【今日の一枚】Tolcsvay László - Magyar Mise

また東欧の名盤を見つけてしまったので紹介します。

今回は冷戦末期のハンガリーから、トルチュヴァイ・ラースローの1987年の大作、"Magyar Mise"(マジャールのミサ)を紹介します。ジャケットがおかしいのはご愛敬?

マジャールとはハンガリー人の自称で、ハンガリー語で歌われるミサの形式を参照したコンセプトアルバムとなっています。

このアルバム、ロックバンド編成にオーケストラ、合唱団を従えた壮大なスケールの作品で、お金と手間のかけ方が素晴らしい!プログレに分類するのは憚られるものの、シームレスな展開とオーケストラの効果的な配置によって、プログレファンにも刺さりそうです。

これはヘッドフォンではなくスピーカーで大音量で、CDではなくレコードで聞くべきです。圧倒的なスケール感と印欧語族と一線を画すハンガリー語の世界に包みこまれることでしょう。


ロック・オラトリオなるジャンルに分類されるように、ロックとクラシックやキリスト教伝統音楽を融合させたプログレッシヴな仕上がりですが、コーラス隊によるハーモニーが他のプログレとは一線を画すサウンドを生み出しています。

そこにハンガリーの伝統音楽の要素が加わり、全編がハンガリー語で歌い通されることによってロック×クラシック×伝統音楽という唯一無二の、キリスト教的でありながらどこか異教的でもある神秘的な世界が作り出されます。
ロックオペラなどと呼ばれる作品は数多くあれど、これらの要素をこれだけのスケール感、完成度、独自性をもって融合させた作品は世界中どこを探してもないのではないかと思わしめるほど。

スラヴ人やラテン人とはルーツを異にする、マジャール人としての文化的な自覚に裏打ちされ、その特異性をよく理解して作り上げられたトータルアルバムはユーロ・ロックのファンなら必聴の感すらあります。

ハンガリー語の大合唱団のハーモニーが作り出す秘教的な世界観に圧倒されっぱなしの45分ですが、ロックなところはちゃんとロックなのも素晴らしいポイント。異なったサウンドを融合させる手腕がすごいです。


ここからは各セクションの私なりの感想。

ファンファーレののち、
「わたしは孤独です わたしのもとに来て、そばにいてください」
というコーラスをバックに展開するA-1で、聞き手は一気にロックと宗教音楽が融合した世界に引き込まれます。超名曲かも。

続いて「主よ憐れみ給え」の礼拝句を唱えるA-2で一段と神秘的な宗教色を強めたのち、A-3は一転して美しい大バラード。サビ部分のソプラノとコーラスがとてもいい効果を発揮しています。

A-4は再び曲調が変わってブラス・ロックの趣。ポップな管楽器のアレンジに呼応して疾走するベースが聴きどころですが、決して浮いているように聞こえないのは一貫してバンド編成を中心に、あくまでもロック音楽として全体がうまく構成されていることの現れといえるでしょうか。

B-1もA面の流れを引き継いでロック主体ですが、管楽器に代わって弦楽器が登場し、呪文というよりむしろお経のようにすら聞こえる不気味なコーラスによって異教的雰囲気が強まっていきます。
東欧エスニックなロックとしても傑作なサウンドで、コーラスが再登場してバスのソロも加わって呪術感を増したところに、息つく間もなくドラムのグルーヴが入ってくるという中盤の展開が特に最高。
これらの要素を奇妙な均衡の中に保ったまま、対話形式の後半~終盤にかけて盛り上がっていくところも激熱。言葉では表し尽くせない。

これだけ多くの要素を詰め込んでいながら、それぞれのパートが絡み合って一つの世界にまとめ上げられている超次元的な一曲。あまりにも名曲!

B-2は意味を持つか持たぬか分からない祈りの言葉が響き合い、やがて鳴り響く鐘の音だけが残る。そこからまさに聖歌のようなB-3が始まり、ソプラノの歌が響き渡る。ハミングによるハーモニーが加わり、最後は大合唱となる。ここで満を持してA面最初のファンファーレが鳴り響く。この構成美は聞くものの心を動かしてやみません。

構成としてはこのB-3で一区切りではありますが、ピアノ伴奏のみで歌われるB-4は違和感なく後奏として溶け込んでいて、そのコーラス部分がバンド編成で演奏されるB-5の、この超大作の締めくくりに相応しい大合唱へと引き継がれていく。
たった8行の詩をリフレインする簡潔な曲なのに、ここまでの流れがあるから名曲に化ける、そんな印象すらあります。


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