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後輩からの手紙

高校生の時に後輩からもらった手紙が見つかったので、久しぶりに読みました。


拝啓
 木枯らしが吹き荒びより一層の寒さを感じる今日この頃、先輩はいかがお過ごしでしょうか。
日頃からぼんやりとした感情のまま世の中を腐している貴方のことだから、どうせ自分が不幸だと勘違いしつつも元気にやっているのでしょう。

 さて、この度私が筆を取ったのは、この間のお返事を書くためであります。率直に言って、先輩の気持ちに答えることはできません。
しかし、今回のこの件に限り、先輩に落ち度は全くないということを最初に断っておきます。

 ひとえに私の不徳の致すところであり、恐らくは生まれたときから決まっていたことなのです。薄っぺらいニヤケ顔に似合わない涙を流す必要は有りません。季節が移り変わるのと同じように当然のことで、誰にも止められないことなのです。
こう言ってはなんですが、先輩にどうこうできるわけがないじゃないですか。この点について、私の心に失望も幻滅もないことは、誰より貴方が知っていることでしょう。

 それでも、やさしいやさしい先輩のことだから、一丁前に落ち込んだりしてくれるのでしょうか。どうか、私のことは忘れていただけると幸いです。私たち2人の思い出は、私だけが賽の河原に持っていきます。

 しかし、今まで「死んだら何も残らない」という信条でありましたが、今際の際ともなると、感傷的な表現で訴えかけるような真似をせずにはいられないものですね。 

 「思い出」というと、特別暑かった去年の夏が思い出されます。暑すぎるあまりお天道様にお腹を向けているセミたちを尻目に、これからの日本情勢について侃々諤々、照りつける日差しに負けずとも劣らない言葉と言葉のデッドヒートを、市立図書館の一角で繰り広げたものです。
すみません。誇張がすぎましたね。
本当は嘘みたいな価格帯のファミレスで嘘みたいな先輩の妄想(麦わら帽子に白ワンピース云々)について、ヘレン・ケラーも冷や水を浴びせるような極めて愚にもつかない議論のカタチをした何かを、互いの飲み物の氷が溶けるまでダラダラと続けたのでした。
 業腹ですが、先輩と過ごした時間は、非常に楽しいものだったと言わざるを得ません。徒に他人を喜ばせる趣味はないのですが、最期だし、どうせなら褒めておきます。

 しかし、人生とは楽しい時間ばかりではなく。禍福とは糾える縄のようで、その動きに一喜一憂しても仕方がないと賢者は語ります。
もし本当にそうであるとしたら、私は私自身を愚者であると定義しましょう。
なぜなら、私は貴方という幸せを最期まで信じきることができないからです。

 私には、幸せになる価値がないのです。先輩から貰ったものに応えることはできません。本当にごめんなさい。この幸せを享受した先に、どんなに酷い仕打ちが待っているのか。そう思うと、明日笑っている自身の姿が想像出来なくなってしまいました。薄志弱行で、到底行先の望みがない。私は、死ぬのに相応しい人間です。

 中には、「その理論だと、酷い仕打ちの後には大きな幸福が待っているのではないか」と思う方もいらっしゃるでしょう。いくら浅慮な先輩でも、少しはそんな考えが頭に浮かぶはずです。
それはまさにその通り。むしろ、そういった禍福の性質によって、私の心は死に向かっていったのです。
複雑に絡み合う幸不幸の巡り合わせは、荒波が岩壁を削っていくように、私の心を襲います。普通なら、波に対して防波堤を築いたり、逆にそれを利用して自らの形を変えたりするのでしょう。しかし、そうするだけの力はもう残っていません。情けないことに私は齢16にして、すっかり気力を失ってしまいました。
中途半端に知恵のある私は、朝三暮四の如く眼前の幸せに目を輝かせることもないのです。
私の自尽の原因は、「気力を欠いた」。これに尽きます。

「後先考えない行動をする」というのは愚者の行動として真っ先に挙げられるものの一つですが、それは違います。真の愚者とは、「愚かな行動だとわかっていながらどうにかすることもせず、その目の前のことにすら熱意を注げない中途半端な知恵者」のことであると、ここにきて思い至りました。
なので、私は愚者なのです。

 自らがどうしようもない愚か者であると悟った人間が、どうして生きていられるでしょうか。むしろ、よく今まで生きてこれたと思います。これは、紛れもなく先輩のおかげですね。先輩がいてくれたから、それ以外の不幸に耐えてこれたのです。そんな貴方に、何か少しでもしてあげられましたか。それすら曖昧な状態で命を落とすことをどうか許してください。先輩がああ言ってくれた時に、私の人生は完成し、そして終わったのです。

 繰り返すようですが、このことに関して、先輩に悪かったところは一つもありません。未来を憂い、どこにもいけなくなった末に起こる、あらかじめ決められていた終わり———即ち、紛れもないアポトーシスと言えます。なので、私のことなどは忘れていただいて構いません。

 最後の何行かは実行に移った後のロスタイム途中に書いてきましたが、段々身体が寒くなってきました。首筋から伝う温かな血が貴方と過ごした日々のように愛おしく、少しの後悔を覚えます。
私はここまでですが、どうかお元気で。今までありがとうございました。
                       敬具







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