#いい歯のために ということで私なりに考えてみた
私が「歯」と言われて一番に思い出すのは、子供の頃に虫歯が多くて痛くてつらかったことだ。なにせ物心ついて一番最初の記憶が「虫歯が痛くてしくしく泣いていたら(推定3歳)氷を挟んだガーゼハンカチをほっぺたに当ててくるおばあちゃんの顔」なのだから(苦笑)
幼稚園児時代には「わたし銀歯が3本もあるよ!」という友達に対して「私は4本!」と返した記憶もある。当時は虫歯は嬉しくないけど人より多いと思うとちょっと優越感を感じたものだ。それと同時に「どうして私は人より虫歯が多いのだろうか?」「きちんと歯磨きしてるのに…もしかして他の人はもっとたくさん歯磨きしているのかな?」とささやかな劣等感と悩みでもあった。ただ、どうにもならないと諦めてもいた。
虫歯が無視できなくなる存在になって大変だったのは母だ。物事がつくかつかないか、そんな年齢で虫歯治療デビューした私はとても歯医者が嫌いになった。そりゃそうだ。「痛くても嫌なものは嫌」「"後でもっとひどくなる"?知らん!嫌なものは嫌だ!」所詮は痛みに弱く、仮面ライダーのオペ台よろしく寝転がらされて「キュイーーーーン」されたら怖がって逃げたくなる子供である。私は「歯医者に行く」と聞けば逃亡し、捕まれば全力で"嫌"を表現し、歯医者のベットに寝転がらされても必死に抵抗した。つまりは暴れ倒した。母は大好きだがその時だけは手に頬に肩に、噛みついて"嫌"を表現した。いつも後ろ追いかけ回していた兄だが、母の手先となって丸め込もうとしたその時だけは布団に潜って耳を塞いだ。宥めようが叱られようが、嫌なものは嫌だった。
子供なりに本気で逃げ回ったが虫歯の痛みは消えない。そりゃそうだ(二回目)。ずっと「いたい…いたい…」としくしく泣いていた私を見て、大人は頭を抱え兄は鬱陶しがった。兄曰く「どうしようもないことをグチグチ言うな。歯医者行けよ」だった。全くもってその通りだが、今この歳になってみると「なんと思いやりのない発言か!」とも思うし「人の痛みを想像して我がことのように考えられるのはかなり高度なことだ。兄は悪くない」とも思う。そして何より「勝手に虫歯になったんだから私は悪くない」と思っていた私は、自分を悲劇のヒロインとは思っていなかったが家族に迷惑をかけているとも思っていなかった。思い返してみて、なんと幼いことかと自分で自分に呆れている。まぁ実際幼かったのだが…。
初めて歯医者に行った私は本気で抵抗したため「治療できません」と言われ、何もせずに帰ることとなった。そのため母は治療ができる歯医者を探して回った。現代のようにスマホやネットが普及していなかったにも関わらず、母は次々と歯医者を見つけては私を連れて行った。どんなに遠くても時間を作って私を車で連れて行った。ちなみに母は専業主婦が主流であるあの時代にもかかわらず、フルタイムで働いていた(父もフルタイムで働いていた。健康で家庭に協力的であったが転勤で通勤時間が長くなったり大きな仕事が入って激務の時期であったため、娘の歯医者送迎に割く時間がなかった。決して横暴故に母ひとりに押し付けていたのではないと強く主張しておく)。今更だが母には大変な労力をかけてしまったと反省している。なぜなら私の記憶にあるだけで4つは歯医者の受付を覚えている。ということは暴れ倒した私は、3つは歯医者さんをお手上げにしたはずだ。そんな子供の母親となれば、世間はどんな目で母を見ていたのだろうか。お母さん、ごめん。
そんな私に転機が訪れる。そう、4つ目の歯医者だ。結論から言うとこの歯医者で一家念願だった私の虫歯治療が達成されるのだ。どんな伝手で見つけたのかわからないが、そこは今までと違う3つがある歯医者だった。
1つ目は助手のおばちゃんがとんでもない猛者であること、2つ目はオペ台から脱出不可能な固定ベルトがあること、3つ目は口を無理矢理開いた状態をキープできる謎器具があることだ。この当時の私は家族への罪悪感や他の子ができていること(虫歯治療)ができないことがプライドに触れていたこともあり、"ひとまず治療を受けようとする努力"はしていた。つまりオペ台に寝転がって口を開けることはできたが「キュイーーーーン」に耐えられず治療NGになっていたのである。この3つが備わっていた歯医者ではどうやって治療をしたのか、察しの良い方は想像がついたかと思うが私の口からも説明させてほしい。
