見出し画像

23年生きた猫。 僕とミミの話。

今日は2月22日ということで、かつて私が飼っていた猫の話をしようと思う。

■ミミとの出会い

小学2年生になった僕は父の仕事の都合で引っ越した。当時、内気な僕は新しい小学校に馴染めず1人で放課後を過ごすことが多かった。そんなある日、玄関に近所の数人の小学生がやってきた。

「子猫を飼ってくれませんか?」

ダンボールの中には1匹のサバ猫。目も開いていない子猫だった。動物好きな僕はひと目見てこの子が気に入ってしまった。

しかし、家は一軒家ではあったけどいわゆる官舎で本来、動物を飼うことは禁止されていた。事前にそう聞かされていた私はワガママも言わずに諦めようとした時、一緒に子猫を見ていた母が言った。
「飼っちゃおうか」と。

それが僕の愛猫との出会いだった。

子猫の名付けは母がした。名前は「ミミ」、メス猫。自分で名付けるということも知らない僕は素直に受け入れた。

ミミちゃん。かわいい名前だと思った。

それからちょくちょく近所の小学生と遊ぶようになった。
ミミは一人ぼっちの僕に友だちをくれた。

そして僕が学校でいじわるをされて泣いて帰ってくると、スッと寄り添いゴロゴロを喉を鳴らしながら涙に濡れた頬を舐めてくれた。ミミは僕の親友だった。

■賢い猫ミミ

ミミはとても頭のよい子だった。我が家は官舎であったため、数年に一度、本社から自宅を検査することがあった。

もし、大人たちにミミのことが知られたらミミは捨てられてしまうかもしれない。僕は大人がくる日の朝には必ずミミに言い聞かせた。「いいかい。これから来る大人の人に見つかってはダメだよ」。

すると不思議なことに、普段は縁側や部屋の片隅で寝ているはずのミミは一切、姿を表さない。そして大人たちが帰った後に、どこからともなく現れてニャーとなくのだった。

中学生くらいのときに父に聞いたところ、実は検査にきた大人たちは皆、猫を飼っていることを知っていたらしい。部屋の真ん中にある大黒柱には猫の爪とぎの後がびっしりとあったから。築50年を過ぎた戦前からある家でもう次に誰かが住むこともないだろうということでお目こぼしをもらっていたのだそうだ。

近所でも評判の美人猫だったミミ


■不思議な猫ミミ

ミミはとても頭のよい子だった。なので不思議な話がいくつかある。これは友人にいっても信じてもらえなかったある日の話。

僕は軒下で近所にできたばかりのコンビニ(当時は珍しい)で買った50円のヨーグルトアイスを食べていた。季節は多分、春と夏の間。軒下には涼みながら隣で丸くなって眠るミミがいた。僕はミミの隣に座り、小さな庭を見ながらつぶやいた。

「今日はいい天気だね」

「うん。いい天気だね~」

おそらく女性の、でも年齢がよくわからない声にギョッとして辺りを見渡すが庭にも玄関にも誰もいなかった。隣に寝ていたミミと目があった。薄めをあけて僕を見ており、(アッ、ヤベ)というなんとも不思議な人間臭い表情をした。

夢見がちな僕でも猫は人語を話さないことは知っていた。でも頭のよいミミなら人語を話しても不思議ではないと素直に思った僕は「ミミ、アイス食べる?」。ヨーグルトアイスをミミの鼻先に近づけた。ミミはスンスンとにおいを嗅ぐと興味なさそうにあくびをして、そのまま目をつむった。

それからはミミが人語を話す姿を見ることはなかった。

■ミミが病気に

ミミはもうすぐ20歳になる。それでもミミは足腰も元気で食事も量こそ少なくなったがしっかりと食べていた。ところがある日、急に全身を固くし激しい痙攣を起こした。1,2分の出来事であったが目の前での出来事に私はひどくうろたえた。痙攣が収まるとミミは何事もなかったように毛づくろいをし、やや興奮した面持ちで大きく鳴いた。

