傘を持って父を待つ

今朝家を出たパートナーが、傘を忘れたと。
夕方の帰りの時間は雨予報。
必要ならコンビニで買えばいいよ。
と伝えた。
全くエコロジーではないけれど…
パートナーもそのことを気にして、
私の意見が知りたかったのだと思う。

最近睡眠不足が続いている彼を、
雨の中30分歩かせるのは酷だ。

ふと、小さい時
予期せぬ雨が降ると
母と弟と一緒に父の傘を持って
駅まで行った記憶が蘇ってきた。

私も弟も小学生くらいだったかな。
手を繋いで、
それぞれ赤と黄色の小さな傘をさし、
母が父の長くて立派な黒い傘を持って
改札の前で父が出てくるのを待っていた。

携帯の無い時代、
どの電車に乗ってくるのか定かではない。
電車が到着するたびに改札から押し寄せる
沢山の人の中から父を夢中で探した。

父は私達が3人並んで待っているのを見て
驚くのと同時に、顔をほころばせて
頭を乱暴に撫でてくれた。

そうか。
私達のような
後に崩壊する家族でも
幸せなときはあったのだ。

社会や会社が
人に、ここは安全な場所ですよ。
という安心感を与えられる場所なら。
人は優しくなれたのだ。

元から、卑屈な人などそうそう居ない。
環境が、悪い運の積み重ねが。
人を疲弊し、認知を歪ませ、悲しくさせる。

私は、小さかった頃の
改札の前で父をワクワクして待っていた
あの気持ちを大切にして、
何度も何度も思い出して、
再刷り込みの作業をしなければならない。

今刷り込まれている、恐怖と不安の記憶を
可愛がってもらえた記憶、
愛されていた記憶と
置き換える作業。

それを一つ一つ
毎回毎回やっていけば
私は、愛されていた記憶をベースに
持つことができるかもしれない。
今更という声が、私の中から聞こえるけど。

でも。
ほんの少しでも
家族らしい、楽しい記憶があるのなら
それだけを覚えていたっていいじゃない。
記憶を、嘘の記憶に作り変える訳じゃない。

幸いにも、私の脳は私のものだ。
今のところは。

あのとき、改札には駅員さんが立っていて
切符を切っていた。
カチカチ カチカチと
リズムよく。
あの音と、父の笑顔と
弟の小さな手モチモチとした肌の感触。

これらを大事に覚えていよう。

思い出せて良かった。


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