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Cの時代 〜変化する渋谷、変質する自分〜

はじめに

人々が奴隷化し中間コミュニティが壊滅的に消滅しカビの生えたような劣化したシステムにすがることで安心し小さな虚構的コミュニティを行き来し身体とココロが分裂しかけているフラット化した社会。常識的感情はネットに浮上しない。デジタル化した社会を傍観することで非デジタル化し身体とココロの在り方を確かめながら恐怖的テクノロジーと思考停止することでしか解決方法を見いだせない諸問題を歴史の流れのように受け止めている。

進む合理化の中で劣化した中間コミュニティを吐き気がするほど強固に暴力的に維持しようとする同調圧力。信じた正義が揺らぐと人間は暴力的になる。受け入れられるのは数字とお金。心の奥底から溢れ出しそうな感情に蓋をする。

国家、地域、メディア、会社、学校、個人、ネット…。

両手にすくった水が指の間から零れ落ちるように滴り落ちる感情。
ふわふわとした声なき声。言葉にならない小さく揺れ動く感情。
そして、今日を生きる。


変化する渋谷、変質する自分

自宅兼事務所のある東急田園都市線の用賀から赤坂や表参道に打ち合わせに行った帰り、よほど雨でも降っていなければ渋谷か池尻まで歩くことにしている。街の景色を眺めながら、頭を整理するにはちょうどいい時間。いきなり地下鉄に乗ってしまうと仕事が仕事として処理されてしまい現実の世界に落とし込めない。だから、仕事と現実をつなぎとめる為、街の変化と街ゆく人々の顔を眺め、頭と感情を整理しながら肉体的な疲労がともない一人の人間として現実世界で処理されていく。

仕事の帰り、109の前を過ぎて道玄坂を目黒方面に上っていくと右手にユニクロ、ファミリーマート、モスバーガー。多くの若者やサラリーマンが行き交いたむろしている。多くは、20~30代の男女。
同じスピードで歩く後ろの学生らしき2人組の女性が話す言葉が日本語だと認識するまで数秒かかる。数年前から若者が話す言葉が日本語に認識できないことがよくある。
笑い合う集団。笑顔が笑顔だとわからない。どこか人の顔が記号的。

数年前までは、道玄坂を歩けば客引きが多く寄ってきたが、迷惑防止条例で客引きの数自体が少なくなったこともあるが、声をかけられることがめっきり減った。

そんな中でも「お兄さん、あそ・・・」と声をかけるくる中国人の女性もいるが
軽く右手を上げ断る仕草をするとそこからしつこく付いてくることもない。

渋谷という歓楽街にあって、ここ数年で自分が異質なものになりつつあるのがわかる。
年を取ったせいかもしれないが、街や人から薄っすらと感じる「この人は何なんだろう?」という異物感。
直接的じゃない感情が排除されつつある街。目と目が合わない。
街からドラマ性が失われつつあるのがわかる、人間を求める人間は異物。
もはやそんなことを心の底から求めているわけでもないが、泥臭い時代を少しでも生きた人間から発せられる人間の獣臭。人間の欲望を相手にしてる街は、獣臭を敏感に察知する。

「相手にしない方がいい」

少し変な人になりつつあるんだなと肌で感じ、そんな自分を認識し少し笑みがこぼれる。自分と街と時代を感じる瞬間。大衆の中での自分の位置づけ。

「これから、どんな会社にしていこうか?」

自分が立ち上げた会社の未来を考える。

街も人もネオンも全てが猛烈なスピードで過ぎていく風景。

20年前、インドに行った時、ジャイプルという街で強盗未遂にあったことが蘇る。しつこく付けてきた二人組のインド人を振り払うように、カフェに入ると、その二人組もカフェに入ってきた。僕の席の隣に座ると、一人はマシンガンのように僕に話しかけ、もう一人は店員となにやら話し込んでいる。怪しい雰囲気。危険な臭い。

運ばれてきたチャイを警戒しながら一口舐めると、首がガクンと落ちた。

「まずい!」

代金をテーブルに置き、すかさず席を立って二人組を振り切るように急いで街中にまぎれ込んだ。旅行者目当ての強盗、おそらくアヘンを入れられたんだろうと思う。この時、警戒せずにチャイを飲んでいたらと思うと寒気がする。身ぐるみ剥がされるのはもちろんだが、命があったかどうかも怪しい。内臓を売られていてもおかしくはない。

だから、自分の感覚を信じる。
都会の中で劣化した五感を研ぎ澄ませる。

他人と自分を隔てるもの。

自分を信じることでしか未来は存在しない。

「どんな会社にしていこうか?」

道玄坂を歩きながら、自問自答を繰り返す。

河原敬吾

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