イザヤ書を読む(9)


第一部 イスラエル、ユダとエルサレムについての託宣(2-12章)

第2章

[1]
アモツの子イザヤが、ユダとエルサレムについて啓示されたこと。

国々の平和

[2]
来たるべき時に、
ヤーウェの神殿の山は山々の頂きとして堅く立てられ、
どの峰(みね)よりも高く上げられる。
すべての国は川の流れのようにそこに向かう。

[3]
多くの民が来て言う。
「さあ、ヤーウェの山に、ヤコブの神の家に上(のぼ)ろう。
ヤーウェはご自分の道をわたしたちに示される。
わたしたちはその道を歩もう。」
まことに、教えはシオンから、
ヤーウェのことばはエルサレムから出る。

[4]
ヤーウェは、諸国の間を裁き、多くの民の仲裁をされる。
彼らはその剣(つるぎ)を鋤(すき)に、槍(やり)を鎌(かま)に打ち直す。
国は国に向かって剣を振りかざすことなく、
もはや戦うことを学ばない。

[5]
さあ、ヤコブの家よ、ヤーウェの光の中を歩もう。

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<本文注より>
・2節の「来たるべき時」には、来たるべき平和と調和に満ちたメシア到来の時のニュアンスがある(イザヤ11:6-9参照)。

・3節で「教え」と訳したヘブライ語トーラーは、しばしば「律法」とも訳される。しかし本節のトーラーは律法の書というよりはむしろ、「ヤーウェの教えの道をどのように歩むか」を示すヤーウェの導きを意味する。

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<参考聖句>
・ミカ書4:1-4 新しいエルサレム
「だが終わりの日、
ヤーウェの神殿の山は
山々の頂きとして堅く立てられ、
丘々に抜きん出る。
人々はそこに流れるように訪れ、
多くの国の民が来て言う。
「さあ、ヤーウェの山に、
ヤコブの神の家に上ろう。
ヤーウェがわたしたちにその道を示し、
わたしたちがヤーウェの道を歩むように」。
なぜなら、シオンから教えが出、
エルサレムからヤーウェの言葉が来るからだ。
ヤーウェは多くの人の争いを裁き、
遠くまで、多くの国に裁決を下す。
彼らはその剣を鋤に、槍を鎌に打ち直す。
国々は互いに剣を振りかざすことなく、
再び戦いに備えることもしない。
おのおのそのぶどうの木の下や、
いちじくの木の下に座り、
脅かす者は誰もいない。
万軍の主が語られたからである。」

<参考聖句注より>
・「終わりの日」は、将来起こる出来事を予言する言葉として旧約聖書の中でしばしば用いられている。この表現は、世の終わりという考えに通じるものであるが、本節が示すように、同時にそれは新しい時代、新しい世界への分岐点でもある。

・人々に「その道」を示し、「教え」を与えられるヤーウェは、すべての国を裁く審判者である。「終わりの日」における審判を本節のように積極的な意味で捕らえて世界の変貌につながるとする思想はアモスを初めとする紀元前八世紀の預言者の間では非常に少ない。

・イザヤ書11:6-9 新しいダビデ王、楽園の回復
「狼は子羊と共に宿り、
豹(ひょう)は子山羊(こやぎ)と共に伏(ふ)し、
子牛は若獅子と共に育ち、
小さい子どもがそれらを導く。
牛は熊と共に草をはみ、
その子らは共に伏し、
獅子は牛のようにわらを食う。
乳飲み子は毒蛇の穴に戯(たわむ)れ、
乳離れした子は蝮(まむし)の巣に手を伸ばす。
わたしの聖なる山のどこにも、
害を加えるもの、滅ぼすものはいない。
水が海を覆うように、
ヤーウェを知る知識が地を満たすからである。」

