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短編小説 水掻きとハイボール




「え?」
「いや、だからさ。俺河童なんだよね」

月末の大衆居酒屋で呑んでた矢先、目の前にいるアラタがそう言った。肩の力の抜けた会話。普段の馬鹿話に混ざった馬鹿話。よく分からないカミングアウトに、僕は聞き返したあと笑ってしまった。
アラタとは何年か前の街コンで知り合った。当時の僕は新社会人三年目で、仕事もちょっとずつ慣れ始め社会を肩で風切り歩いていた、気になっていた。大学時代陰キャでバイトとネトゲで浪費したのを取り戻すために、意を決して街コンに参加したのだ。
結果は女性陣とはろくに話せずLINE交換したもののその後続くこともなく。だったのだが隣にいたアラタとはネトゲの話で盛り上がったため、たまにこうして呑んでいた。あれから街コンは行っていない。アラタにも聞けていない。

そんなアラタとの付き合いもそろそろ数年になった今日、唐突な河童告白。そら冗談に思う。

「河童ってあの?」
「おう。あの河童。皿とかついてるやつ」
「尻子ボール抜く奴?」
「最近の河童は抜けない。なんか伝統技術らしい。今や河童国宝しか出来ない。別に取っても河童側は楽しいもんでもないし、今は法律で禁じられてるし」
『なんなんだ河童国宝とか法律とか。見た目河童ぽくないけどそういう技術あるの?あと今キュウリの一本漬け食べてるのは関係あるの?』
「まぁ、そういうテクニックはある。これが出来ると成河童として認定される。あと一本漬けは俺が好きなだけ。河童も今は多様性よ。この前タピオカミルクティ流行ったよ」

なかなか河童の世界も大変らしい。どこまで本気で言っているか分からなかったが、ネタとして面白かったのでその日は散々弄った。


翌朝、気がついた時には僕の部屋にいて、衣服をその辺に脱ぎ散らかして寝ていた。ベッドの傍にはスポーツドリンクと二日酔いの薬が置かれている。どちらも自宅に常備されているもので、アラタが気を利かせて
買ってくれたのだろう。本当にいい奴だ。

酔いざましをスポーツドリンクで飲み下すと、感謝を伝えるためにスマホを手に取る。アラタからLINEが来ていた。


"大丈夫か?昨日は楽しかった。それと、信じたか?"


"楽しかった。薬、ありがと。"
そこまで送ってから河童の件を思い出す。信じたか?
はその事だろう。昨日のネタをまだ引っぱっているのか。

"だいたい信じたよ。今度キュウリおごるわ"

クソ適当な返し。アラタからの返信はなかった。まぁでもいつもこんな感じなので気にしない。そもそも酒が抜けてなくて録に頭が回転していないのだ、ユーモアのセンスも落ちるってもんだ。勘弁してほしい。そう考えると僕は布団を被り休日をドブ日とすべく、長期間の二度寝を敢行した。


アラタと再び呑むことになったのは半年後、梅雨が明けるかどうかという初夏だった。連絡は僕からだった。
仕事でミスをしたのだ。数年単位で行っていたプロジェクトで、僕が初期の頃に感じていた違和感が噴出する形でプロジェクトが停止したのだ。表面的なミスではないにせよ、当時違和感を口にすることを遠慮した自分を責めずにはいられなかった。
大学の友人とは疎遠となり、会社の人に自責の念を溢すのも気が引ける。そこでアラタに声をかけた。アラタは最近リモートワークになったとのことで、都合はいくらでもつくといって週末早速呑むこととなった。

土曜の夜、簡単な用事を済ませた僕は駅前のチェーン居酒屋に入った。アラタと呑むときはだいたいこの店だった。この店での僕の役職は部長になっている。

「まぁ分からんでも無いけど、しゃあないミスじゃない?多かれ少なかれあるミスだと思うけど」

「いや、まぁそうなんだけどさ。なんかなぁ。もっと上手くてきた気もするし、上手くやろうとしたからミスった気もするし」

ゆず蜜ハイボールを傾けながら僕は早くもくだを巻いている。夏間近でじめじめとした気候もペースを上げる一因となっているのだろう。アラタも二杯目の生ビールに手をつけている。

