御冥福をお祈りできない話。

自分は哀悼の意を伝える際の言葉のチョイスが苦手である。

苦手というか、どうしたら上手く自分の感覚を正しく伝えられるのかが分かっていない。のみならず、その際他者のために言葉を修飾することにも抵抗を覚えてしまう。


例えば有名人が亡くなったとする。一般的にはお悔やみを申し上げますだったり、御冥福をお祈りいたしますだったりする。でも自分はなんかしっくり来ずにこの言葉が使えなかったりするのだ。

御冥福を祈るとは死後の世界での福を祈る、という意味(だと思っている)ので、それを死後の世界自体をあんま信じていない自分が使っていいのか?という気持ちになってしまう。社会性が試される場だと思うので使うときも勿論多いのだけれど。引っ掛かりが自分のなかで発生してしまう。

相手がその言葉を欲しているのなら(これも表現悪そうだけど)自分の信条なんて二の次で使うべきだろうけど、それをするにも上記の問題は解決していない。


「お悔やみ申し上げます」もそうだ。亡くなられたことが悔しい、というのはまだ若くにこの世を去ってしまった場合に該当すると思うが、そもあるスパンでは死なんてのはある意味どれも突然訪れ、かつ必ず訪れるのである。素直にお悔やみを言える状況はどれだけあるのだろう。少なくとも自分はよく引っ掛かっている。


亡くならない場合もである。重たい出来事の中でも自分が経験したことのないような大きな不幸に対し、言葉に詰まってしまう。掛ける言葉に意味があるのかとか。



どちらも余程の必要がないかぎりはスルーする、という方法もある。だけどなるべくならそうしたくないのは、なんか寂しく思ってしまうからかもしれない。

自分の語彙力が問題なのかは分からないけど、なんと伝えればいいのか分からないけど、なにかは伝えたい。

訃報とかしんどそうな報告を聞くたびに、そんな気持ちに毎度なっている。

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