金言280:一身専属の財産

2000年のITバブル崩壊前夜、「第2の創業」を掲げ、社名変更をしたり若手や女子を登用したりしてIPO(株式上場)を実現し、株価=会社の価値とするトレンドが一世風靡しました。その後の新興IT企業バブル崩壊は、ホリエモンや村上の欽チャン(似ている)自らが虚業のビジネスモデルの限界を、官憲に背中を押されながら一般株主にも理解できるような形で明らかにしてくれました。

五木寛之著の「林住期」によると、人生25年を1Qと数え、3Qを「第3の人生=現代人の黄金時代」と位置づけています。この「第3の人生」は、前述IT企業の「第2の創業」の考え方とは異なります。
IT企業では、過去は否定されることが多いです。既存の技術の限界や弱点を、ニューテクノロジーが克服します。既存の技術の延長線上にないニューテクノロジーは、陳腐化した技術とそのエンジニアを否定し、「新しい酒には新しい革袋を」用意することを当然のように宣言します。さらには2Qを経過した従業員は「第2の創業」の担い手ではないというのが、世間の定説として、経営者の経営判断の定石に追加されたようでした。

一方、「第3の人生=黄金期」は過去の否定でもリセットでもシャッフルでもありません。ましてや、1Qそこそこの年少さんたちには無縁の時代です。1Q・2Qと営々と準備され磨きあげられてきた個人の経験と知識・匠の技などが財産となり身を守る武器となります。個人の財産である暗黙知は他人が引継ぎできるようなものではありません。跡継ぎは先代が積み上げた有形の知恵と手法を継承・共有することはできるでしょうが、先代が出会った時と所(知恵の現場)は追体験できません。暗黙知は一代限りです。これを4Q目前の団塊の世代の方々は、一身専属のかけがえのない財産としてそれぞれお持ちなのです。

時は、流れない、積み重なるといいます。今日あるのは昨日までのおかげです。明日は、今日の結果次第です。明日は未知にちがいありませんが、今日まで積み上げた何かしらの延長線上に現れる確率は高いと想像します。
もしそうでなかった場合、株屋さんが後講釈で使う株式チャートの「だまし」ということになります。

いただいたサポートはこれからやってくる未知のウイルス感染対策、首都直下型大地震の有事対策費用に充当します。