、自分の一たび着手した道すじを固執する頑迷・固陋さでありました。)この新しい教師たちから、わたしを特に難問させていたのは、一つのこと、すなわち教会への尊敬ということでありました。…中略…また、この改革者たちは、そのすべてを確乎たるものとする最も力強い論旨を欠いてはおりませんでした。第一に、この人たちは、当時、教皇の優位を確立するために通例引用されていたことを、いかなることでも、実に明快に片付けました。これらの支柱のいっさいを取り払ったのち、かれらは、神の言によって、教皇をそのそびえ立っている高い座から転落させました。そこで、事情の許すかぎり、かれらは、教養のある人にも。ない人にも、教会の真の秩序がそのときには滅びていたということを、手に取るように、はっきりと教えてくれました。…中略…このことを、かれらは御子の証しの言葉によって確言いたしました。曰く『もし、盲人が盲人を手引きするならば、二人とも穴に落ちる』(マタイ15・14)。わたしの心が、今や、あたかも光によって照らし出さしたごとくに、厳粛な注意にそなえて整えらしたときに、自分が何という誤謬だらけの肥料つぼの中に転げまわっていたことか、また、そのとき以来、何という汚しとはずかしめとによってゆがめられていたかを悟らされたのであります。」

この文書から、宗教改革以前のカルヴァンの受けた教会教育における救済論はノミナリズムのそれであったことがうかがえる。その教えの中で、カルヴァン自身はキリストの贖罪が自分自身に十分に届いていないこと、すなわち自分が完全に贖われていないことを自覚し、またそれゆえに恐怖の中に置かれていた。この点ではカルヴァンは、塔の経験以前のルターと酷似している。
 このような中で、カルヴァンがカトリック教会に留まり続けていたのは、「それより良い手段が提示されていなかった」ためであり、また宗教改革による新しい教えが提示されてもカトリック教会への尊敬のゆえにそれを拒んだと告白している。とすれば、詩篇講解の序文でいう突然の回心が「教皇派の迷信にはなはだかたく溺れきっていたので、かくも深い泥沼からわたしを引き上げようとすることは、きわめて困難であった」その状態からの解放であったとするならば、そこには教会に対する尊敬の崩壊があったと言えよう
 カルヴァンは、サドレへの返信において、その崩壊は宗教改革者たちのしっかりとした論旨に基づく説得であったと述べている。この言葉をそのまま受け入れるにしても、その説得に耳を傾ける前にカルヴァンに何らかの内的変化があったことは認めなければならないであろう。というのも、カルヴァン自身が、同じ手紙の中で、当初新しい教え、すなわち宗教改革の教説を耳にした時、それを拒否し反対した事を述べているからである。従って、宗教改革者たちの説得を受けるにしても、それに聞く耳を持たせるだけの出来事が、それ以前にあったと考えられるのである。そこで考えられるのがカルヴァンの父ジェラールの埋葬の祭のカトリック教会の不寛容さであり、またモーの人々を始めとしフランス・ユマニスムスの人たちに対する弾圧 である。これらの出来事があって、初めてカルヴァンに宗教改革者たちの説得に耳を傾けさせたと考えられる。だとすれば、カルヴァンの宗教改革的回心の核にあるのは、カトリック教会に対する信頼の喪失である。そこに、救いに関する宗教改革的教説が、カルヴァンの思想的背景に会ったノミナリズム的救済論よりもより良い信頼ある手段として受容されカルヴァンの宗教的不安と恐怖を解決したと言えよう。つまり、カルヴァンの宗教的回心の経験は、カトリック教会への尊敬の崩壊であり、それはカトリック教会に対する信頼の喪失である。このような教会へ信頼の崩壊は、信頼と言う個人の内的な部分においておこる個人的経験である。このような信頼の喪失と言う経験は、それに伴う教理の信頼性の崩壊につながる。同時にカルヴァンにとっては、教理の崩壊は即、カトリック的教説から来る個人的宗教的不安と恐怖からの解放でもある。こういった状況の中で、宗教改革的教説、すなわち「信仰義認」という個人の内的信仰(fides quae credetur)に依存する極めて個人的性格が強い教説がより良い贖罪手段として知的に受容されていくのである。それゆえに、この「信仰義認」の教説の受容は、その解放の後から来るものであり、そう言った意味ではカルヴァンの回心は、アウグスティヌスやルターに観られた回心の2重構造はみられない。そこにあるカルヴァンの宗教改革的回心経験は、宗教経験としての回心と言うよりもは、むしろカトリック教会からプロテスタント教会への知的な理解にもとづく教理的転身である。そこにあるのは気付きや発見でなく、説得と納得である。これがカルヴァンの宗教改革的回心の経験を見えにくくしている理由であろう。
いすれにせよ、このようしてカルヴァンは、信仰義認というプロテスタントの中心的教義を知的受容として受け継ぐ。この知的受容という性格が、先に示したカルヴァン「取り除く」と言う言葉の中に、如何にして、私たちの罪が赦されるのかという刑罰代償節的な罪の赦しのプロセスの解明に努める姿勢の中に現れていると言えよう。

