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診断名を聞いてホッとする親もいる

わが子に診断名がつけられることは人によって様々な感情が伴われることだと思います。

だからこそ、障害の可能性を伝えるべきかどうか迷う支援者の方々や関係者の方々も多くいらっしゃるでしょう。

私の場合はどうだったか。一言で言うと『ホッとした』です。

1.診断名を聞いてホッとした理由

わが子の0歳児からの様子をこれまで一握りですが記してきました。

私がわが子の対応に困る、悩む、疲れ果てるに必ず伴うものは、『なぜ?』でした。理由がわかれば解決策にたどり着くことができるのに、何が何やらわからずに格闘する日々でした。

そんなある日、主治医から渡された診断名は『広汎性発達障害』でした。その場で簡単に説明をされたのですが、『発達障害』に関する知識が全くなかったので正直さっぱりわかりませんでした。

家に帰ってから改めてインターネットで検索すると、自閉症のうちの一つ、くらいの情報を得ました。

自閉症とは?聞いたことはあるけれど正直ピンときませんでした。さて、どうするか。とりあえずカウンセラーからお薦めの本を紹介していただきました。

そして『自閉っ子、こういう風にできてます!』が私の自閉っ子入門書となりました。

著者:ニキリンコ、藤家寛子、 花風社 2004/11/1出版

2.診断名のその先にあるもの

本を一冊読んで理解納得できるわけではなく、謎は深まるばかり。次から次へと関連する本を読み漁りました。また、発達障害に関連するセミナーや研修会があれば積極的に参加して知識を深めることが手始めに取り掛かれることでした。

そうしているうちに、多くの専門家や当事者、関係者が口をそろえて同じことを話していることも少しずつ見えてきました。併せてわが子の特性といわれる言動の数々が私の自称『発達障害センサー』に引っかかるようになりました。

その頃からやっと今後のわが子への対応策の道筋が見え始めました。

とにかく不安が強い、これはわが子の根底にあるものでした。不安だからやりたくない→やらない(行動制限)、不安だから母以外の人には本心を見せられない→我慢する→パニックの原因となる(感情抑制)、みんなと同じ動きができない→やらない(運動制限)、そんなわが子にどう関わっていくか?自問自答、試行錯誤の毎日でした。

そして何より、いわゆる『こだわり』との折り合いのつけ方が非常に困難でした。こだわりとは、私の言葉で表現すると『他人からすると不要に思えるが、本人にとっては絶対に譲れないなくてはならないもの』という印象です。

こだわりは年齢とともに薄れていくと聞きましたが、確かに成長した今はかなりスムーズに動けることが多くなりました。これは、これまで意図的に多くの経験を重ねてわが子が獲得してきた力のおかげでもあります。こだわりは経験値と反比例するのかもしれません。

3.私が考える診断とは

私にとっての診断は未来への指標でした。私はたまたまわが子に困り感が積りに積もった状態で『診断名』という未来への指標を渡された、という感じでしたので、診断名を聞いてホッとしたのだと思います。

他の親御さんはどうでしょうか?診断が必ずしもメリットがあるわけではないということは優に想像できます。しかし、デメリットだけではないと思います。

診断の前には専門機関につながる必要があります。その前に保護者が子どもの発達障害の可能性に気づく、または気づかされる必要性があります。気づきたい人は自分から動き始める人が多いように思います。しかし周囲の関係者がそこで立ち止まる理由としては、気づいていない人、気づきたくない人にどう接するかだと思います。

今は成長した当事者のわが子に質問してみました。「自分の子どもが発達障害かも?って気づいていない親に障がいの可能性を知らせたほうがいいと思う?それとも黙ってたほうがいいと思う?」

わが子の答えは「知らせたほうがいいと思う」でした。理由を聞くと、もしかしたらその中には密かに悩んでいる人もいるかもしれないから、だそうです。確かに表出、発信が苦手な人もいますよね。私がオープンにしているためか、わが子は自分の発達障害に対して否定的ではありませんでした。

私個人の考えとしては、親のためではなく子どものために知っておいて欲しいと考えています。生活の中で困っていることはないか聞いてみるのもきっかけになるかもしれません。子どもが所属している場所で目立つ行動などをきっかけとして可能性を示すのも手かもしれません。

家族背景も強く影響すると思います。古風な家主がいる環境では『障がい』という言葉に対してアレルギー反応を起こしかねません。もしくは親子で特性を持っている可能性もあるので、客観的な見方が困難な場合もあるかもしれません。

社会の偏見も影響する要因だと思われます。こればかりは理想はあれど正解はないというのが現状ではないでしょうか。

4.私が考えるわが子への障がい告知の時期

私はわが子への障害告知は中学入学に合わせて主治医からしていただきました。なぜその時期を選んだのかというと、関わる生徒数が増えること、学校からの支援を受けるうえで自分が何者かを知っていてほしいこと、思春期に入るため知らない不安で悩んでほしくなかった、というのが大まかな理由です。

主治医に告知をお願いしたとき、抵抗なく引き受けてくださいました。その主治医とは小学校入学からの付き合いでしたので6年間相談や指導を受けてきました。誰よりも信頼できる先生でした。わが子も先生の説明なら聞きやすく、頭に入りやすいとも思えました。

先生はスライドを使用して特性を示しながら、わが子自身が同じように思うことや納得できる部分を自力で気づけるように説明してくださいました。わがこは「わかる!」「そうだ!」と自分と重なる部分が多々ある特性に驚きながらもしっかり聞き入っていました。

診断を告知されてからのわが子は特に変わることもなく、より一層核に近づいた話もできるようになりました。また、精神障害者保健福祉手帳を取得して公共機関で積極的に活用できるようになりました。

現在のわが子に発達障害だと知ってどう思ったか聞いてみると、「べつに、へーそうか」と言うくらいだそうです。もちろん、そう思えるまでに様々なことがあっての結果ですが告知もデメリットばかりではない例の一つです。

告知に至るまでには親子の信頼関係は必須だと思われます。この人ならどんな自分も受け入れてくれるという安心感があると告知後も不安定になりにくいと思われます。また、告知する人も子どもが信頼している大人である必要があると思います。この人の言うことなら信じられる、という気持ちが少しでも前向きに背中を押してくれるかもしれません。

大切なことは、たまたまあなたにはこのような特性があるけれども、あなたは愛される存在であり特性自体が悪いことではない、と信じてもらうことだと思います。親が隠したり、濁したり、恥じたりせずに子どもと向き合っていると、子どもは伝えられた現実を自分の力で自分のものに変えることができる日がいつか来ると信じています。

ここまで読んでくださりありがとうございます。







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