まずは治療室に呼ばれる。一番奥側だったが、そこまでの道が壁や天井が明るい黄色のラインが入っていたり下手くそなアンパンマンの絵が貼ってあった。計算された景観ではないのは子供でもわかった。それでも何か楽しませてあげようと頑張っている人がいることはわかった。スカスカでカスカスで全く甘味がなくて美味しくないリンゴに蜂蜜をかけたおばあちゃんが近所にいた。遠方からきた孫に美味しいものを食べさせてあげたくて、おばあちゃんが一生懸命用意したけど結局孫はほとんど食べなかったから通りがかった私が食べた。ほぼ蜂蜜だった。たぶん孫からしたら「甘いものが好きって知ってるならそこのスーパーでチョコレートでも買っておいてよ!」的な発想で拒否したんだろうなと思った(これは私見であり偏見です。事実と異なる可能性があります)。でも私はおばあちゃんの一生懸命がとてもいいなと思って「美味しいけどのどが乾くしベタベタするからこんなにたくさんは食べられない」とフォローした(当時4歳)。なんとなくあの時のような下手くそが頑張ってる感がほっこりとして好印象だった。現代みたいな計算され切ったオシャレ空間だったなら私は拒否感を持っていただろう。ひねくれた幼稚園児で申し訳なく思う。だがたまたまながらこちらの歯医者のスタートは良い感じだ。
扉を開けると例の猛者がいた。直感で「ヤバい」と思った。この時のヤバいはもちろん身の危険を感じた「ヤバい」だ。「はい来たわね〜」と言われたかと思ったら有無を言わさず黄色の毛布で簀巻きにされた。そして毛布の上から紐状のベルトでさらにグルグル巻きにされ、オペ台に寝転がらされた上にさらに深緑の毛布をかけられて治療台から出ていた固定ベルトが装着された。扉を開けてからここまで体感で約4秒だ。なんと言う凄腕だろうか。治療台に固定されてようやく状況を理解してギャン泣きしたが時すでに遅し。ギャン泣きしたタイミングで口を開けたまま固定する謎器具その1を放り込まれ、そのタイミングで歯医者さんが入室し、大人二人がかりできちんとした口の開き方をさせられて謎器具その2でしっかり丁寧に口を固定された。もちろん頭も動かないように固定されている。後は通常の治療である。
治療後に解放されたが、私はぐしぐし泣くだけで母には泣きつかなかった。そんな私を見て母は自分から抱っこして真摯に謝ってきた。私は幼いながら母が打つ手がなくなりここの歯医者を頼って連れてきたことを理解していた。母からしてみれば騙し討ち同然で連れてきた娘に罪悪感があったのだろうが、私は全く母を恨んでいなかった。無理矢理治療した歯医者さんも有無を言わさず簀巻きにした猛者も恨んでいなかった。それよりもここまでさせてしまったことが申し訳なくて仕方がなかった。
その日はどうやって過ごしたかはよく覚えていない。兄の話ではしばらくは元気がなかったそうだ。元々元気いっぱいの子供だったから母からは心配されたが、歯の痛みがなくなり大人から褒められ兄から鬱陶しがられなくなった私は少しずつ元気を取り戻したそうだ。そして時間が経つと「他の子と同じようにできた(虫歯治療)」ことが私の中で大きくなっていった事を覚えている。だが虫歯治療は1回では終わらないことを、子供の私はまだ知らなかった…。
私の兄は賢くて面倒見が良く、私の母は誠実な人である。2回目の治療の時に「明日の昼からあの歯医者に行く」とキチンと私に教えてくれたのだ。私は再び元気をなくしてずっと俯いていたが、逃亡はしなかった。仕方のないことだと知っていたからだ。母より先に兄がこっそり教えてくれたからである。例の扉を開けたら猛者が「お、来たね〜」と言ったがすぐには簀巻きにされなかった。「じゃあするよ」と言ってから丁寧に簀巻きにしてきた。私が抵抗しないとわかったからだと思われる。子供と言えどひとりの人間である。有無を言わさず物のように扱われるのは心外だ。だが、今日丁寧に簀巻きにしてきたことで「この人は私をキチンと人として扱ってくれている」と確信した。母の歯医者選びは間違っていなかったのである。
3回目は深緑の毛布がなくなった。4回目は固定ベルトの数が減った。そして帰り際に猛者が待合室までやってきて「もう家の近くの歯医者でも大丈夫だね」と言ってきた。他の人の前で「立派になったね」と褒められたことは、子供心に嬉しかったように覚えている。だがそれから私はこの歯医者に行った記憶はない。
小学生になると再び虫歯に悩まされるようになる。またあの歯医者に行くのかと思ったら、なんと隣の県にある歯医者に行くことになった。母に理由を聞くと「子供の治療が上手な先生がいると教えてもらったから」だそうだ。片道だけでも車で2時間ほどかかっていたと思う(しかも山道)。私が長時間移動しても苦にならない性格だったのも行くことにした理由ではあったと思うが…。噂通り治療が上手な先生だったため、痛みはもちろんのこと恐怖も全くなかった。あの嫌で仕方ない歯医者の日がフルタイムで忙しい母を独占できる貴重な時間となった。
だんだんと歯医者にお世話になる回数も減っていき、今では歯医者に対する苦手意識もほぼなくなっているため、自分で予約して治療に行っている。歯が痛くないということは有り難いことだと、私は身をもって体験しているのである。
ところでどうしてあんなに母は頑張ってくれたのだろうか。情けないことに、この点については長年答えが見つけられなかった。それがわかったのは、自分が親になってからだ。
