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【第1話】ある女性の話。

 その女性は、当店の開店当初、いや、まだ店の工事中の時から話し掛けて来た。
「ここ、何ができるの?」
から始まって。
うちが糸ノコでカウンターをギコギコしてようが、サンダーで磨いてようがペンキ塗りに悪戦苦闘してようが、人の都合もお構い無しに話し掛けてきて、内容はその女性の身の上話。
サンダーの音と電車の音と自分本位な身の上話で時々何を言ってるのか意味がわからない時もあるけど、そんな時はテキトーに相槌を打ってる。
とにかく、北関東訛りのある早口で身の上話しかしない。
お歳は当時で60前後だったのかなぁ……おそらくずっと独身。
開店まで約2ヶ月掛かったけど、店をオープンさせる頃には、その女性が猫好きで捨て猫拾って3匹飼ってるコト、その女性の叔母さんがガンになり、唯一の肉親である自分が東京と北関東を行き来して看病してたコト、そしてその叔母さんがつい先日亡くなり、葬儀や色んな手続きや遺品整理で大変だったコトを、べつに知りたくも無いのに、色々知れてしまった。
開店してからも、準備中に通り掛かると必ず話し掛けてくる。
この女性はうちの店で飲食する気もテイクアウトする気も無いのは一目瞭然で。
うちとの唯一の共通点は猫好きだという事。
特に話す事がみつからない時は、「猫ちゃん元気?」と、うちの2匹の猫について尋ねてくる。
当時うちの飼ってた2匹のうち1匹が余命2週間宣告をされつつも、薬と2日おきの点滴のせいなのか、猫がすごく頑張ってくれて3ヶ月も長生きしてくれたので、そんな話を聞いてもらったり。
 それから暫くして、その女性は都営団地の抽選が当たったので、引っ越す事になった。
っていっても、元のアパートからおそらく1km圏内で。
そんなにも距離無いかもな。
ある時自転車とか台車に大荷物を積んで1日に何往復もしてたので訊くと、「引っ越し!!近いから自分で運んでるの!!」と返ってきたぐらいだから、おそらく、ソコとソコ、みたいな距離。
ただ、猫は飼えなくなるので、知人が3匹を飼ってくれる事になったから、たまに餌持って猫と知人に会いに行く、と。
そして当店の開店から12年経った今も、相変わらず話し掛けてくる。もちろん彼女の身の上話か、うちの今の猫のこと。

