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愛し合うことを怠った

『四月になれば彼女は』を読んだ。

「写真」をひとつのテーマとするこの小説には、ほかにも音楽、映画、絵画など、あらゆる芸術作品が登場した。自分の知っているミュージシャンや作家、映画監督が登場するたび、作者とは気が合うかもしれない、と思った。しかし実際には、サイモン・アンド・ガーファンクルもウディ・アレンもポール・オースターも世界中で広く愛されていて、結局は結婚式の食事のように、読者の最大公約数を満足させうるメニューみたいなものなのかもしれないと思った。

やはり、人は死に向かい合うとき、言葉を綴るのだと思った。「書く」ことは時間の流れに背くこと、死の恐怖に抗うことなのだと決まっている。自分の物語を書く人間は、それを書ききったときに死ぬ。そしてその物語は誰かに託される。その人のなかに生き続けたい、そう思う相手に。写真もまた、そのなかに時を閉じ込めるという点で、時間の流れに抵抗した証だと言えるだろう。

「ひとりでいるときの孤独は耐えられる」。本質だと思う。ならばどうして寂しさを埋めるように愛や恋に助けを求めてしまうのだろう。愛とは、穴を埋めるようなものではない気がしている。むしろ、その穴から湧き出てくるような感覚のことを言うのではないかと思う。

正直、物語のラストをどう捉えるべきか、よく分かっていない。「わたしは愛したときに、はじめて愛された」。この言葉の真意もうまく掴めない。きっと自分が、重なった愛を大事にし続けられたことがないからだと思う。

あまり言いたいことはまとまっていない。でも、人が死ぬのは悲しいことだと思った。それと、美しい景色を見に行きたいなと思った。


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