すぐに病院に連れて行った。獣医さんは私に言った。「腎臓が弱っていますね。猫の宿命です」。「治るのでしょうか…」。「…いえ、腎臓の機能は治りません」「あ、あとどのくらい…生きていられるのでしょうか…」「半年か、1年か…猫によりますね…」

私は思わず息を飲んだ。すると勝手に涙が溢れてきた。社会人となったいい大人が滂沱の涙を人前で流していた。

猫用のバスケットに入れられて超絶不機嫌に鳴いていたミミが途端に静かになった。バスケットをあけるとミミはじっと私を見つめ、そして頬に伝う涙を舐める。小学生のときと同じようにゴロゴロと喉を鳴らしながら。

それから私と母とミミの闘病生活が始まった。小さな粒上の炭を飲ませたり、痙攣予防の薬を飲ましたりと。月日は流れるーー。

■ミミと最期の夜

ミミが初めての痙攣を起こしてから3年が過ぎた。ミミの食は細くなり、骨と皮が目立つ体になっていた。あのしなやかで美しい姿ではなくなったがそれでもキラキラと光るグリーンの瞳は子猫の頃から変わらない。12月に入り、とうとうミミは自力で歩くことも困難になっていた。私と母はミミが入っているダンボールを横に置き、一日おきに交代で一緒に寝ることにした。何かがあったときにすぐに対応できるようにと。

12月26日、朝、母が会社に行こうとする私に言った。

「昨日ね、ミミが夜中に起きてきたの」

「それでね、ダンボールを一生懸命に出ようとするの。手を貸してね、布団に入れてあげたら私の腕に顔を置いてね、ゴロゴロいうのよ。5分くらいかな?そうしたら満足したように、また自分からダンボールに戻っていったの…」。

12月27日、今日は私がミミの側で寝る日だ。深夜、うつらうつらとする私の耳にミミの声が聞こえた。ニャー…。細い声。私はダンボールを覗き込む。ミミはダンボールに手を掛けて外に出たがった。僕は手を貸して自分の布団に入れた。するとミミは僕の腕に自分の顎を乗せ、満足げにゴロゴロと喉を鳴らし始めた。

僕はすべてを悟った。ミミの体を撫でる。骨と皮だけになった体を。尻尾は先っちょが少し曲がった鍵シッポ。母の時と同じように5分ほどするとミミは顎をあげてゆっくりと布団から出ていく。僕はミミの体をダンボールに横たえさせると。朝まで小さなお腹が呼吸に合わせて動くのを眺めていた。

12月28日、ブラック企業であっても今日は仕事納めだ。昨日の徹夜がこたえているが気にならない。母に昨日の夜のことを伝える。母もすべてを悟ったようだった。「今日は何が何でも帰るから」。

夕方の仕事納は時間通り。僕は会社を飛び出した。当時は携帯電話も持っておらず、ただただ祈りながら。

家の玄関を乱暴にあけて居間にいく。

ダンボールの中に冷たくなったミミがいた。
昼過ぎに大きく息をして、そして静かに、静かに、動かなくなったそうだ。

僕は雄叫びをあげた。人生において初めて大声で泣き叫んだ。まるで漫画みたいに。オオオオオオオ…!涙が止まらなかった。30歳を目前にした大の男がこうも泣けるのか。(いま、この文章を書いているときも当時を思い出して涙が止まらない)

ミミは23年生きた。猫としては超長寿らしい。
ミミはとても頭のよい子だった。そして優しい子だった。
私が大の猫好きになったのはミミのおかげ。

近所の猫を撫でる時、私はミミのことを思い出す。
とりあえず、他の猫との浮気は許してね。
いつかまた虹の向こうでミミに会えると思えるから。

#私小説 #猫 #猫の日


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?