金言177:様子見

気圧の低い高地では、
仕事の能率が落ち、1日がすぐ終わってしまうそうです。
100Mを歩くのに東京より時間が沢山かかるというように、一事が万事なんでも時間がかかるので、時間あたりの作業効率が悪いということです。だから、1日にできることが少なくなり、あっという間に1日が終わってしまうということです。

年をとると仕事がのろくなるのも、似たようなものでしょう。何も考えずじっとしていることが苦にならなくなります。何か考えようとする間に、どんどん時間が過ぎていきます。相手が動くのを待って、それから対応するというのは若い頃は忍耐が要求され、様子見というのは、日和見のようで我慢ができなかったのですが、経年変化した団塊の世代の多くは様子見が平気になりました。

70年代初期、バリケード周辺(機動隊の指揮官の気分次第で見物人も「全員検挙」に巻き込まれてしまうようなホットスポット)で、60年代のブント系の元リーダーが「疲れたら休めばいい」と若者に言っていました。それを聞いた若者は納得できませんでした。目の前の緊迫した状況で、疲れたから休むというのは敵前逃亡(日和見主義)だと感じました。疲れて苦しい状況で現場から後退するのは個人競技のプレーヤー(格闘技、テニス、水泳、陸上競技など)には馴染まないものです。一方、団体競技(アイスホッケー、バスケットボールなど)では頻繁にプレーヤーが入れ替わります。短時間に結果を出すことを要求される競技では、充電と放電を繰り返し、瞬間的に力を出し切ります。そこで疲れたら休み、体力回復を待って、また戦場に復帰します。まさに疲れたら休むの繰り返しのなかで結果を出していきます。休んでいる間は、仲間がプレー中です。

ところが、個人が100%リスクを負って勝負している場合は、疲れたからといって現場から退いて休むことは負けと勘違いしてしまいます。勘違いと理解できるようになるまでには、時間がかかります。実戦から逃げず、すべてを受け止め、体験し、心身ともに傷を負う中でしか学ぶことができません。頭で考えることよりも経験がモノをいう世界です。

知恵、気力、選択などは、実は体力が基礎になっているということを学ぶにも時間がかかります。免疫力が低下し始めると体がそういうことを教えてくれます。疲れた状態ではいい仕事ができなくなっています。若い人は別でしょうが、「45歳以上の再就職困難者」(三鷹のハローワークで表示されていました)は、疲れていては本来の力が出せません。満を持した短期戦で圧倒的な勝利を手にしないと、持久力で若者(自分より体力のある中高年)に負けてしまいます。疲れたら休めばいいのです。

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