不機嫌な人が周りにいるだけで人は簡単に死んでしまう

過去自分が嫌いになってきた人々をなんとなく振り返ってみたんですよ。
みんな共通点がありました。

1 不機嫌を撒き散らす
2 言葉に配慮がない

この2つですね。これ以外は許容できますが、これだけは無理。小学生時代からおっさんになるまで一貫して変わっていない。

人間性は行動・言葉に直結します。
こういう人たちは頭が悪いのです。勉強ができないのではなく、脳みそを使おうとしないのです。
不機嫌を撒き散らすのは幼児である証。
言葉に配慮がないのは知的怠惰が原因です。
こういう人々との交流によってポジティブな何かを生み出すことはまずありえません。消耗するだけです。

人の体力が100だとして、他人の体力を一度に100奪う行為は殺人となり、罪に問われ制裁を受けます。ですが他人の体力を1奪う行為を100回繰り返す人は、罪に問われません。不機嫌を100回撒き散らす人は、殺人と同じくらいの罪がある。僕はそう思っていますよ。100人不機嫌な人が集まると人は死にます。

実際、身近な人の不機嫌のせいで精神を破綻させてしまった例は限りなく存在するし、表に出てこないことも含めると相当罪は重いですよ。
世の中には傷つきやすい繊細な人も存在する。そういう人々は1つの暴言で体力を10くらい減らしてしまうのです。
かさぶたが剥がれた傷口は水ですら染みて痛みを感じてしまう。繊細な人は常にあの状態で生きているのです。

100回不機嫌を撒き散らす行為
100回暴言を吐き出す行為
人を殺す暴力的行為

全て罪は全く同じ。
どれだけの人を不幸にしたきたのですか?
どれだけのネガティブを生産してきたのですか?

明確な悪意も多分ないと思うんですよね。ただそれしか自分を表現する手段を知らないだけ。
そしてそういう人はこういう言葉に耳を傾けることは絶対にない。
だから対処法は避ける、逃げる、関与しない。これだけ。

幸い僕はそれを幼い頃から実行してきた。
野蛮を野蛮として認識できたからある意味救われてきたし、自分が闇に堕ちることもなかった。

精神が安定している。
幸せになるために必要なのはただそれだけですよ。

精神状態は伝染するので、野蛮な人々と接するのはそれだけで自分の人生の質を下げることになります。
ネットで野蛮な言葉を浴び続けるのも同じだと僕は思っています。せっかく選べるんだから、選ばないと。

ある程度まともな人間に育つためには、良質な言葉・文化・思想に触れ続けることが絶対条件なのではないでしょうか。


ありがとうございます。有意義なことに使います。