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本日。〈Inst.〉

 生きる意味もないが死ぬ意味もない我が人生において、彼女は唯一、俺が意味を付与するに値する人間だった。しかし、そんなものがいつまでも在り続けるはずはなく。風邪っぴきの悪夢のようでいて、その間だけの限定品だった。

 夏の或る日。顔面蒼白も顔負けな快晴の下、彼女はギロチンの刃のように落ちていった。

「またね」

もしかしたら、その台詞すら俺の妄想だったかも知れない。それももはやどうでもいいが。

 彼女と初めて出会ったのは高校に入学したばかりの頃、病的なまでに白い心療内科の待合室で。
 目に入れても痛くないとはこのことだと思った。その瞬間から脳裏に焼き付いて離れなくなった彼女の容姿を反芻し、忘れる前に再開する。そのサイクルは、傲慢にも意味に固執していた俺にとって、自身の存在の証明に他ならなかった。もう声は聞こえないが、言葉だけは今でも覚えている。

「比翼連理って、私たちみたいなことを言うのかな」

「いや、ちょっとポジティブすぎるかも。私たちが一緒に居るのって、ただ一緒に居たいからだもんね。」

 胸が焼け爛れていく気がした。このままだと、確実に賽の河原を共にする。そう思った矢先、彼女は緞帳よりもよっぽど手際よく、俺の眼の前からその艶姿をフェードアウトさせた。こうして無い将来を誓い合った男女の関係は、片側の抜け駆けによって解消されてしまった。

 結果として。俺は傍から見ればまともになった。生きる意味でも死ぬ意味でもあったものを失うことで、“存在意義など必要ない”という生物としての証を取り戻したのである。
 しかし、「治ってよかったね」だとか、「普通の生活に戻れるよ」だとか、俺が普通になったことへの安堵ばかりで、彼女の身を案じる声が一切無かったのは何故だろうか。これでは、彼女が生きてきた意味が———いや、止めよう。それは、もう俺にも彼女にも必要のないものだ。

 原因は、気が狂うような夏の暑さか。失われたレゾンデートルはひっそりと牙を剥き、今でも俺に生を強制している。


そうして俺は、何もかもうまくいかなくなった。

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