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今の僕(2024/6/19)

今の僕は 食事 歯磨き トイレ シャワーなどのとき以外はリクライニングベッドをギャッジアップしてほぼ1日パソコンでYotubeで音楽を聴きながらXやInstagramなどを見てる。スマホも見ている。
家の中では松葉杖を使って左脚を浮かせながら歩いてる。外出は車椅子で病院と彼氏さんとのお出かけだけ。
なんでこういう生活をしてるかというと

大腿骨の骨頭が壊死してるのと 左足に荷重をかけると骨盤が粉々になるから。

僕は去年の8月に飛び降り自殺未遂をした。そのとき腕や足なども骨折したけど 骨盤が一番大ダメージを受けた。骨盤の手術は朝から終電の時間(おおよそ10時間)まで行われた。
その時 かなりのボルトやプレートを入れた。退院して 入院していた急性期病院(僕の先生たちは 整形外科(救命))でレントゲン写真を見たとき「先生ってすご…」って思った。

退院してしばらくたってから 左の股関節が痛むようになった。最初はそんなに痛くなったけど 次第にかなり痛くなってきた。椅子に座るときもゆっくりしないとできない。寝返りも痛みがひどいとできなくなった。
僕はツートラムというかなり強い痛み止めを飲んでいたけれど それがまったく効かなかった。

5/15

整形外科(救命)の受診日。
担当医のN先生にこの症状を話すと CT レントゲンを再度撮ることになった。
その結果 大腿骨の骨頭が壊死しかけているといわれた。壊死という言葉に僕は怖くなった。頭が真っ白になってあまり覚えていない。
N先生は「ほかの先生たちと話し合って電話します」と言った。

その後の電話で「5/25に股関節専門の先生が診るのでまた来てください」ということになった。

5/25

午後の病院。きっと知らない先生なんだろうなと思っていたら 先生は整形外科(救命)のM先生だった。知っている先生で安心した。初めて知ったけど M先生は股関節専門らしい。

ベッドの上で先生が僕の股関節の曲げられる角度を測ったりした。M先生は「人工関節を入れる手術をします。別の日にMRIとCTを撮りましょう」だった。
人工関節は前から将来的に入れるかもしれないとは言われていた。でもこんなに早く入れることになるなんて思わなかった。
M先生は「股関節専門の先生は僕しかいないので 僕がいた大学の先生たちと相談して この病院でできないか話し合ってみます」と言ってその日の診察は終わった。

6/31

午後。数か月ぶりのMRIを撮った。MRIは1回 急性期病院入院中にやった。音がかなりすごいけれど今回は早めに終わった。余談だけれど MRIやCTの技師さんはなんとなく覚えていて それを僕が言ったら技師さんも「もしかしたらERで会っているかもしれない」と言ってくれて嬉しかった。

その後の診察。M先生は「話し合った結果 この病院ではできません。H病院というところに僕と同じ大学出身の先生がいるのでそこで手術しましょう。僕も日程があえばななみさんの手術に携わります」と言った。僕はまた頭が真っ白になった。

その理由は「僕 もう少しでこの病院を離れて 大学病院に戻るんですよ。しかもそこで診察というわけじゃなくて 大学院に行く予定で」と話した。
人工関節は1年に1回状態を診なくちゃいけない。でもM先生はいなくなってしまう。だから急性期病院で診る先生がいなくなってしまう。だから股関節専門の先生がずっといる病院で手術しなくちゃいけなくなった。

ショックだったのがM先生だけではなく 整形外科(救命)の先生たちはほぼ大学病院に戻ることになってることを伝えられたこと。僕が運び込まれてきたときから僕を支えてくれた先生たちだった。手術も何回もしてくれた。だからかなりショックだった。

M先生は 僕に「なるべく左足に荷重をかけないでください」と言った。その理由は「荷重をかけ続けると骨盤のお皿となる部分が割れてめちゃくちゃになってしまうから」だった。

Amazonで松葉杖を注文し 区役所で自走式車椅子も2か月くらいレンタルした。家は松葉杖 外は車椅子になった。
松葉杖は両手がふさがるから何もできなくなってしまった。介護がさらに増えてしまって申し訳なかった。

それにH病院は家からかなり遠い病院だった。車だと高速使えば1時間くらいだけど 電車とタクシーだと2時間くらいかかる。僕の家で車を運転できる家族は父親しかいなかった。

6/4

朝6時半に起きて 父親が運転する車(行きだけ父親の仕事の都合がつき タイムズのカーシェアで車の予約ができた)でH病院に行った。
H病院は急性期病院ほどではないけれど 大きくてきれいな病院だった。
僕の担当医はY先生という先生になった。M先生の先輩か同期の先生で股関節専門の先生だった。そこで人工関節の説明をうけた。余談だけど 患者さんを呼ぶアナウンスの声が僕の精神科の主治医にそっくりだった。(精神科の主治医よりもハキハキしてる)
その日は診察だけで終わった。先生は僕のことを知りたかったらしい。6/18にまた来てくださいと言われた。

6/18

その日は土砂降りで警報もでるほどだった。その日は父親が仕事で 車で行けなかった。自宅の最寄り駅までタクシーで行き そこから電車に乗って また病院の最寄り駅から病院までタクシーで行った。(バスもあるけれど 本数が少ない)
その日は採尿・採血・レントゲン・造影CT・診察があった。造影CTははじめてだった。

診察でY先生は「ほかの病院の先生たちと話し合った結果 人工関節の手術は大学病院でやって この病院では骨頭のほうにずれているスクリュー(板みたいなやつ)だけ抜きましょう」と言った。
大学病院というのはY先生や整形(救命)の先生たちが所属している大学だった。H病院よりはアクセスがいい。多分通院のことを考えてのことだと思う。

朝7時に家を出て 朝9時半の診察で一通りの検査をして全部終わったのは午後3時だった。自宅の最寄り駅についたのは午後5時。かなり疲れた。雨だから松葉杖で歩いて行った。雨で松葉杖が何回か滑りそうになって怖い思いもした。(僕は体幹も力も弱っていて 転ぶと一人で起き上がれない)

手術スケジュールはかなりすいていて6/30に入院して7/1に手術することになった。スクリューを抜くだけなのでリハビリ病院に行く必要がないのでほぼ1週間で退院できるらしい。だから面会も手術日だけになった。(もともと遠いから面会あまりできないと家族に言われていた)

でも 1週間だから大丈夫…のはず。(泣いちゃうかもだけど)
ペンギン2匹が抱き合っているストラップのぬいぐるみも持っていくし 彼氏さんが吸っている煙草の空箱(なんか疑われそうだから 切り取って スマホケースにはめる予定)と 僕の名前をペンで書いてくれた紙も持っていく。
デイルームもあって通話もOKだったら彼氏さんや家族とも通話できる。彼氏さんは「時間あったら電話する」と言ってくれた。

とはいえ手術が終わっても人工関節になるまでは左足に荷重をかけちゃいけない生活は続く。
ちなみに7/1に手術するのは「左ハンソンピン抜去術」。
そんな感じ。多分だけど今年最低3回手術する予定。

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