【番外】「日本」の中で「英語」

日本人が英語が苦手なのには、案外深い理由がある。ので、苦手で然るべきだと思っている。

どうしても日本人に「英語」を浸透させたいのか、ここ10年くらい国を挙げて「英語教育」に力を入れているのは感じ取っているけれども、「英語が苦手で然るべき」案外深い理由については、あまり検討されないまま、とにかく若い頃から英語に慣れさせろ、で突き進んでいる気もしなくもない。

その成果か、それともインターネットが普及したおかげか、はたまた国際化が進んだためか、最近ではカタカナ語だけではなくて、アルファベットの英語が日本の何事かを表すのにごく普通に使われている。英語が当たり前の日本になりつつある、のかもしれないので、仕方がないとは思うものの、違和感を感じている人は本当にいないものかと訝しんでいる。

例えば、Go To キャンペーン。例えば、Marunouchi Street Park。

日本の政策を、もうカタカナにすらしないのか、と思う。「GO TO」と表した方が、日本人に分かりやすい、伝わりやすい、と、この政策を考えた日本の中枢にいる人々が判断した、というところが、そこはかとなく虚しい。

日本の中心地で行う、「まちづくり」の社会実験の名称がMarunouchi Street Parkか、と少々不思議になる。コンセプトは、Urban Terrace+(アーバンテラスプラス)、Cozy Green Park(コージーグリーンパーク)、Open Air Office(オープンエアオフィス)だそうで、もうカタカナが()なのか、としみじみ思う。「誰」に向けた企画で、どれだけの人に「実感を持って」参加してもらうつもりでつけた名称なのか、かなり不思議になる。

もしかすると、日本語は思う以上に柔軟な言語なのかもしれない。すでに漢字とカタカナとひらがなを使っているのだから、この際もう一つ加えたって問題ナシ!ということかもしれない。

『「国際化」に乗り遅れないために、日本人にもっと「英語」を!』というのは、実はとても短絡的で、本当は大変恐ろしいことだと思っているのだが、もしかすると私のほうが、国際化に乗り遅れて、大変狭い考え方をしているのかもしれない、と思わないこともない。

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