見出し画像

『何もかも憂鬱な夜に』 中村文則

 何かになりたい。何かになれば、自分は生きていける。そうすれば、自分は自分として、そういう自信の中で、自分を保って生きていける。まだ、今の自分は、仮の姿だ。
 苛々する。苛々して仕方ない。どうすればいいのかわからない。全然わからないし苛々するしどうしようもない。むしゃくしゃする……。これは、今だけなのだろうか。思春期だからか?こんな風に生きてくのはたまらない……。考えるしかない。考えて、一番いい方法を、考えるしかない。

 自分には、何かがあるような気がする。何があるのかはわからないが、何か、特別なものが、あって欲しい。……詩を書いたり、写真を撮ったりしながら、生きていけないだろうか。形のないものを言葉で、形のあるものを写真で。写真のような言葉、言葉のような写真を撮れないだろうか。言葉で、巨大なものを、目に見えない巨大なものを、表現する。言葉は力だ。

 やはり、僕はプライドが高くて、傷つきやすい。

 ギターを買う。でも、Fのコードが押さえられない。問題は、Fのコードが押さえられないことではなく、その努力をしたいほど、ギターを弾きたくないということだ。

どうしてこんなに、才能がないのだろう。

 こんなことを、こんな混沌を、感じない人がいるのだろうか。善良で明るく、朗らかに生きている人が、いるんだろうか。たとえばこんなノートを読んで、なんだ汚い、暗い、気持ち悪い、とだけ、そういう風にだけ、思う人がいるのだろうか。僕は、そういう人になりたい。本当に、本当に、そういう人になりたい。これを読んで、馬鹿正直だとか、気持ち悪いとか思える人に……僕は幸福になりたい。

 僕は嘘ばかりついてないか本当はセックスがしたいだけなんじゃないか恵子を襲いたいだけなんじゃないか。

 このノートにどこか一つくらい、いいことが書いてないだろうか。

『何もかも憂鬱な夜に』中村文則

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?