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小夜と雪の山の物語

─このまま凍らせておくのも
よいかもしれない─
そう言いながら、凍らせた男の身体を
いとも簡単に粉々にしてしまった。
女は悲しみすら一端も見せず雪の中に
立っていた。
これは、里の人々から、山に棲むという女の、
そんな存在の恐れられていた頃からの話。

凍らせ粉々にした男との夜は1年ほどは続いたが、一瞬のうちに、男の言葉にてあっという間に終わりを迎えた。
『言ってはならないとあれほど言うのに、
言ってしまうとは…。
しかし、それを本当はそうなることだと知ってもいる。
いずれ、口にすると本当はわかっているんだ、私は…』
そう独りごちては、男との夜の中にひとすじの
男の心を探していた。
吹雪の中で女は言った。
『この私の繰り返すことは、なんと無常なことか。
あの男の中に心のあることを本当は知ってはいても何の証を欲するのか。
腹にいるのは愛しい男のものだというのに…』
そう言って、女は男に1度しか見せていない姿になって、男の遺した証を愛しそうに撫でた。
『この腹の子は、里に置いてくる。』
愛しい証を亡くすことは、女にはできなかった。
強く求めながら、突き放すのはこの女の姿でもあり、起こりえる無常を現す姿でもあった。
歪な形であるかもしれない。
そんな歪な形は純粋さを秘めてもいた。
迷いこの山に来た好いた男を虜にすることなど
女はいとも簡単にやってしまった。
『男はそんなものだ』
そう言って、女は家の戸を閉めた。

やがて腹の証は時を満ちて生まれた。
可愛い女の子だった。
不思議と女からは、女の子しか生まれなかった。
あの男に出会うまでは……。
女の心は深層まで凍らせてあった。
その筈であった。
その法則を簡単に破った男が現れた。
かつての男たちは女の髪や身体を愛しいと言った。
今までの男の誰もみることの無かった女の
一部分があった。
あの男はそれを愛しいと言った。
『見ないで……』
それまでの女には無かった言葉をその男は床の中で女に口にさせた。
『小夜、君のその瞳がいちばん美しい。
なんて美しくて、自分に向けるその視線、
恥じらう姿、少女のような初さが堪らないんだ。』
男は女を『小夜』と呼び、愛しそうに
女の両の瞼に触れた。
女の目からは、涙が零れていた。
女に中に満たされていく精は、今までの男たちを凌駕していた。
幾夜も、男は女に精を注ぎ愛しいと口にしては女を泣かせた。
女の腹に証が宿るまで、時間はそれほどかからなかった。

それでも、男は女に精を注ぎ続けて
愛しいと口にしては、瞼を優しく撫でては
腹に宿った証さえ愛しいと撫でた。
女の中には『何故…?』という疑問が膨らんでいった。
それは、証が生まれる数日前まで続いた。
ある夜、証は元気な産声と共に生まれた。
男は、証を生んだばかりの女を愛しいと
きつく優しく抱きしめた。
そうして、女の目を見つめて、
『やはり、小夜の瞳は美しいな。』
男との証に乳をやる女に男は言った。
驚きを隠せない女は、証の性別にも驚いていた。男の赤ん坊だったからだった。
そして、それは男への愛情を確認したと同時に
描けない未来があることを悟った瞬間でもあった。
女は歳をとらなかったからだ。
そして、新しい男が現れる度に初に戻り、
何度でも破瓜した。
その度に女は、破瓜の痛みを味わい初夜の血を流し、男を知った。
同時に、繰り返すこともわかっていた悲しみが
女の表情に表れ、更に男たちを刺激した。

──人の思う女の姿はなんと無常な
   このような 存在を生みだしたのか──

ひとすじの光は、女にとって、この男と生まれた証であり儚く、到底自分には手に出来ないものとわかっていた。
赤ん坊が生まれて数年経っても、男は女を幾夜も愛し、精を注いだ。
尽きぬ男の精は、力強く、時に優しく女の中に満ちていった。
女の中にある冷たさと奥底に隠した熱さが天秤にかかったように夜毎に揺れ動き、男への愛しさが溢れていった。
幾夜も精を注がれ涙を流す女に男は女に言った。
『この山から降りて里に行こう。そこで幸せに暮らすんだ。小夜、君と一緒にいたいんだ。』
そう言って、女の身体中を口付けていく。
女は悦に涙し、精に満たされた腹を撫でた。
男が眠ったあと、女は雪に埋もれた山に向かって言った。
『こんな存在の私でも、ただの一夜でなく
里での幸せを望んでも良いのか。
あなたが許してくれるなら、この私のような
悲しいものにも、ただ、ひと時でもいい、
幸せを味わいたいのです。』
すると、雪が止み山から
『ひと時だ。なぜかは、自分がいちばんわかっているはずだ。変わらないが、少しの変容なら…。』
と、聴こえた言葉に女は雪の中泣いていた。
逃れようのない存在である事と、忘れることを許されない女の真の姿があった。
山の大神に約束し、女は里に降りていった。
しかし、幾夜も精を注がれても女は最初に生みだした証以外には、腹に留まることなく、流れてしまった。

その度に、小さな雪が舞いちるようになった
里はいつしか、季節を忘れた村と呼ばれた。
男は、女と子どもに不足の無い生活をさせた。
すこやかに育った証は、立派な青年になった。
男は、年老いていった。
しかし、精は尽きることなく女に注ぎ続けた。女は老いなかった。
いつまでもあの出会いの時のまま変わらない
姿の女を愛しいと愛した。
立派な青年となった証に女は問うた。
『あの山の雪の夜に現れる女を知っているか』
証は、答えた。
『知りません。母様は、知っているのですか。』
と、問い返した。
『そうか、知らぬのか。いいえ、良いのですよ。母も知りません。大きく立派になりましたね。』
と、愛しそうに証を見つめて言った。
その夜、男に同じ問いをした。
『小夜、君は変わらず美しいままだ。どんな姿の君も愛しい。たとえ、子を成せなくなっていたとしても、愛しいのは変わらない。この心は、あの雪の山で出会った時から、君に渡している。小夜、いなくならないでくれ。あの山のことを知ってから、ずっと君に会いたかったから山に行ったんだ。』
と、男は、女を見つめてまっすぐに言った。
女は、言った。
『やはり、あなたも…。
でも、私もあなたを愛してしまった。どうか、あなたの愛してくれた私を覚えていてください。小夜というこの山の悲しい存在を。』
と、言うと女は山へ向かった。
男に止める術など無かった。
男は失った女を繋ぎとめるように、小夜の事を
書き綴った。
それは、悲しい存在に留めることのない女との、小夜との物語だった。
そうして女は、静かに山に消えていった。
山の大神との約束どおりに。

同時に悲しく恐ろしいとされた雪の山の話は
人々の心にこれまでとは違う思いをつくったようだった。
この山の雪の中では、美しい女に出会えるかもしれない。正直な者には、会えるのかもしれない。と。
ひとの思いは何がしかの存在を生むのかもしれない。
そんな存在がどのような思いを抱えていたとしても。
ならば、優しく愛しい存在でいて欲しいと願うのは、女を小夜と呼び愛しいとする男だけではなく、どのような存在にも言えることに感じられてならない。

思いは、存在を生みだしもする。
存在には意思が宿りもする。
形となって、現れたときまっすぐな心で
いたいと心に刻みながら。




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