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モロッコ旅行記⑧ 5日目「地下水路と砂漠の宿オーベルジュ」

サハラ砂漠への道行き

カスバ街道、トドラ渓谷を越えて、オマルの四輪駆動はやがて広漠とした礫砂漠へと入っていく。


通りからは人家も消え失せ、車が砂の撒かれたアスファルトを走る音だけが、世界の音になる。
これから車は、地下水路を見学し、いよいよサハラ砂漠「メルズーガ大砂丘」へと向かう。

モロッコにおけるメルズーガ大砂丘の位置(白地図専門店さま)

牛乳入りの甘い珈琲「ノスノス」

と、その前に一服。
道の脇に現れた喫茶店で、体を休めることに。

白い受け皿にのったガラスのコップには「ノスノス」と角砂糖

イスラム教徒は基本的に酒を飲まないため、モロッコの喫茶店は、どこか「酒場」のような雰囲気を持っている。
カウンターの奥からテキーラの入ったショットグラスが滑ってきそうな、錆びた空気だ。
モロッコ人が珈琲や茶を味わうことは、日本人が酒を味わうような、特別なものがあるのかもしれない。

写真は、お気に入りの「ノスノス」。
カフェラテといったところか。牛乳の入った、甘い珈琲。

黒と茶のらくだが二頭、高い位置にある葉を食べ、その前を羊が三匹、通りすぎていく
ひつじが一匹、ひつじが二匹、ひつじが三匹……

喫茶店の前は、のんびりとした雰囲気。
子連れの羊や駱駝が草を食んでいる。駱駝は体の構造上、高いところにある葉っぱしか食べられないため、下草を食べる羊とはうまいこと共存ができているようだ。

ヤシのような低木の葉先に、雀に似た鳥が七羽とまっている

人間の背丈ほどの茂みに、なにやら実がなっている……と思ったら、すべて雀のような鳥だった。

砂漠の命綱である井戸

荒野にぽつんとある滑車付きの大きな井戸

喫茶店を後にしてしばらく進むと、道の脇に立派な井戸が現れた。
ノマド(遊牧民)のための井戸だろうか。砂漠では貴重な水場。

運転手のオマルが桶を両手でつかんで水を飲もうとしている

オマルが飲み方を実演。
桶を井戸に落として、滑車を使って引き上げる。この桶、水の重量が加わると重たい。滑車を使って、両腕でぐっぐっと力いっぱい縄を引くと、ようやく桶が井戸の縁から顔を出す。それだけのことで筋肉が軋んだ。体力不足はもちろんあるけれど、水汲みは力仕事なのだ。

地下水路を守る番人

赤い砂漠に白い砂山が連なっている

砂よりも礫の方が多かった荒野だが、徐々に砂の比率が上がってくる。
赤味の強い砂の中に、こんもりとした白砂の山がいくつも現れた。あれはなんだろう?

盛り土の上にベルベル人の衣装を着たカカシが立っている

「あれは地下水路だよ。こんもりと盛られた土の下には、地下水路を守るための番人小屋があって、盛り土の地下には、水路が伸びているんだ」とモハさん。
昔、地理かなにかの授業で習った地下水路(カナート)を、実際に目の当たりにする日が来るなんて!

無数にある盛り土は、砂漠を一直線に伸びている。
盛り土を一列に結んだその地下に、水路がある。水路は近隣の水源から伸びているもので、わずかに傾斜した水路が、水を砂漠へと運んでいく。
砂漠の民にとって、地下水路は命そのもの。先ほどの井戸も、地下水路とつながったものだろう。

盛り土に亀裂のような入り口がある

地下水路を守る番人小屋のひとつを見学させてもらう。
盛り土には狭い入口があり、中に入ると二畳ほどの広さを持つ空間が現れる。

ガイドのモハさんと、青いベルベル人の衣装を着て、白いターバンを巻いた水の番人の男性がミントティを淹れている

水の番人ベルベル人が、ミントティをご馳走してくれた。
実はこのお盆の下が深い縦穴になっており、地下水路とつながっている。
どれぐらいの深さがあるのかを、火をつけた紙を落とすことで、教えてくれた。
動画で撮影したので写真はないけれど、えっと思うほどの深さがあった。
この地下水路が砂に埋もれてしまったら、ここで水が滞ってしまう。責任重大な、大変なお仕事だ。