「まぁ今から何言っても後付けだと思うし、これからは言いたいことはそのとき言った方がいいわけで。自分もそうしたし」

「ん?なんかあったん?」

「……覚えてる?この前の飲み会の時の」

「俺?なんかあったか」

「河童」

「……あったわその話。……え、続けるの?」

「続けるというか、マジというか。もう証拠みせるか」

そういうとアラタは先程までジョッキを持っていた手を目の前に翳すと、軽く振る。


気付くと目の前には翡翠色の掌と

安い屋内灯の証明を照らす、水掻きが

驚いたのもあるけど、綺麗だなというのが最初の感想だった。翡翠色の掌は、元の薄肌色と混ざり合い、複雑な模様を描く。そこに透過する光と相まって、

「ステンドグラスみたいで綺麗じゃん」

なんとも間の抜けた、締まらない感想がいつのまにか口から宙に浮いていた。

ぼやっとしながらそう呟いた僕に、アラタは困惑しながらも笑った。

「なんだよその感想。こっちは覚悟して話してるんだぞ。寧ろ俺が反応に困るわ」


「ごめん。でも、最初に浮かんだのがこれだったんだよ仕方ないだろ。…まぁでもマジだったのは理解した。おー、マジ河童かー」

「気の抜けた感想だな、全く。大体この前信じたって言ってたろ。その後俺がどれだけ色々考えたか」


「いや、言うてもネタかなとか。今日マジで信じた。綺麗だったもん。………これってアウティングになるの?ほら、最近よく言われる性的なんちゃらとかそういうやつへの配慮みたいな」

「わかんねぇ。その辺河童の世界も戸惑っててさ。人間社会と同じだよ。」

「いやいや、同性愛者そのものじゃなくて、河童についてよ。河童の掟とかでバラしたヤツは追放とかないの?槍で突かれるとか」

「いや?意外と緩くてそういう申請出せば大丈夫。その辺ウチの世界の方が自由よ。そもそも俺は人間社会で勤労してる訳だし」

「そんなもんか」


その後はお互いの仕事の愚痴と、それぞれの業界の話をして僕たちは楽しんだ。建設的でない話は面白いものだ。河童業界のことについてどれだけ突っ込んで聞いていいか分からなかったが、アラタは僕を信用してくれたらしく、色々教えてくれた。僕も知ってる昔のタレントが実は河童だった話、戦国時代のある合戦では木下藤吉郎に協力していた話、などなど。


気付けば終電近くになっていた。僕たちは会計を済ませ、駅まで歩く。

「今日はお疲れ。いやー、前回で信じたかなーと思ったんだけど」

「冗談だと思うでしょ。でもあれ見せられたらね?まぁでも流石に信じた。綺麗だったし」

「またそれかい。……じゃ、もう少しだけ」

そういうとアラタは頭を下げたかと思うと、髪をかきあげるようにしてこちらを向き直した。


「どや。」


そこには翡翠色の肌に薄紅色が透き通るアラタの顔があった。顔の造形はさほど変わっていない。瞳の色は普段のブラウンから赤へ。掌には水掻き。肘から二の腕の外側にはよく見えないが、ゴツゴツとした鱗のようなものが見えた。皿と甲羅は見当たらない。

言葉を失っていた。そこにいたのは僕が知っている河童でもなく。アラタでもなく。


「おい、なんか言えよ。折角顔見せたんやぞ。レアなんやぞ」


「…ごめん。」

「謝んなって。…引いた?」

「いや、そういう訳じゃなく……」

「じゃあ俺の綺麗さにビビった?」

「ぶっちゃけ」

「かーっ!俺やっぱイケメン、いやイケ河童だったかー!」


そう言って笑ったアラタはやっぱり僕の知ってるアラタだった。


解散して、LINEを送る。次に会う話。関係継続のサイン。
何時もの間隔を開け、秋口辺りとした。
気付けば仕事のミスなんてどうでもよくなっていた。出来れば毎月会いたいと思っていた。でも。

"後悔するのなら言いたいことはその時言った方がいい"

それはそうなんだけど。

この関係を続けたいし、新しく自分の中に出来た気持ちはまだ整理できてない。もう少し様子見させてほしい。


そんな言い訳を繰りながら、僕は透き通った水掻きと安物の薄いハイボールを思い出していた。

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