4)分析1 エラスムス
ホイジンガは、エラスムスには危機的宗教的な経験はないという。すなわち次のように言うのである。
   

 「エラスムスの精神的発展の一特徴は、急激な危機を記録していないと言うことである。あの多くの偉大な人たちが経験した苦しい内的なたたかいに陥った様子が見えない。文学的な問題に対する興味から宗教的な問題の興味へと移っていったいき方は、回心といった性質のプロセスではない。エラスムスの生涯には、パウロのダマスコ途上の回心に比するべきものがない。」

 このようなホイジンガのエラスムス理解は、エラスムスのもつ本質的な内的苦悩を全くくみ取れていない。エラスムスの内的苦悩は、生涯のある時期に感じられる内的危機的経験としてあるのではなく、生涯の始めからつきまとう苦悩の経験である。それは内的危機ではなく、生そのものの危機であり存在そのものを揺るがす存在の危機の経験であり、それは決して宗教的問題と切り離しては考えられない。
このエラスムスの存在の危機はエラスムスが司祭の子であることに起因する。言うまでもないことであるが、理屈上、本来的には司祭の子など存在し得ない。また倫理上は存在してはならないものである。その司祭の子としてエラスムスは生まれるのである。
 これはエラスムスにとって、まさに存在の危機である。それゆえにエラスムスは、その自分の出自を語るCompendium vitae において、その出生の事情を美しい物語に仕立て上げるのである。
エラスムスが、このように自らの出自にこのような装飾を施すのは、彼自身がその出自に対する負い目を持っているからであり、出生の出来事が彼の生涯に影を落とすものであって、むき出しの形で語れない事情がそこにある。すなわちむき出しのエラスムスの存在自体は社会から認められないものであり、むしろ社会から抑圧される存在である。
 もちろん、当時においては、司祭が愛人を持つと言ったことは少なからずあったようである 。しかし、それは公然の秘密であったとしても公認されていたわけではない。だからこそ、エラスムスはCompendium vitae においてエラスムスは、自分は司祭の子ではあるが、父が聖職に就く前に生まれたのであり、そこには父と母が引き裂かれれうという悲しい物語があると言うのである。そう主張しないと、彼は宗教的には存在しえず、社会的にも尊厳性がそこなわれ得ないのである
 もちろん、エラスムスの出生は、エラスムスの個人の負うべき罪ではない。それは、公然の秘密として存在しつつも公認しない社会から押し付けられた社会全体の罪であり、そう言った意味では、エラスムスは被抑圧者であり、当時の社会全体が抑圧者としてエラスムスに対峙している。当時のカトリック社会の中での、このような被抑圧者と言う自らの存在の意味そのものを問われるような経験は、まさに宗教的危機的経験である。
 もっとも、このようなエラスムスの宗教的危機的経験は、少年期に両親を亡くすということもなく、両親の庇護下にあったならば、顕在化し先鋭化したかどうかはわからない。しかし、少なくとも、両親の死と言う出来事を通して、エラスムスは、彼の後見人からエラスムス自身が決して積極的に望んだわけではない修道院に入り修道士なると言う道へ方向づけられていくのである。当時の社会の中において、エラスムスのような境遇のものが、修道院に入り、修道士になるということは決して珍しいことではない、むしろ社会的には一般的であったにしろ、そのことを積極的に望まないエラスムスにとっては、そのような社会一般のあり方自体がエラスムスにとっては支配的あり抑圧的であって、ここにおいても、エラスムスは被抑圧者である。
このようなエラスムスの危機的経験の根底には、当時の教会と社会とのひずみがある。従って、エラスムスの宗教危機的経験という実存には、社会との関わりが根深く関わっている。だからこそ、エラスムスの宗教性は、本音と建前によって教えと現実が二重構造化された教会のあり方や神学と生活が実践した神学ではなく、より単純であり、よる神学と実践が『一体化したキリスト教をめざし、神の国としての教会の形成(改革)が意識されているのであろうし、また、個人の罪の赦しと言うことが見据えられていたとしても、社会全体の浄化という視点が失われていないのである。

