見出し画像

ワーグナーのオペラの基礎知識【前編】―ワーグナーとバイロイト音楽祭、現在のドイツの地理

『帝国のオペラ』という本がある。この本には「ワーグナー」から「R.シュトラウス」のオペラに関する全体像が書かれており、とても勉強になる。
だが、この本を読むには幅広い前提知識、特に地理と歴史とオペラに関する知識が必要だと感じた。
少なくとも私にはその知識が足りていなかった。そこで、まずはワーグナーとバイロイト音楽祭についての前提知識にまとめてみようと思う。


『帝国のオペラ』について


【ちょっと脱線。『帝国のオペラ』の書誌情報】
広瀬 大介『帝国のオペラ:《ニーベルングの指環》から《ばらの騎士》へ』、 河出書房新社、2016年。


この『帝国のオペラ』という本がどんな本かを一言で表すならば、

特にリヒャルト・ワーグナーとリヒャルト・シュトラウスのオペラを中心に帝政ドイツ時代の「世相の反映たるオペラ」を描いた本

である。

そのため、ドイツ帝国が成立した頃にワーグナーという決して超えられない壁が登場したことから、その後の世代の音楽家たちが抱いた苦悩までもが描かれている。

【引用。『帝国のオペラ』より】

 「19世紀、ヨーロッパ音楽界に突如現れたワーグナーという怪物に世界は心酔した。しかしこれ以降、ドイツの音楽家たちは、この決して超えられない壁に懊悩することになる。時代はドイツ帝国成立期、まさにドイツがヨーロッパの列強とならんとする頃。大国へ、軍事国家へと舵を切るドイツの歴史を背景に、リヒャルト・シュトラウスをはじめとした音楽家たちの苦闘を描く。(カバー部分より)」

 「本書は、一八七一年に成立し、一九一八年に消滅したドイツ帝国、いわゆる帝政ドイツ時代において、その中で奏でられた音楽、とりわけオペラを縦軸に、そして歴史的な推移とその意義を横軸に、世相の反映たるオペラがどのような消長を経験したかを、この時期に活躍した作曲家・指揮者、とりわけリヒャルト・ワーグナー、そしてリヒャルト・シュトラウスという、その勝者を兼ねる「音楽家」の足取りをたどることによって描くことを目的とする。(19ページより)」


とても面白そうな本だし、実際に読むと新しい発見が多くてとても勉強になる本だと感じる。
…のだけれども、一つ難点がある。

その難点を説明するため、この本の序章の冒頭の二つのパラグラフを引用してみよう。

【引用。『帝国のオペラ』序章の冒頭】

『序章 バイロイトの長い坂

フリードリヒ大王の都
 一八七六(明治九)年八月一三日。
 ドイツ・バイエルン州。オーバーフランケン地方の中心都市バイロイト。州都ミュンヘンからは北に向かって二三〇キロ。歴史の流れからは完全に取り残されたようなごく小さな田舎町が、この日を境に全世界的な注目を惹く街へと変貌する。
 とはいっても、バイロイトは決して人里離れた寒村などではない。一八世紀初頭には、ブランデンブルク=バイロイト辺境伯としてこの地を治めていたゲオルク・フリードリヒ・カール(一六八八ー一七三五)によって、小さくはあるが瀟洒な宮殿、市庁舎などが建設され、ゆっくりとではあったが、近代的な街としての様相を整えつつあった、立派な町であった。』


ちょ、ちょっとまって!!


イメージできるけれども、詳しくは知らないカタカナがいっぱい…!!
(それはどこだっけ?これって正確にはなんだっけ?これは誰で何した人だっけ?…etc.)

【例。上記引用の中のカタカナ】
・バイエルン州
・オーバーフランケン地方
・中心都市バイロイト
・州都ミュンヘン
・ブランデンブルク=バイロイト辺境伯
・ゲオルク・フリードリヒ・カール

これは、読み進めたらわからなくなるヤツではないか…!!


