怒りとのお付き合い

社会人になって、怒りに触れる機会が増えました。他の課への不信感を露わにする人。人は足りないのに業務だけは増え、上は何を考えているのかとため息混じりにいらだつ人。

剥き出しの怒りに触れると、考えられなくなります。えーっと、うーんと、となる時間が増える。タスクを処理する時にマルチタスク気味になって、いつも頭に負荷がかかる。怒っている人が何かするんじゃないか、と気になってしまいます。


繁忙期は、わたしも怒りやすくなります。自分が不機嫌なのが分かる。朝、通勤する車の中で、他の車に割り込まれたときの反応で、余裕がないのが分かります。

忙しい時は短期記憶がいっぱいになりやすく、メモなどで仕事をどんなに外在化しても、期限までに行うタスクの不透明感が大きかったり、そもそも量が多かったり、新しいことの量が多かったりすると、不安になります。その不安を切断するために、怒っている‥少なくともいつもよりは不機嫌になっている、という感覚です。

怒られるとへこみます。やる気がなくなります。何であなたに承認される必要があるのと言いたくなります。仕事は仕事だからやるけれど、別にあなたに怒られハッパをかけられても何もモチベにならないぞと思います。ただ疲れるだけですし、他人のやっているゲームに付き合うつもりもありません。


怒ると叱るは違うと、よく言われます。アンガーマネジメントをした上で、叱ることはできる、とも言われます。怒りの表出は、感情を管理できていないと思われる。

叱るは、パターナリズムに基づいて、相手の行動変容を促す。集団の規範に沿うように、個人の行動を変えるとき、叱ることは良いことだとされる。‥というイメージがあります。

アンガーマネジメントと書きましたが、ここから怒りは、制御されるべきものとみなされているのが分かります。マネジメントされるべきものとしての怒り。


叱るについても、違和感があります。ある集団に属する時間が長くなり、集団内での位が上がると、叱ることを強要されることがある。新参者を集団に順化させるという目的があれば、権威に基づいて他人を叱ることは肯定されるのでしょうか。効果があるのかないのか、が議論の中心になることもありますね。


わたしは、叱るのが苦手です。苦手な理由が、よく分からない。昔からそうなのです。大学の部活でリーダー的な位置にいた時も、中学で軟式野球部の副キャプテンだった時も、怒れないし、叱れない。もちろん叱られるのも苦手です。


優しさとパターナリズムについて、考えることが多いです。

勉強の哲学でこう書かれていました。教師の役割は有限化にある。そこには、ある程度、パターナリズムがあります。ただ、これをやれ!というものではなく、これはやらなくていい、というパターナリズムでしょうか。

欲望の複数性を一方に置き、欲望を原動力として、わたしたちは勉強をする。自分の周囲の世界を変えたいのなら、勉強しよう。言葉は、自分と世界を隔てる膜、あるいは世界との距離感でもあると思います。私たちは、言語によって世界を認識し、言語によってバーチャルな世界を作り出す。

勉強には、有限化が必要だ。並行して、自らの欲望を引き受ける必要がある。


怒りに戻ろうかと思います。人生には色々なイベントがありますね。予想外の事態も、たくさん起こります。それに対応するために怒るのは、仕方ないと思います。ネガティブな言い方をする必要もなく、怒ることが苦手だったわたしからすると、むしろ、怒る必要があるだろうとも思います。

集団の秩序を維持したい、あるいは自分の秩序を維持したいがための怒りは、これとは違うと思います。

この違いは、記述が難しい。どう切り分ければ良いのか、難しいです。


怒った後に、どうするか。何かにエネルギーを流すべきだろうと思います。そもそも私たちはみな、程度の差はあれハイデガーのいう退屈に悩まされているはずです。第1形式にしろ第2形式にしろ第3形式にしろ、です。

他人に平気で怒る人はいますよね。意識して叱っているなー、ではなく、単に怒っていて、それを表に出してしまう。

他人に怒りやすい、とはどういうことなんでしょう。他人との交換可能性にどれくらい考えが及ぶか、も他人への怒りやすさに関わるでしょうか。でも、倫理観に話を持って行くのもちょっと違和感があります。うーん。倫理観となると、責任と意志の話が絡みそうです。今のわたしには、それを保留しつつ話を進めることは難しいです。


自分の中にある、べき思考・規範や、何を楽しいと思うかという享楽について、考える必要があるんだろうと思います。「できるだけ怒りたくない」も、怒るべきではない、に下支えされているかもしれませんよね。人に嫌われるべきではない、機嫌で人を支配するべきではない、等々。それが当然そうだろうと思えたとしても、なぜ自分がその規範を得るに至ったか、と自問することから、怒りというものをほぐす糸口が見えるんじゃないか、と思っています。

(2035文字)

(ねこやなぎ)







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