早く目を覚ましてくれ
「学生時代に力を入れたことは?」「なぜそれに力を入れたの?」
面接では、一般にこういった質問が投げかけられる。
上のような質問と答えのラリーから形成された面接は、はっきりいってカスだ。機転の利く嘘吐きが勝ち上がる、欺瞞に満ちた儀式である。
何故カスといえるのか、その理由は星の数ほど存在するが、ここでは「意思決定に明確な理由を求めすぎている」ことを挙げたい。よく意味が分からないと思うが、安心して読み進めてほしい。
前述した通り、就職活動や転職活動では、意思決定の理由を問われる。
「なぜそのバイトを始めたの?」「なぜやめたの?」「なぜ今の大学に入ったの?」と、こういった具合に。
そもそも、意思決定の背後にある理由を特定することなど、不可能である。より正確に言えば「自分の行動原理を分かった気になっている(ようで分かっていない)」のである。
この議論に対する理解を深めるため、下で引用する伊集院光さんと立川談志さんの対談に、ザっと目を通してほしい。
今一度、自分の意思決定に思いを馳せてみてほしい。あのとき部活に入った理由、大学に入った理由、就職先を選んだ理由、それらをやめた理由……それはどんな理由なのだろうか。
面接で問われれば、器用な人であれば一応「それっぽいこたえ」を出せるだろう。けれども、本当の本当の理由は、多くの場合、違うところにあり、様々な要因が複雑に絡み合ったものである。
ぼくは一度大学院を中退しかけた。その際、親に投げかけた理由は「自分のやりたいことが出来ず、教授と馬が合わない」というものであった。嘘をついたつもりはなかったが、今から思い返せば、その理由はあまりにも綺麗すぎ、それゆえに嘘くさかった。
ぼくも、落語をやめた伊集院光と同じく「なんとなく研究(伊集院の場合は落語)に向いていない」ことを察知し、嫌になり、やめたくなったのだ。その感情を綺麗にパッケージングするべく「自分のやりたいことが出来ず、教授と馬が合わない」という、もっともらしい理由を用意したのだ。
ここまでの議論を読めば、就職活動や転職活動で「なぜそうしたの?」と執拗に問う愚かさが理解できるのではないだろうか。そんなことを問うたところで、本当の答え、真実などは得られない。故に、志願者の性格・行動原理を把握できるはずがない。そこから分かることは、その人物の頭の回転の速さ(機転の利き具合)だけである。
最後に、欺瞞にまみれた不完全な市場、つまり労働市場での競争に敗北したからと言って、全く悲観する必要はない。知的活動の経済価値が下がるであろうこれからの世界では「機転を利かせてそれらしいことを宣う力」よりも、気の合う友人を大切にし、自身が安心できるコミュニティを見つけ、属することの方が重要である。気の合う友達を、パートナーを大事に。
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