そう、この本は読めばとても勉強になるけれど、
その難点は、読むのに必要となる前提知識が幅広いこと!

そこで、この記事でその前提知識をまとめようと思う。
そうとは言え、本一冊の前提知識をまとめるのは記事が何個あっても足りない(当たり前だけど)。
なので、この本の序章と第1章を読むために必要な前提知識のみをまとめることにしよう。


『帝国のオペラ』序章と第1章に必要な前提知識とは?


この本の第1章のタイトルは「一八七六年、バイロイト音楽祭開幕の衝撃」
である。
すなわち、ワーグナーのバイロイト音楽祭の第1回の開幕までの経緯とその音楽祭が与えた衝撃がいかに大きかったのかメインテーマである。


この第1章を読む上で欠かせないのは大きく二つあると考えられた。


バイロイト音楽祭を語る部分を読むための前提知識である。
具体的には、ドイツ(特にバイエルン州)の地理と歴史、また、ワーグナーバイロイト音楽祭《ニーベルングの指輪》の詳細である。


②ワーグナーが政治に関心を持ち、政治のトップと関わりを持ち、政治的な動きをしたことを語る部分を読むための前提知識である。
具体的には、当時のドイツ政治、すなわちドイツ帝国の歴史である。


そこで、この記事では、
①バイロイト音楽祭の基礎知識として、ワーグナーバイロイト音楽祭、そしてドイツの地理
をまとめていく。

次の記事で、②ワーグナーと政治の基礎知識として、ドイツ帝国の歴史をまとめる予定である。

【ちょっと脱線。次の記事の内容紹介】(予定)
ワーグナーと政治の基礎知識としてのドイツ帝国の歴史といっても何が書かれるのか?と思うかもしれない。そこで何をまとめるかを少し紹介する。

それは、
ドイツ帝国の成立に関わる「普仏戦争」や「普墺戦争」
「バイエルン王国」(特にルートヴィヒ2世)と「プロイセン王国」(特にビスマルク)の政治的な関係
などである。

これらを教科書などからまとめつつ、ワーグナーとの関係にも触れつつ、記事を書いていく予定である。


ワーグナー

まずはワーグナーについて簡単にまとめよう。
(知っている人が多いかもしれないが…)

ワーグナー

(Wikipedia: 「リヒャルト・ワーグナー」)

1813年ドイツ(ザクセン王国)・ライプツィヒ生まれ1883年没

19世紀ドイツを代表する作曲家。

・「総合芸術」としての「楽劇」を創り出した

・自分の作品のみを上演するバイロイト音楽祭(バイロイト祝祭)を創設した。

・なお、ヒトラーが生まれた時(1889年)にはワーグナーは亡くなっている。


バイロイト音楽祭

今度は、先ほど触れたバイロイト音楽祭(バイロイト祝祭)についてまとめる。

バイロイト音楽祭(バイロイト祝祭)とは、
バイロイトにある、バイロイト祝祭劇場で行われる、ワーグナーのオペラや楽劇を演目とする音楽祭
である。

【ちょっと脱線。バイロイト音楽祭という名称】
日本ではバイロイト音楽祭という名称で知られているが、原語である"Richard Wargner Fsetspiele"を忠実に訳した「バイロイト祝祭」と称されることもある。
なお、『帝国のオペラ』ではバイロイト祝祭と書かれることが多かった。


ワーグナーの作品を上演するための祝祭劇場は、当初、ワーグナーは州都ミュンヘンに建設しようと考えていたが、いろいろあってミュンヘンには建設できなくなった。そんな時、バイロイトという都市を知り、バイロイトがワーグナーの理想に近かったためバイロイトに建設することを決めたという経緯があるようだ。


