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かわっち的に平成を振り返る 平成元年~平成10年(西暦1989年~1998年)

僕が生まれたのは1976年2月なので、平成になったのは中学1年の時だった。昭和天皇が崩御したニュースを聞いたのが、中学校の校庭で誰かから聞いた記憶になっているが、この記事を書くにあたり崩御した時間を調べたら、早朝だったので、きっと友だちと放課後に「昭和が終わるんだって」という話をしていたのが記憶に残っているだけかもしれないと思った。
昭和が終わる感覚は、平成が終わる感覚と少し違って感じてる。それは、年齢的なものかもしれないが、昭和が終わった時は絶対的なモノがなくなるような感覚。60年以上も続いた時代の残り十数年しか生きていないが、どこか終わらないものが終わる喪失感に似ているかもしれない。
平成が終わり令和を向かえるにあたり、あまり感慨深さを感じないのはなぜだろうかとも思うが、きっと自分は昭和の人なんだろうと思う。中学から平成なので、青春時代は平成と共にあるのだが昭和の人というのがしっくりくる。

マーケティングリサーチ会社なので、アシスタントのサトウに平成を項目ごとに整理して年表にまとめてもらった。そして、まったく私的に振り返ってみようと思う。

まず、最初の10年、中学~大学生時代。
この中で、流行に乗っかったなとか、自分の人生を大きく左右したなと思う事柄を上げてみたが驚くほど少ないことに気づいた。

1990年 ちびまる子ちゃん 
親戚の家にあった漫画を読んで面白くて、アニメ開始からハマって見ていた。

1991年 東京ラブストーリー、101回目のプロポーズ
中学時代が一番ドラマにハマって見ていた。高校以降は、ドラマ自体をまともに見なくなってしまった。東京ラブストーリーには、都会的で憧れを抱いていた記憶がある。

中学3年で、流行を追うのを止めてることに気づいた。1992年以降は、確かに流行ってたなぁ~とか懐かしいなぁ~とか思ってみてもどこか他人事。当時、自分は何をやってたんだろうか?と思い返しても、特に高校時代は明確に何かをやった記憶がない。ただ、ダラダラ怠惰に無駄に過ごしていた。友だちとよく遊んだ記憶はあるが、取り立てて刺激的だったわけではないなと思う。埼玉の田舎の公立高校の感度の低さとつまらなさに東京生まれ埼玉育ちの僕はアイデンティティの置き場に困ってたような思い出がある。
平成元年から平成10年は、日本が元気で、流行歌やヒット商品があってモノに寄って個人が形成され、渋谷が輝いてた時代だったんじゃないかと思う。まだまだ右向け右の時代。

#エッセイ #コラム #日記

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