辞書の中から「それ違うよ」を消去しようという話

長年の人間観察から得た答え。
「それは違う」と他人に伝えるとロクなことにならない。

僕は「それは違う」という言葉を僕の辞書の中から消去し、「あ、そうなの?」に自動変換することにします。

■真の語彙力それはあらゆる言い回しを駆使できる力
SNSを見渡すとどこへ行っても「それ違うよ」の嵐が常に吹き乱れている。
そしてその先には死ね、消えろ、カスだのネガティブワードが並ぶ。
なぜそんなどうでもいいことに噛み付いて、最終的に他人を罵倒し始めるのか。僕には意味がよくわからないが、人間とはそういうものなのだろう。
多分、プライドが高い人ほど自分と違う意見を許せないのでしょうね。

「それ違う」は死を運んでくる死神みたいな言葉。
他人に対しては使わない方が無難だと僕は思っています。

語彙力にも様々な種類があるが、生きていくために必要な語彙力は決して難解な四文字熟語をたくさん知っているかではない。阿鼻叫喚とか魑魅魍魎とか知らなくても生きていける。
大切なのはどれだけやんわりと物事を伝えられるかだと思う。

「そんな伝え方だと相手の人が怒ったり、傷ついたりするよ」ということを平気で他人に伝える人がいる。本当になんの躊躇もない。言葉を刃物だとすればあれは研ぎ澄まされた日本刀だよ。
職場でも、カフェでも、スーパーでも、病院でも、いたるところで死神が召喚されている。

そして案の定喧嘩になったり、言った本人が不快になったりしている。当たり前だよ、死神を呼んだのは自分なんだから。
コミュニケーションが上手な人は絶対に「それ違うよ」を言わない。
本当に見事。

「それ違うよ」の先には戦争しかない。
武力を使わないにしても、意味のない争いの先にはどう見積もっても消耗しかない。

正しいか間違っているかはあまり重要じゃない。だから固執しない方がいいと僕は思う。
人は自分自身やその意見を否定されると怒るという特性をもつ非常にわかりやすい生き物だ。
ただそれだけのことだ。

先日、ニュースで見たIMF(国際通貨基金)のクリスタリナ・ゲオルギエバさんの「貿易戦争では誰もが敗者になる」という言葉。

「中国もアメリカもそんなことやってちゃダメだよ」
これを遠回しに言っているのだが、どちらも否定していない。
こういうのが真の語彙力。

他人を否定することに快楽を感じる人間があまりにも多すぎる。つまりそれは言葉による戦争を意味する。
誰もが敗者になる社会は恐ろしい。

みんな違うのが当たり前。意見も違うのは当たり前。
むしろ同じだったら気持ち悪い。
これくらいの心構えで生きた方が楽になると思うのですが。
どうでしょうか。


ありがとうございます。有意義なことに使います。