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ごんぎつねは理不尽なお話?【国語科・4年・ごんぎつね】

国語の教材読解の視点の流れとして,

①作家論
②読者論
③テクスト論

の3つがあります。

国語だから感じ方は,人それぞれだから〜
って言っているのは②の立場をとっている人になります。

かつては,作者の意図は?などと問う発問や試験問題が多数あったように思います。
(私の国語の授業イメージもそうです,作者の気持ちなんて作者しかわかんねーよ!と思っていました)
実際,このような問題に原作者が直面すると,原作者本人もわからなかったり,そんなこと思ってねーよ!ということがあったりしたそうです)

だから,主流となってきたのは,
言葉として(テクスト)こう書いてあるから,こう読めるよね,というテクスト論でした。
(実際多くの指導は,叙述をもとに行われているはずです。妥当性が一番高いものが説得的であり,共感を得やすいはずです)
筆者が意図していないことまで文章には表れているため,筆者の考えを離れて論理的・説得的に叙述をもとに語り合うことが可能となります。
有名なのは,中学生が発表した「メロスは実は歩いていた」という論ですよね。大きく捉えれば,空想科学読本なんかもテクスト論の範疇のように思います。


さて,ごんぎつねに話を戻しますが,
ごんぎつねを理不尽なお話だ!と捉えるのは,個人的には②で捉えているように思います。つまり,人それぞれになるということです。

僕なりの解釈を取り入れるのなら,
あえて「〇〇から聞いた話です。」(村の茂平でしたっけ?)という前文を入れるということは,村人の間で代々伝わってきた話であるから,人間からしてこの話は理不尽とは捉えられないのでは,と思うからです。
理不尽な話だよね〜とするなら,狐たちの間で語り継がれてきたという前話を入れるべきだと考えます。(まあごんは一人ぼっちなので,絶対的に矛盾するのですが…)

つまり,かなりごん側に加担した読み方をしているのではないかということをお伝えしたいのです。ただし,これはそういう描かれ方(ごんを中心人物とした物語)で読まされているから,子どもたちも絶対的にそう捉えやすいのです。4年生の子供たちにとって,物語は中心人物に同化して読むのがデフォルトで,異化して物語を俯瞰的に読むのはトレーニングが必要ですから。

もし,このお話の学習がもう少し続くのなら,「ごんぎつねは理不尽なお話」の内実を,『兵十こそが「理不尽さ」を一番感じていた』お話という部分にもふれていただきたいと考えました。なぜなら,

兵十の流れ
うなぎを勝手に逃がされる
いわしの盗人扱いされる
→ごんに激おこプンプン丸

おっいたずらぎつねめを発見!
→よっしゃ今日こそ倒したぜ!!
→…えっ神様っおまいさんっ?!
→感謝の気持ちをきちんと伝えたかったのに…
→ごーーーーーーーーーーーーーん!!!!

兵十は,やったぜ倒したぜ!からお礼を言うべき存在であった神様を撃ったことを知るので,奈落の底に突き落とされる訳です。そもそも鉄砲を持ち出すくらいなので,相当ごんへの恨みつらみは溜まっていたはずです。それなのに,ごんが届けていた事実を知り,そしてそのごんを撃ち殺してしまったときの心情たるや…


記憶が定かではありませんが,確かごんぎつねか4年生の指導事項として「視点」という言葉があったと思います。このお話では「視点」を大事に指導した方がよいと様々な研修会で学んできました。六の場面では,「視点の転換」が大事な意味をもちます。

【ごん】
その明くる日もごんは、くりを持って、兵十の家へ出かけました。兵十は物置でなわをなっていました。それでごんは、うら口から、こっそり中へ入りました。
ーーーーーーーーー視点の転換ーーーーーーーー
【兵十】
 そのとき兵十は、ふと顔を上げました。と、きつねが家の中へ入ったではありませんか。こないだうなぎをぬすみやがった、あのごんぎつねめが、またいたずらをしに来たな。
 「ようし。」
 兵十は、立ち上がって、納屋(なや)にかけてある火なわじゅうを取って、火薬をつめました。
 そして足音をしのばせて近よって、今、戸口を出ようとするごんを、ドンとうちました。ごんはばたりとたおれました。兵十はかけよってきました。
(兵十は撃ったごんを見ようともしない)

家の中を見ると、土間にくりが固めて置いてあるのが目につきました。
(まず,家の中を見たということは,ごんのことよりも家の中にいたずらをされていないかを心配している)

「おや。」と、兵十はびっくりしてごんに目を落としました。
(ここでようやくごんを見る。それまでごんには目もくれない,本当にとるに足らない存在として扱っている)

「ごん、お前だったのか。いつもくりをくれたのは。」
 ごんは、ぐったりと目をつぶったまま、うなづきました。
 兵十は、火なわじゅうをばたりと取り落としました。青いけむりが、まだつつ口から細く出ていました。(おわり)

このように捉えると,本当にごんと兵十の気持ちのすれ違い,ごんが徐々に兵十に寄り添ってきたにもかかわらず,二人の間にある途方もない溝が実感できると思います。
六の場面を動作化してみると,この兵十の気持ちが行動にあらわれている場面がより実感できるかもしれません。

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