最近では「歯の点検お願いします」と言えば、今問題がなくても気楽に歯科検診をしてもらえる。親になった私は定期的に子供を歯医者に連れて行っている。理由を説明する必要はないだろう。それにしても子供を連れて行くことはなんら苦ではないのだから不思議だ。その話を母にしたら「親とはそう言うものだ」と言われた。「あなたの時と比べたら楽に決まってるでしょう」みたいなことを言われると思っていた私は、母の言葉に驚いた。そっか、あの時のお母さんはこんな気持ちで私を歯医者に連れて行ってくれていたんだね。そうだとしても片道2時間を「そう言うもの」で片付けるのはどうかと思うよ、お母さん。
さて、私の昔話が長くなったが今回のテーマは「いい歯のために」である。こんな経験をした私なりに考えて、二つやるべき事があると思っている。一つ目は定期検診だ。単純に早く見つけて早く治療するべきだからだ。悪化すると間違いなく痛い。家族もつらい。人生楽しくない。いい事が全くないから面倒くさがらずプロにチェックしてもらってサクッと治そう。二つ目だが、これは私の昔話をもう一つしないといけない。
私の祖父はガンで亡くなったが、10年に渡る闘病生活を過ごした。身内の贔屓目に見ても働き者で人から慕われて頼られる祖父だったと思う。そんな祖父も死期を悟ったのだろう、晩年は徐々に動かなくなっていく身体と共に少しずつ少しずつ現世でやるべき事を粛々と行なっていた。その姿は、やり残しのないように、後悔のないように、残された人が見つからない答えで惑わぬように、丁寧に生きていたように思えた。孫の私達にも「生きてるうちに」と遺品と財産と自分の言葉と思い出を、たくさん渡してくれた。その中に「ちょっと勘弁してくれよ」というものが一つだけあった。
それは祖父の懺悔でもあった。戦争を体験した世代の祖父はいろいろなものを我慢して生きざるを得なかった。その経験のためなのか元々の性質なのかはわからないが、娘である母は自由にさせていたように思えた。「女は家庭を守るべし」が根強かったにも関わらず、生活に困っていたわけでもない母がフルタイムで働けていたのは祖父母の協力と理解があったからだろう。そんな祖父にとって私は末孫だった(ちなみに兄は初孫で跡取りだったが、私とあらゆる意味で平等に接していた祖父母である)。兄が幼い時は祖父母と別居していたため、兄は保育園に通いそのまま幼稚園に通っていた。だが私が産まれてしばらくすると勤務場所のこともあり、祖父母と同居することになったのだ。そのため祖父母は私の保育をすると両親に申し出たそうだ。送迎時間も保育料もかからない、預けるのが祖父母なら安心だということで、私は幼稚園に通うようになるまで家で過ごしていた。「末孫ひとりくらいは、じっくり家で見てあげよう」と思ったらしい。
私は幸せな子供時代を過ごしたと間違いなく言える。ただ一点、虫歯の話になると一生モノの苦い記憶ではあるが…。それは家族みんなが知っていることだ。
祖父の懺悔をまとめるとこうだ。時代の流れとともに物事は変化していくので「常識」や「当たり前」も変化していく。育児もそうだ。離乳食のスプーンは必ず大人と子供は別々にするのが常識だと、最近知った。理由は大人の虫歯菌が子供に移ってしまうからだ。"私"の虫歯は祖父の虫歯が移ったせいだろう。すまなかった。
いやいやいやいや、ちょっと勘弁してよおじいちゃん(あらゆる意味で)。
いい歯のためにやるべき事、二つ目は子供と大人の食器を分けることである。私は徹底的にわけている。そのおかげだと思っているが、今のところ私の子供は虫歯になっていない。今後はわからないが、私が子供の頃よりも圧倒的に虫歯になっていない。やはりソレのせいだよおじいちゃん…。
そういえばネットで叩かれる内容があったかもしれないからこれだけは言っておきたい。これは子供の頃の主観な記憶を基に書いている。そして結果的には私本人も含めて良い結果を得られたと思っており、幸いなことに私も家族も恨みやトラウマといったネガティブな感情を一切持っていない。どうか誰に対しても心無い言葉を浴びせないでほしい。あるいは私の話をダシにして悪意を持ってこの歯医者さんを特定したりしないでほしい。昨今のネットマナーがよく問題になっているが、一般人の私ですら悪い方向に働いた時は尋常じゃなく怖いと思っている。もし私の話を聞いた上で嫌悪したところがあったならば、なるべく上品で重く受け止めようがない言葉を使って悪口を言ってほしい。私自身も豆腐メンタルなのでできたら手加減をした悪口にしてほしい。
最後になりますが、今回このような機会をくださった日本歯科医師会に感謝を申し上げます。「ちょっと書いてみようかな」程度の気持ちで書き始めましたが、思い出していくと想像以上の長文になりました。また自分自身の家族との思い出を振り返る機会にもなり、懐かしい気持ちを思い出しました。ささやかで温かくてどこか愛おしい、そんな執筆時間となりました。ありがとうございました。またの機会がありましたらどうぞよろしくお願いします(*´∀`*)