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彼女たちは失いながら進んでいく——櫻坂46/Buddies感謝祭

知らない人からすれば、この1年で1枚しかシングル出してなくて、キャプテン含む人気メンバーの卒業が続き、夏のライブは主要メンバーのコロナ罹患で中止、奇跡的な振替公演ができたと思ったらネガティブな報道も流れたりと、さぞ落ち目のグループに見えていることだろう。
でも、2022年の彼女たちをフォローしていて思うのは、彼女たちは失いながら進んでいく。今年はほんとに多くのメンバーを失ったけど、空いたポジションにバックスメンバーが入ることで曲が生まれ変わっていくし、彼女たち自身も変化していく。華々しいサクセスストーリーは多分もう望めない。リアルな等価交換をしながら「生きるということはジタバタともがくこと」を実践していく——櫻坂は常に「今」が一番いいと思うのは私だけだろうか。他の坂道やアイドルグループがどんな感じかわからないけど、物語の再生産を拒否した先にあるのは、失い続けるリアルだ。

Buddiesの応援が彼女たちの燃料になる。感謝祭はそのことの確認と今後のごあいさつみたいなものだ。

TAKAHIRO先生の楽曲解説。有料配信でもいいので全曲やってほしい。欅坂時代から印象的だったのは、メンバーたちは秋元康は「秋元さん」と呼ぶことが多いのに対し、TAKAHIROは一貫して「TAKAHIRO先生」呼びしてること。周りが「先生」呼びしている偉そうな人にではなく、本当に呼びたい人に対して敬意を込めて「先生」と呼んでいるだろうなと思う。彼女たちが、与えられた楽曲について、どう読み解き、どう表現するかに重きを置くようになったのは、TAKAHIRO先生の導きがあってこそ。
『Nobody's fault』は欅坂46を「破壊」するのか、それとも「再生」するのか——最大の(裏)テーマの選択を、“愛の救世主”森田ひかるに委ね、彼女は後者を選んだ。尖塔のポーズから覗き込む仕草は、2番のBメロとラストの2箇所。過去映像を見返すと、欅坂46のLAST LIVEでは両方とも「破壊」の右目。W-KEYAKI FES.2021では、2サビ前では「破壊」の右目、ラストでは「再生」の左目で世界を見ている。1st TOURの頃には両方とも左目になってる。森田が左目・右目を意識的に使い分けていたとしたら、かなりおもしろい(ちなみにBACKS LIVE!!では人によってバラバラで、武元Ver.では覗き込む仕草すらない)。

『Nobody's fault』2番Bメロ(W-KEYAKI FES.2021)
『Nobody's fault』ラスト(W-KEYAKI FES.2021)

W-KEYAKI FES.2021は、櫻坂全体では初めての有観客ライブである。その1曲目で「破壊」と「再生」の楔を打つことは、欅坂の破壊と櫻坂としての再生をこめたマニフェストだったのだと思う。2021年の頃は、破壊すべき「欅坂」の呪縛はあった。欅坂を期待するギャラリーの圧力に対峙していた森田のメンタルはハンパない。櫻坂の行く道を彼女の眼差しがブレずにいたからこそ、2022年につながったといっても過言ではない。
渡邉理佐卒業コンサートで大々的に欅曲が解禁されたときも、まだ「欅坂」への警戒感はあったと思う(から、一期生だけでパフォーマンスとした)。

けど、『五月雨よ』が緑に染まり出したころから、もう「欅坂」にこだわらなくてもいいぐらいに、「櫻坂」の今が見えてきたのだ。

上記で「永遠」をキーワードに欅坂と櫻坂をリンクさせてみたのだが、それをあっさり相対化してしまう歌詞がこちら。

愛なんてほんの一瞬
永遠のしあわせはないんだ
どんな1日も終わるように
元気でいるか?
条件反射で泣けて来る

永遠を信じる自分と、そんなの一瞬の夢だと思う自分。一見矛盾するような自分が表題メンバーと非表題メンバーで歌い分けられてる(エイトは共通なんだけど)。櫻坂における選抜制度、マルチセンター制度のもたらすメリットがここにあるといってもいい。人数が減った5thでも選抜制を保持してるのは、表現の多様性を確保する目的があるからだろう。このへんは今後の考察の課題だ。

個人的にライブでの最大の収穫は『僕のジレンマ』を小林センターの全員曲(三期入ったら彼女たちも?)として歌い継いでいきたい宣言がされたことだ。『その日まで』は完全な卒業ソングだったけど、『僕のジレンマ』は卒業ソングというよりは残った側(特に一期生)の曲だなと思う。渡邉理佐卒業コンサート以来の披露とあってか、みんな情感たっぷりにパフォーマンスしてるのが印象的だった。ライブの定番曲というより、ここぞというときの1曲になるのかなと思う。


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