赤い砂漠に張られた簡易的な天幕

普段は外に建てた天幕で暮らしているという。

しばしの歓談。
このあたりは三十万年ほど前には海だったらしく、オーム貝や三葉虫の化石が良く出るという。稼ぎの足しにするため、ベルベル人はよく化石を拾い、観光客に売ることにしている。

目指すはメルズーガ大砂丘!

砂漠に映る車の影

地下水路を後にし、車はいよいよサハラ砂漠「メルズーガ大砂丘」に向かって走りだす。
太陽は傾きはじめ、静かな砂漠はいっそう赤く染まりはじめる。

そしてそれは、本当に突然、現れた。

フロントガラスの向こうに、夕陽を浴びて赤く染まる砂の山が見える。
滑らかな斜面、弧を描く赤紫色の影――メルズーガ大砂丘だ。

赤い荒野の向こうにサハラ砂漠の砂丘群が見える

車を下りて、メルズーガ大砂丘を目の前にしたとたん、それまで頭の中をぐるぐると駆け巡っていた悩みや考えごとが、一気に吹きとんでしまった。
わけのわからない涙が溢れてきた。
「すごい」という言葉も出てこない。
胸がいっぱいになり、どんな言葉も口にしたくない……そんな感覚におそわれる。

荒野にあまりに忽然と現れたメルズーガ大砂丘は、モロッコの東南部、サハラ砂漠に位置している。
かつてフランス軍の駐屯地として整備された街「エルフード」から近く、夕陽や朝日に染まった赤い姿は、人々の心を魅了してやまない。

砂漠の宿「オーベルジュ」

日没後、オレンジ色の光を残した夜空に三日月、その下に黒い影絵となったオーベルジュ

今夜の宿は、砂漠の中にある宿オーベルジュだ。

夜闇の下で明かりをともしたオーベルジュの外観

夜闇に灯るオーベルジュの明かりは、幻想的で、お伽話に出てくる宮殿のよう。

室内の様子。机とベッドがふたつ。ベッドの上には私たちの荷物が散乱している
部屋の隅に置かれた真鍮製の水場

部屋の中は、洞窟の家にような雰囲気。
居心地がよくて、いつまでもここにいたい気分になる。
少し寒いけれど、シャワーも水道もあって、設備もしっかりしている。

毎夜、荷物をまとめなおしているため、見苦しい室内写真となってしまい申しわけないことです!

真っ暗な闇のなかにたたずむメルズーガ大砂丘

休憩もそこそに、オーベルジュの中を探検する。
屋上から外を見ると、闇に沈んだ砂漠がそこにある。
とてつもない静寂。鳥の声も、虫の鳴き声もしない。車の音はもちろん、自分たち以外の人の息っかいすら聞こえない。
圧倒的な静けさに押しつぶされそうになる。

オーベルジュの外の様子。光が届かないところから先は真っ暗闇

オーベルジュを一歩外に出ると、数歩先には、暗幕を下ろしたような闇が立ちはだかっている。

駱駝は砂丘から落ちたりしないの?

蝋燭の火がともるレストランの内部

夕食はオーベルジュのレストランで。ここもまた最高の雰囲気。
モハさんと遭遇し、一緒に夕食をとることに。お邪魔しまーす。

この当時、人生初となる新人賞投稿をこころざし、砂漠を舞台にしたアラビアンファンタジー小説を書いていた。(のちに『金貨と魔人の爪先』というタイトルで投稿)
そのため、砂漠や遊牧民の資料を大量に持っているのだけれど、それでは分からない疑問が色々とあるので、モハさんを質問責めにする。