バイロイトという都市がどこにあるかは後ほど説明するので、先にバイロイト祝祭劇場について説明しよう。

以下の写真がバイロイト祝祭劇場である。
この劇場は、ワーグナーによって自身の作品を上演するための劇場として建設が計画され、ワーグナーの働きかけを中心に建設資金や設計者やらが集められ完成された。

バイロイト祝祭劇場

(Wikipedia: 「バイロイト音楽祭」よりバイロイト祝祭劇場)


このバイロイト祝祭劇場が完成した1876年に、初めてのバイロイト音楽祭が開催された。
その時に上演されたのが、ワーグナーの楽劇《ニーベルングの指輪》である。


楽劇《ニーベルングの指輪》

この作品は、ワーグナーが26年にわたる歳月をかけて作った楽劇である

【ちょっと脱線。楽劇ってなに?】
楽劇とはワーグナーが創始したオペラの一つの形式のこと。
広義には、台本(文学)、音楽、舞台装置(美術)、演技などが総合された一つの作品とする「総合芸術」としてのオペラのことだと言える。
狭義には、この楽劇のためにワーグナーが用いた音楽的手法・作曲技法(ライトモチーフ、無限旋律など)のことを表す。


この《ニーベルングの指輪》の台本もワーグナーが手掛けており、その題材はドイツの叙事詩や北欧神話であると言われている。


何よりもこの作品の驚くところは、上演するために、4日間・合計約15時間が必要なところだろう。

【ちょっと脱線。《ニーベルングの指輪》の構成とは?】
以下の4部構成である。それぞれの上演時間が異なるけれど、一夜ずつ上演する。そのため、全部上演し終えるのに4日間かかる。

序夜『ラインの黄金』
第1日『ワルキューレ』
第2日『ジークフリート』
第3日『神々の黄昏』


全体のあらすじをとてもざっくり言うならば、

非常に強い力を持つ黄金の指輪を巡って神々と人間が争い、いろいろ起こって、最終的には指輪は元々あった場所に戻り世界は炎に包まれる

という感じだろう。

【ちょっと脱線。詳細なあらすじを知りたい方へ】
以下の二つがわかりやすかったので、おすすめする。

・新国立劇場の開場20周年記念公演として行われた際の特設ページ(こちら)
 4話それぞれのあらすじと動画、人物相関図が掲載されている。

・MUSICA CLASSICA 「オペラあらすじ」コーナー(こちら)
それぞれの話がとてもわかりやすく噛み砕かれている。何も知らない人がいきなり見てもそれなりにわかる。


音楽的には、ライトモティーフが用いられたことで、長い作品全体に統一感がもたらされたと言われることが多い。

【ちょっと脱線。ライトモティーフって何?】
原語は"Leitmotiv"であり、示導動機とも訳される。
このライトモティーフとは、ある登場人物やある状況に対して与えられる固有の旋律(動機と呼ばれる)のことである。
登場人物や状況に対して固有の旋律を与える、すなわちライトモティーフを用いることで、歌っている内容や演技している内容を表すだけでなく、登場人物が歌っていないことを暗示させることにも用いている。

もうちょっと詳しく知りたい方には、以下のサイトをお勧めします
・根本卓也さんのHPにあるページ(こちら)
ライトモティーフが飯守泰次郎さんのYoutube動画とともに紹介されている


だが、同時に、この作品は当時から現在まで賛否両論・物議を醸すことも多い。
例えば、『帝国のオペラ』の中では、チャイコフスキーが実際に初演公演を見て書いた批評記事や手紙での感想が引用されており、当時のチャイコフスキーが《ニーベルングの指輪》の良さを理解できなかったことが示されている。


以上でワーグナーの楽劇《ニーベルングの指輪》の話を終えて、先ほど保留にした「バイロイトという都市がどこにあるか」をまとめよう。


地理・現在のドイツ

バイロイトという都市の説明の前に、現在のドイツの地理からまとめる。



現在のドイツの行政区分は、(Land)とその下位区分の(Regierungsbezirk)に分けられている。
「県」はより原語に忠実な訳として「行政管区」と称されることもあるし、よりわかりやすく「地方」とされることもある。