<参考聖句注より>
・背景に創世記2-3章の楽園の話があると思われる。その話の中で、蛇は、最初に造られた、子どものように無邪気な男女の敵であり、神の知識を持つようになるよう彼らを誘惑して、人類の楽園生活に終止符を打った。しかしここでは子どもと蛇は友達であり、互いに平和に生きるすべての動物たちを子どもが導くのである。この平和の根底にはヤーウェを知る真の知識があり、その知識はヤーウェと共にその聖なる山にあるばかりでなく(イザヤ2:2-4参照)、すべての地を覆うようになる(ハバクク2:14参照)。

<補足>
・フランシスコ会訳で「毒蛇」「蝮(まむし)」となっている箇所は、聖書協会共同訳では「コブラ」「毒蛇」となっている。

・ハバクク書2:14
「まことに、水が海を覆うように、地はヤーウェの栄光を知ることで満たされる。」

<参考聖句注より>
ヤーウェの栄光がこの地上で普遍的に知られる時こそ、ヤーウェの業、神の正義がもたらされる時である。

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世界平和の理想が宣言されている有名な箇所である。
特にイザヤ書2章4節はニューヨークの国際連合プラザの「イザヤ・ウォール」に刻まれていることでも知られている。

[2]
「来たるべき時に、
ヤーウェの神殿の山は山々の頂きとして堅く立てられ、
どの峰(みね)よりも高く上げられる。
すべての国は川の流れのようにそこに向かう。」

「来たるべき時に」−−−歴史のある時点でその日はきっと訪れるであろう。

「山々の頂きとして」−−−その日、最も高く見上げられるべきものは何であるか知られるであろう。

「すべての国は…そこに向かう」−−−「バベルの塔」(創世記11章)以来、世界中に散らされた民は、再び集うであろう。

[3]
「多くの民が来て言う。
「さあ、ヤーウェの山に、ヤコブの神の家に上(のぼ)ろう。
ヤーウェはご自分の道をわたしたちに示される。
わたしたちはその道を歩もう。」
まことに、教えはシオンから、
ヤーウェのことばはエルサレムから出る。」

「ヤーウェの山に…上(のぼ)ろう」−−−山は見上げるだけのものではなく、登るためにそこにある。

「ご自分の道をわたしたちに示される」−−−しかし、その登山は案内無しではない。神は前もって安全な道を示される。私達はただその示された道を歩むだけでよい。

「ヤーウェのことばはエルサレムから出る」−−−山頂のエルサレムから神の言葉が聞こえてくる。すべての国、あらゆる言語を話す人々が、ただ一つの聖なる言語をそこで聞くであろう。

[4]
「ヤーウェは、諸国の間を裁き、多くの民の仲裁をされる。
彼らはその剣(つるぎ)を鋤(すき)に、槍(やり)を鎌(かま)に打ち直す。
国は国に向かって剣を振りかざすことなく、
もはや戦うことを学ばない。」

「ヤーウェは、諸国の間を裁き、多くの民の仲裁をされる」−−−「わたしは初めであり、終わりである。わたしのほかに神はいない」(イザヤ44:6)と言われる唯一神ヤーウェ。その言葉(ロゴス)もまた唯一のものであり、世のあらゆる分離・対立(カオス)を取り除くことであろう。

「彼らはその剣(つるぎ)を鋤(すき)に、槍(やり)を鎌(かま)に打ち直す。」−−−信頼し合う家族のように人々の間に分離がない時、人間を殺し自然を破壊する道具はもはや必要なくなるであろう。そして同じ大地の素材を使って、人間を生かし自然と共生する道具を作るであろう。

「もはや戦うことを学ばない。」−−−その日以降、世界から戦争は消えゆき、やがて戦争は過去のものとなるであろう。歴史の一章がおわり、新たな一章がはじまるであろう。

[5]
「さあ、ヤコブの家よ、ヤーウェの光の中を歩もう。」

「ヤーウェの光の中を歩もう」−−−世界に戦争がなくなった日。地上に注がれる日の光を見て、人々は何を想うであろうか。

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祈ります。

永遠の今の中で
その日を知っておられる神が
その日の栄光と喜びの光を
今地上で悩み苦しむ私達に
注いで下さいますように。

そしてその光が
私達の希望となりますように。

父と子と聖霊のみ名によって。
アーメン。

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