 先日、開店準備をしていると、
「あーーー、オネーチャンオネーチャン!!」と、買い物用のキャリーバックみたいなの引きながら、例の女性が勢いよく駆け寄ってきた。
ただ、こんな駆け寄ってくるパターンは初めてで。
何かと思ったら、キャリーバックの中から箱を取り出し、
「あのさ、これ知ってる?これ買いたいんだけどさ、」
と、その空箱を見せられた。箱には圧力鍋の文字に写真。
「勿論知ってますよ笑。これ、初めて使うなら気をつけないと怪我する事ありますよ」
と返すと、
「いや、大丈夫。だからさ、これ、買いに行くから書いてよ💦」と。
こちらは開店準備中でご予約も入っててバタバタしてる最中で、ちょっと煩わしくなった。少し苛立ちつつも、
「書く?書くって何を?」
と聞き返すと、
「だからコレ。この箱の、」
と、パッケージの商品名をこちらに見せてくる。
「ホントに大丈夫ですか?お友達にこれいいよ、って言われたから買おうとしてるんじゃなくて?ホントに使った事あります?」
と、もう一度聞き返した。
なぜなら、この女性がちょっとヌケてるのかおっちょこちょい的な部分が窺えるのと、料理が苦手なうちの祖母が、圧力鍋を多用していたにも関わらず、蓋に付いてる圧力を抜くピンみたいなのを外すタイミングを間違えて、ピンが物凄い勢いで吹き飛んで、額に怪我をしたことがあるから。
すると、
「大丈夫!!ずっと使ってたから!!だからここに書いて!!」と、女性も少し苛立った様子で、裏の白いチラシを切ってメモ帳代わりにした物を差し出してきた。
でも何を書いて欲しいのかが全くわからない。
「えっ!?何を?」
ともう一度聞き返すと、
「だからコレ!!」
と、圧力鍋のパッケージを突き出してくる。
「圧力鍋?」
と聞き返すと、
「そう!!」
「えっ!?圧力鍋の何を?使い方?イラスト?」
「違う!!だから!!アタシ字が読めないからさぁ!!」と。
やっと意味がわかった。
わかったけど、一瞬頭の中が真っ白になって、自分でも顔が熱くなるのがわかった。
「あつりょくなべ、って、ひらがなで読み方を書けばいいの?」
と、なんとか平静を装って訊くと、
「違う!!店員さんに見せるから漢字で!!」と。
なんか少しパニクって、平静を装おってはみたものの、自分の声が少し震えてるのがわかった。
こんな経験初めてだったから。
日本人相手では。
外国人の多いこの町で、近隣の飲食店のネパール人やバングラデシュ人やパキスタン人のオーナーに日本語で書かれた契約書等の大量の書類を持ってこられて、書いてある内容を教えてくれ、と言われた事は何度かある。
「これはうちが解説できる様な簡単な書類じゃない。すごく大事な契約の書類だから、まずはこの書類を信頼できる機関でご自身の国の母国語に翻訳してもらって、全部ちゃんと読み返してからサインしたほうがいい」と、返した事が何度かあった。
だけど、自分と同じ日本生まれの日本人で、うちの両親と近い歳の昭和生まれであろう女性に、まさか「文字が読めない」と言われるとも思わなかったし、おそらくそれをコンプレックスに感じてたであろうし……なのにその言葉を言わせてしまった自分の配慮の無さに恥ずかしさと苛立ちをおぼえた。
こちらから訊いても無いのにあれだけ身の上話をペラペラ喋りまくる彼女が、この12年間でそれを一度も語らなかったのは、よっぽど言いたくなかったに違いない。
女性に
「最近、外国人店員さんも多くて漢字読めない人も多いから、念の為、ひらがなでふりがなも書いておきますね〜」
と、パニクってなんか回りくどい言い訳がましい言い方をしてしまったのも、ホントは彼女が"圧力鍋"という商品名を思い出せなかった時用にひらがなで書いてみたものの、後で考えたら、彼女はひらがなも読めないのかもしれないな……と。
書いたメモを渡すと、彼女は急に笑顔になり、メモを丁寧に折り畳んでお財布にしまった。そして圧力鍋の空箱をまたキャリーバックに入れると、
「ありがとね、ネーチャン!!」
と笑顔で元来た道を帰って行った。
帰って行った後ろ姿を見ながら、ハッとした。
彼女は今日、わざわざ圧力鍋という文字を書いて貰うためだけに、うちに会いに来たんだ、と。
彼女は12年間、いつだって通りすがりで声を掛けてきた。家の方角から駅へ向かう途中、もしくは駅から家へ向かう途中のうちの店だったのに、今日は家の方角から来て、家の方角へ戻って行ったから。
そんな事、今まで一度も無かったのに。
あぁ、そうか、うちは今日彼女に選ばれたのかもしれないな、と。
そして開店工事の頃を思い出してハッとした。彼女が叔母さんの看病しに病院へ通ってた時も、亡くなった後の色んな手続きやお葬式も、あの時自分が想像してた以上に、彼女にとってはめちゃくちゃ大変だったんだろうな、文字や書類だらけで、と。
彼女は読めないだけじゃなくて、おそらく、自分の名前と、長く住んだ家の住所以外は書けないのでは無かろうか…。
新しく引っ越した都営団地の住所は、前のアパートの町名と同じだったのだろうか、とか、番地が変わっただけで済んだのだろうか、とか余計な事を色々と考えてしまった。
 自分の中で物凄く当たり前だと思ってた事が、この令和になっても当たり前では無い事が時々起こるのがこの大久保だという事を、すっかり忘れてた。

 あれからまだ一度も彼女の顔は見て無い。
無事に圧力鍋を買えてるといいけど、、、

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