ドイツの州(Land)は全部で16つある。
そのうちの一つが「バイエルン自由州」であり、ここにバイロイトやミュンヘンがある
(ちなみに、ドイツの首都ベルリンは「ベルリン州」にある。)

【ちょっと脱線。ドイツの16の州】
・バーデン=ヴュルテンベルク州
・バイエルン自由州
・ベルリン州
・ブランデンブルク州
・自由ハンザ都市ブレーメン
・自由ハンザ都市ハンブルク
・ヘッセン州
・メクレンブルク=フォアポンメルン州
・ニーダーザクセン州
・ノルトライン=ヴェストファーレン州
・ラインラント=プファルツ州
・ザールラント州
・ザクセン自由州
・ザクセン=アンハルト州
・シュレースヴィヒ=ホルシュタイン州
・テューリンゲン自由州



地理・現在のバイエルン州

バイエルン州(より正確にはバイエルン自由州)は、ドイツの南東にある州である。

画像3

(Wikipedia: 「バイエルン州」)


先ほど述べたように、現在のドイツは「州」とその下位区分の「県」に分けられる。
バイエルン州の県は、7つある。

バイロイトがあるのは、「オーバーフランケン(Oberfranken)」であり、下の地図の右上のオレンジっぽい色のところである。
州都であるミュンヘンがあるのは、「オーバーバイエルン(Oberbayern)」であり、下の地図の下の真ん中の茶っぽい灰色のところである。

画像4

(Wikipedia: Regierungsbezirk (Bayern))

【ちょっと脱線。バイエルン州の7つの県】
上記の写真の左から右へ、上から下へ順に掲載する。

・ウンターフランケン(Unterfranken)
オーバーフランケン(Oberfranken) ー バイロイトがある
・ミッテルフランケン(Mittelfranken)
・オーバープファルツ(Oberpfalz)
・シュヴァーベン(Schwaben)
オーバーバイエルン(Oberbayern) ー ミュンヘンがある
・ニーダーバイエルン(Niederbayern)


ワーグナーのバイロイト音楽祭は、
当初は「バイエルン自由州」の「オーバーバイエルン県」にあるミュンヘンで開催しようと考えていたが、
最終的には「バイエルン自由州」の「オーバーフランケン県」にあるバイロイトという都市で開催されたということだ。(そして今もバイロイトで開催されている)



さて、ここまで理解したところで、この記事の最初の方で『帝国のオペラ』の冒頭を引用したことを思い出してほしい。
その一文目をもう一度引用する。

【再度引用。『帝国のオペラ』序論の冒頭】
一八七六(明治九)年八月一三日。
 ドイツ・バイエルン州。オーバーフランケン地方の中心都市バイロイト。州都ミュンヘンからは北に向かって二三〇キロ。

今まで述べた前提知識があって初めてこの一文がストンと理解できることをわかってもらえるだろうか?
また、最初はあいまいな理解だったこの一文が、今はストンと理解できるようになっているのなら、記事の書き手としてはとても光栄である。



最後に

この記事では『帝国のオペラ』を読むうえで必要となる前提知識の一部をまとめた。これらの知識はワーグナーやバイロイト音楽祭について知る上での前提知識にもなるだろう。

次の記事では、帝政ドイツとワーグナーについてまとめていく。
合わせて読むことでよりワーグナーの凄さをわかってもらえたならば、書き手としては幸せだなぁと思う。


それにしても、この『帝国のオペラ』を書いた広瀬大介さんは、ひいては音楽学者の皆様は、なんと知識の幅が広く、そして深いのだろう…。
本当に凄いなぁ…。

もしよろしければ、サポートいただければ幸いです。 (ポイっと50円、コーヒー代100円、カフェ代400円、お昼代800円…などなど) 今後の継続した活動の励みになります!