まとめとして
 ここまで見てきたように、ヨハネ1・29のκοσμος の解釈は、それを解釈する解釈者の宗教経験とその宗教経験の核にある問題意識が大きく影響していることがわかる。すなわち、アウグスティヌスは、自分の若い頃に侵してきた性癖問題、逃れ難い性への衝動が罪意識と結び付いたところから、人間の本性に宿る原罪の問題が捉えられ、そこから聖書解釈が展開されており、ルターは、死に対する恐怖と死と言う裁きを与える父と父の権威に対する恐れとがその根底にあり、そこからの解放の経験が彼の聖書解釈に大きな影響を与えている。
またカルヴァンはルターと同様に死と言う裁きに対する恐怖と言う宗教経験を共有しつつ、問題の本質に教会への信頼の崩壊といった事態がある。この信頼の崩壊が宗教改革的教義の知的受容と言った経験に繋がって行く。このような宗教経験や問題意識は突き詰めれば、そこに苦悩がある。
 つまり、救いという問題は、人間の苦悩からの解放だといえよう。 これはエラスムスにおいても同じである。エラスムスはその問題意識が社会からの抑圧であり、問題意識の中心は自らの内在する罪ではなく、教会と社会の歪が起こした社会的罪の個人へ転嫁にある。言葉を変えて言うならば宇宙論的な罪の影響化にものとで、個々人が罪の支配のもとにあるのである。そして、その罪がもたらす影響は、そのような自体に置かれた自己の苦悩として現れるである。
 ところで、アウグスティヌスやルター、そしてカルヴァンとエラスムスが感じている苦悩の内容は確かにことなっている。しかし長田これらは総括して、支配と被支配の問題に還元されよう。すなわち、アウグスティヌスにおいては自己の内在する罪が、自己を支配し自己は内在する罪に支配される被支配者であり、ルターにおいては、罪人である人間を神の義をもって裁く神が支配し、人間はそれから逃れるすべを持たない被支配者である。またカルヴァンにおいては、教会への信頼と尊敬言う内的感情が自己を支配しているであり、エラスムスにおいては社会と教会の制度と教えが自分を支配しているのである。
 このような、支配と被支配の構造の問題は、現代の日本社会はわれわれに対して極めて複雑な問題を突きつける。現代の日本社会においては個人の尊厳性は自明のこととなり、社会は個人の抑圧者であると言える。たとえば、経済活動は、経済至上主義の体をなし、個人を労働力という非人格化した存在として支配し扱う。また経済至上主義の一断面である利益追求主義はワーキングプアを産みだしている。これは、1900年代前半にすでもチャップリンの映画「モダンタイムス」において鋭く見向かれていた事態である。
 同時に、個々人は消費活動とより自己の快適な生活環境を求め自然を被支配者とし、自らは自然の支配者として君臨している。ここのエコロジーの問題があり、同時に、現在の日本は、福島原発事故に見られるように、自然の真の支配者とはなれない現実を突きつけられるつつ、なおも支配者としての地位を捨てようとはしていない人間の苦悩がある。
だからこそ、現代日本に身を置くわれわれキリスト者は、自らの教的伝統に遡りつつ、このヨハネ1・29のκοσμος をどう理解するかを真剣に考えなければならないであろう。それは救済論を含んだ大問題である。なぜならば、そこには個人の罪では解決のつかない苦悩があるからである。そのような中、私見ではあるが、被抑圧者として社会からの抑圧を問題点として捉えていたエラスムスの神学思想に、われわれの一つの指針を見いだせるように思われる。それは,エラスムスは、単に個人の罪に苦悩から出発したのではなく、神の国と悪魔の支配下にある「この世(κοσμος)」の狭間に置かれた抑圧された存在者としての苦悩があるからである。そして、その狭間におかれたなかで、教会の改革を通し、教会による「この世(κοσμος)」の克服が目指されている。それゆえにエラスムスには、この支配と被支配の構造を濃く降る可能性を多大に秘めていると言うことが出来るのではないだろうか。

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