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自分の倫理観がバグってるのは一度棚の上に上げて言わせてもらいますけど。

俺はまだキン〇ヌーのサマソニ事件を許していない。
楽屋ノリ身内ノリで人前に立つそのプロ意識の低さ、その程度の意識でやってんなら一生小汚いキャパ2くらいのトイレみてぇなライブハウスでこそこそとやっててくれ。と思ってしまうのだ。

あともっと言えば周りの大人も止めろな、ということだ。
今回もそれと同じようなこと(というか今回はそれ以上にひどいが)が起きてしまった。詳しくは今Twitter(自称X)を見てほしい。
乗り遅れてしまった人は、コロンブスとかで検索すれば出てくると思う。

本件について自分もバンドをやっている手前、自分のスタンスについてもう一度考えなおす必要があるように思えたのでこうしてPCの前に座り、キーボードを殴ってる。

説明を端折った上で結論だけ言うと
自分はやはり音楽家にしろ、配信者ないしユーチューバーにしろ突然多くの人前に立つことになりそれがその人気や人数に押されてそれが権威化してしまうことに関しての忌避感がある。

そもそも論で自分のやっている音楽ジャンルはサブジャンルの中のサブジャンルのなかの更にサブジャンルである。

人気になったり多くの人に受け入れてもらえるような音楽ではないので間違ってもこんなことにはならない。

さらに言えばそういった権威的な価値観へのアンチとしての音楽、パンクロックのサブジャンル(パンクロックがそもそもロックのサブジャンルなので我々のやっている音楽はサブジャンルのサブジャンルのサブジャンルのサブジャンルぐらいなのだ。)をやっている。

だから、現実的に見ても自分の態度や姿勢的に見ても自分たちがそもそも論権威として多くの人に講釈垂れるような立場に立つことはまず絶対ないのだけど、そうなってしまうことに対しての忌避感がなおある。という話。

なぜなら仮にもし突然何かの間違えでそういったジャンルが爆発的に流行してしまったとして自分たちが有名になってしまったらそれらをコントロールすることはまず不可能である。

だから、自分が序文で示した
「楽屋ノリ身内ノリで人前に立つそのプロ意識の低さ、その程度の意識でやってんなら一生小汚いキャパ2くらいのトイレみてぇなライブハウスでこそこそとやっててくれ。」は
あくまで理想論であり、そんなことは当の本人がそう居たいと思っても有名になってしまった以上どうすることもできないのだ。
だからこそ俺はそういった人々が自分の人気という権威と発言の強さ。
そんでもってその責任の重さに自殺したくなるほどにもっと自覚的であり続けなければならないと思う。
そして、周りの人間はそういった重圧から少しでも彼らを救うためにリスクマネジメントをするべきである。

Vtuberの不祥事だってそうだ。
トカゲのしっぽ切リのようにアーティストや演者を切るのではなく、大きな会社がその責任を取り、リスクマネジメントする必要があるだろう。

なんか疲れた。
特に考えまとまってなかったので、駄文のまま終わらす。
もう少し公正する気になったらいじるかも。終わり・

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