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The Velvet Underground "Ride Into The Sun"

これは、一般にはLou Reedのデビューアルバムに収録されているバージョンがよく知られているが、実際の事情は違う。
1969年には
インスト版(「アナザー・ヴュー」などに所収)および
ライブでの演奏(「クワイン・テープス」などに所収)が、
1970年には
アウトテイク版(「ピール・スローリー・アンド・シー」などに所収)
などの録音がある、ヴェルヴェッツ時代の曲なのである。

これはスタジオアルバムとして最も手軽に聴けるルーのソロ作での演奏が
スティーヴ・ハウのギターを中心に大幅にアレンジされてしまっていて、
またそのアレンジの評価もよくない(というかネットでは酷評だ)ことからあまり日の目を浴びてこなかった曲ではあるのだが…

ヴェルヴェッツ時代の音源、特に「アナザー・ヴュー」収録のインストや
Youtubeで視聴できるシンプルなヴォーカル入りのレア音源を聴くと
後期ヴェルヴェッツの代表曲と比肩する名曲となり得たポテンシャルを感じずにはいられない。なぜボツにしたのか…いや、ボツにしたままじゃいやだったからソロ作として改めて収録したのだろうが…


インスト版(ミックス違い)

アコースティック・デモ音源

Lunaによるカヴァー


インストは「アナザー・ヴュー」などで聴ける1969年当時のミックスの方が個人的には好みだが、サブスクでは聴けないようだ。
また、Lunaによるカヴァーは一部のブートレグなどでのみ出回っていた
インスト版と同じ展開のない進行+ヴォーカル入りという構成を採用しており、これが非常にレア音源であることを考えるとベストな演奏の一つ。

で、まあご存じの通りこの曲には展開のあるバージョン(ライブ演奏やルーのソロデビュー作に使われているのもこっち)と展開のないバージョンのふたつがあり、これまでに述べてきた理由から前者は敬遠されがちである。

後者の反復コードを至高とする考え方は大いに共鳴するが、殊に詩という点に関して言えば、前者に追加された展開も決して悪いものではない。
いや、むしろ騙されたと思って聴いてほしいくらいのものである。

ルー・リードは詩人であり、納得のいく作品を作ると同時にバンドを売っていく必要性もよく理解していた。だから彼がこの曲を世に出すにあたって、展開を加えたことや、あのようなアレンジになったこと(それに納得していたどうかは別として)は、決してないがしろにしていいことではない。
彼はわざわざロンドンで録音に当たっているのだ。


追加された部分の詩を引用する。

(Ride in to the) Sun, where everything seems so pretty
But if you're tired and you're sick of the city
Remember that it's just a flower made out of clay

City, where everything seems so dirty
But if you're lonely and filled with self-pity
Remember that you're just another person who's there

It's hard to live in the city
It's hard to live in the city
It's hard to live in the city

Lou Reed "Ride Into The Sun"

「都会」で生きることのざまざまな苦しみを等しく、優しく受け入れてくれる、ルーの愛情と成熟した感性が垣間見える素晴らしい歌唱ではないか。

私は時折、”Ride Into The Sun”のこの部分の詩を思い出す。
具体的すぎるとみる向きもあるだろうが、語り掛けるようなルーの歌い方には、これくらい具体的な詩の方が心に訴えかけてくるものがある。

それに、ルーのデビュー作ではこの曲の次に、またもヴェルヴェッツ時代の曲”Ocean”が来て、そこでアルバムのB面が締めくくられる。

カヴァーアートはおそらくこの”Ocean”に関連する作品だが、この絵にはどこかその前の”Ride Into The Sun”に通じるイメージも含まれている(文字を形作る花の集合体や街中に流れ込む海の波など)。

この絵を通じて、”Ocean”を聴いている最中にも”Ride Into The Sun”との連続性を感じることができ、そこに描かれる海はまるで優しく燃える夕日を背景に押し寄せ、都会のすべてのしがらみを流し去り、そこに生きる人間にロマン派的な希望と無力感を同時に残していくようではないか。

そういうところも含めて、私はこの曲が好きなのである。
曲の構成的にはインスト版とその仲間の方が優れていることは間違いないのだけど、どちらも楽しめるというのはそれはそれでいいことなので。


ここから先は非常に個人的な見解なので、読むか読まないかは読者の判断にお任せする。


都会に生きる人にもさまざまいる。

様々なストレスや苦悩を抱えつつ会社に勤めあげる人もいれば、わたしのように就職して社会人として勤労奉仕することを嫌い、アルバイトやパートをこなしながら思うがままに生きようとする人もいる。

どちらが偉いとか、どちらが大変だとか、そういう話ではない。
たぶん、違う側に生きる人間には、反対側の人間の苦しみはそう簡単に理解できるものではない。

たぶん、向こう側に生きる人はこちら側の人の想像を絶するような苦しみを経験しているし、自分らが気づかないだけでその逆も然りなのだろう。

これはおそらく生き方に関する問題に限ったことでもない。
生まれ持った性別、性的嗜好、身体の特性、性格、精神的な特性、感情と理性のバランス、挙げればキリがない様々な違い、それを目の当たりにして時に人は共感し、また傷ついたり傷つけられたりもするのだろう。

孤独は、ある意味そういう苦しみから人を救済してくれる。
だがそれは同時に麻薬のようなものでもあり、孤独におぼれた人間はやがて社会的な代謝を失い、そしていざ中毒状態から脱しようと(何らかのきっかけ、例えば深い悲しみや愛情によって)自覚した時、彼はそれまで直面したことのなかった、逃げ続けてきた苦難と深く向き合うことになる。

思うに、人を愛するということには二面性がある。

ひとつは自身の内面に関して、宗教的な心の拠り所になるということだ。
これはすごく個人的なことで、強烈な陶酔作用を持つ。
そしてこれは、必ずしも対象との直接的な関係を必要としない。

もうひとつはその相手に関して、愛情を自覚して、その人のことを真剣に考え、真に宗教的かつ世俗的な意味で愛するという行為を全うする義務だ。
これはすごく社会的なことで、強い興奮作用を持つ。
またこれは、当然対象との直接的な関係を前提に行われることである。

私は社会の外縁部寄りから、ありふれた都市の人間関係やストレスを悉く避け続けてきた身からこれを書いているので、おそらく普通に社会人として生きてきた人とは全く異なる考えなのだろうが、とにかくビート派の影響下で未来も過去もない、自分自身と自分の周辺に今存在しているもの以外存在しないような世界に生きてきた人が、誰かを心から愛しようと決意することは経験したことのない類の、大きな苦しみを伴うものだ。

それは同時に、とても幸福なことでもある。

都会の中で、孤独になりたくてもなれず、しがらみの中で生き続ける人(私が愛した人はそういう人だ)、また私のように孤独を自覚しそれから脱しようともがく人、ルー・リードは普遍性をもってその双方に語り掛ける。

"It's hard to live in the city."


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