見出し画像

さて、数ヶ月が経過して…

あの手術から、数ヶ月が経過しました
結局、右耳の聴力は戻ってくる様子は、ないです
退院して1ヶ月は、廃人になったように窓によっかかって、日がな一日ぼうっとしていました
時折、涙を流したりしながら…
涙も、機能している顔の左側からだけ流れてくるのです
右は、涙一つこぼれない、そんな身体になっちまいました

2か月目も、ほとんど同じでした
やっぱり窓によっかかって、背中に日光の光を浴びながら
休職の手続きとかで、会社などには行くのですけれども、やはり意思疎通がうまくいかない、それがひたすら悲しいのです
相手は何か言っているのに、こっちには伝わらないのです
そしてそれは、今も続いています
嫁などが話しかけてきてくれているのに、何か言っているのはわかるのだけど、聞き取れなくて、意味が全く通じない
「今、なんて言ったの?」「ごめん、聞こえないんだ」
こう返事するのが、実に苦しい…

3か月目に入って、ようやく自発的に何かをすることができるようになりました
とりあえず、ゲームをやってみたりして…
これも、休職中の身分で、心苦しいのですけどね…
そして、自分の趣味の動画作成なども若干するようになったりしました
とはいえ、自分の声を聞き取るのも苦しい状態なので、機械音声に実況させて…
機械音声なら、多少のイントネーションの間違いなども許されますし、自分よりもマシな声を出しますから…

それと、散歩に出るようになりました
最初はひたすら歩く…とか、近所のスーパーに出るくらいだったのですが…
最近は、1日1万歩を目標に、ある程度コースというか、方面を決めてうろつくようになりました
2キロばかり離れた鎮守様にお参りに行って、そこからチョイと足を延ばして、適当に散策をして帰ってくる
なんだかんだで、帰ってくる頃には10キロ近く歩いて、3時間近く経っている
それを日課にするようになりました

……というのも、今の仕事に復帰できるか判らないですのでね
復帰できなかった時、体力勝負の仕事しかなかった時、せめて体力だけはつけておこうと思いましてね…

あとは、散歩がてら神社にお参り、つまり、神頼みが始まりましたね
ええ、解ってますよ。それに意味はないのかもしれないというのは…
けど、打てる手で打てるものがあるなら、探しておきたい…
同じ県の「武蔵第六天神社」で、神錐をもらってきたりもしました
いわゆる「錐」で、願いを込めながら耳を突く真似をすると、耳が良くなるという言い伝えがあるのです
他には、サプリメントとかね…
まぁ、そんなに高いものじゃないですが、難聴に聞くと言われている…
そんなの意味がないよ?と言われたら、その通りかもしれません
けど、自分で打てる手を残したまま、投げたくはないのです

嫁も、仕事を始めて、だいぶ安定したようで…
「もし、万が一、あなたがいなくなっても、やっていける自信ができた」そうです。
そういう決断をする…と、思われているみたいですね…
心ではその決断ができていても、怖くて実行には移せないんですけどね
まだ、この先、性能のいい補聴器が見つかるかもしれない…とか、そういう状況ですので、諦めきってはいません
諦めても、イイのかもしれませんがね…

ここから先は、どうなるかはわかりません
この右耳からくる雑音とどこまでお付き合いすればいいのかも、解りません
もしかしたら良くなるかもしれないし、悪くなるかもしれない
現状のまま変わらないで、ずっと続くのかもしれない
毎日「良くなりますように」と祈ってはいますけど…

結局、失った物は、聴力
得たものは、いくらかの経験、いくらかの命
そして、いくらか痩せた体を手に入れた…くらいですか
それと、嫁に変わって料理などをするようになったので、その辺の腕前は上がりました
あとは、これがいつまで続くことやら…
そして、仕事には復帰できるのか…。不安だらけです

今のところは、生きています
なんとなくですけど、生きています…

もし、気が向いたなら…