トマト、ニンジン、きゅうり、ピーマンなどが盛られたモロカンサラダ
定番のモロカンサラダは間違いなくおいしい

「駱駝は夜、砂丘から落ちたりしないの?」
「まさか!」
「写真で、ノマドが駱駝の手綱を引いて歩いているところをよく見るけど、駱駝の背には乗らないの?」
「必要なときはたまに乗るよ。でも普通、駱駝は荷物運搬用だから、あんまり乗らない。手綱を引くだけ」
「ああ、なるほどー!」

モロカンサラダ、パン、炒め物が二種類並ぶテーブル
淡い灯火のもと並べられた夕食

きっとモハさんにとっては、「冷蔵庫ってどう開けるの」と聞かれたぐらいに馬鹿げた質問だったと思う。
でもずっと気になっていたことだったので、疑問が晴れてスッキリした。
「当たり前のこと」ほど資料には書いていない。だから、資料を読むだけではよく分からなかったのだ。

関係ないが、私の父方の祖父は、生涯、冷蔵庫の開け方を知らなかった。台所まわりのことを、すべて妻である祖母に任せていたからだ。
きっと祖父にとって、冷蔵庫とは「おい」「ハイ」で開けるものだったことだろう。

レストランの片隅で楽器を演奏するベルベル人たち

レストランの片隅では、ベルベル人が即興の音楽を演奏している。
太鼓を叩きながら、朗々とした歌声をあげる。

単純であるということ

夜の闇にたたずむオーベルジュの外観

夕食後、ひとりで夜の砂漠へと歩いていく。
オーベルジュが落とす光の輪の外に出て、砂丘の影に入ると、驚くほどの暗黒に包まれる。
今宵は三日月。月明かりもないため、もう自分の爪先すら見えず、歩くのもやっとだ。下手をすると足を踏み外して、砂丘の斜面を転がり落ちてしまいそうな恐怖心がある。

砂丘の斜面に腰を下ろし、砂に触れてみると、夜気を含んだ砂はしっとりとしていた。
絹に触れているような感触。驚くほど細かな砂は、風を受けて、手からさらさらと零れていった。
体についても簡単に落とせるほど細かい砂なので、寝転がって、満天の星を眺める。落ちてきそうなほどの星々だ。
上空に架かる天の川、見慣れたオリオン座、夏の大三角形、柄杓……あまたの星の中から、見知った星座を見つけては、古い友人と会えたような安堵を覚える。

空は塗ったように黒く、流れ星の細い線がつい、と走って消える。
空の黒と、砂の白。世界には二色しかなく、生き物は自分しかいないみたいに静かだ。
変な世界だ。月面にでも来てしまったような気がする。そうでなければ、異世界に迷いこんでしまったにちがいない。

そのとき抱えていた悩みごとは、全部頭の中から消え去った。
思考がとても単純になる。
簡単に言えば、「まあ、いいか」という晴れやかな気持ち。
なにせこの砂漠には、砂のほかになにもない。色すら二色しかない。自分だって単純にならざるをえない。
その単純な脳みそが心地よくて、寒さも忘れ、時がたつのも忘れ、しばらくぼんやりと星々を眺めた。

やがて友人がやってくる。
この暗さで、よく私を見つけられたものだと感心しながら、今度は友人と静かに穏やかに語りあう。楽しい時間だ。

入浴後もこの闇が恋しくて、ひとり厚着になってオーベルジュの屋上にあがった。
コウモリらしき影が一斉に飛びたち、びっくりする。バタバタという羽音がとても大きく聞こえた。それほどに砂漠は無音の世界なのだ。
しばらくしてポルトガル人の父娘がやってきたので、しばらくぼそぼそと会話をした。
キスでお別れし、0:30に就寝。
夢の中でも、砂漠の闇にひたれるといい。

次回予告

モロッコ旅行記⑨ 6日目「サハラ砂漠の日の出」

朝焼けの中、駱駝隊が砂丘をのぼっていく
夜の砂漠をゆく駱駝隊

日の出前、オーベルジュを出る。まだ夜空には星がまたいている。だが、青い砂漠にはすでに無数の人影があった。
目的は同じ。砂漠から昇る日の出を、砂丘の頂きから拝むためだ。

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