大変そうな顔をする
人前で泣くことがない。
映画を見に行ったときは別だが、99%一人で行くし、客電が点くまでいる派なので泣きながら歩くことはない。
今わりと仕事できつい状態で、カメラオフの音声からでも打ち合わせで話す相手が自分を馬鹿にしてくすくす笑っていることが分かるし、時間をかけた仕事は最後の段階でひっくり返ってしまい、後始末すら任されずにいる。
大変なんだけど、自分はこういう時おそらく無の顔をしている。
人に話しかけられればいつも通り笑顔で返していると思う。
こういうのを他人は「真剣にやっていない」と思うらしい。「真剣にやっていない」から手助けもされない。「分かってない、もっと痛い目を見た方がいい」と話し合っている人もいるだろう。
じゃあ大変そうな顔をしてればいいのかね。泣いて見せればいいのかね。
こういう時泣いたりわめいたりできる人は、それで助けてもらえると思える人だ。自分が傷ついていると心配してくれる人がいると確信できる人だけが、対価を期待して醜態をさらすという賭けができる。
辛い、苦しいと言ったときに嘲笑されたり、死ねばよかったのになどと言われてきた人間にはそんな期待はできないのだ。
オンライン会議の時をのぞいて無表情で生活することが続いて、ふと鬼離田姉妹という呪術師の三姉妹のことを思い出した。
藤田和日郎氏の漫画が好きで、本になっているものはおそらく全部持っている。鬼離田姉妹は連載中の「双亡亭壊すべし」に出てくる。彼女たちはずっと気が触れたようにけらけら笑っているのだが、お互いだけを頼りに「笑っちゃうしかない」生い立ちを歩んできたことが明かされたとき、そのエキセントリックなキャラクターに納得させられてしまった。
苦痛に耐えて頑張る「泣かない」人生じゃなく、「泣けない」人生というのもある。
友達や恋人や配偶者や、スナックのママでもいい。弱いところを見せられる相手がいるならあなたはずいぶん幸せだと思う。あなたは他人に期待できるのだから。
慰めてほしくて書いているのではなく、泣かないから辛くないわけではないんだと…そうじゃない人もいるということをちょっと頭の隅に置いておいて、どうか「泣くまで思い知らせてやろう、その方があの人のためだ」などと正義のこころで思わないでほしい、ということです。