16. 言語と文字 2

音が文字となって実在できるようになり、ヒトの頭の中の疑似現実が、「文書」に変換されて現実に独立したとはいえ、通常は「文字で表現された何か」が現実との結びつきを失った時点で、ヒトの記憶同様に、時とともに忘れ去られ消えていく。現実との結びつきを失わなかったものだけが残るが、そういうものは大抵、口頭伝承としても残っていて、おそらく文字で表されるものも常になんらかのリニューアルがされている。

が、「現実との結びつき」といっても、「ヒトの実生活」の部分ではなく、実生活の一部に過ぎない「ヒトの頭の中」のみと結びついて残っていく、ということが起こる。

ヒトの頭の中の疑似現実を構成するのは、おおまかに、

①現実の認識=実体験
②言語により伝達された事象の認識=知識
③現実の物質世界には存在しないものの想像=空想、妄想
  a)現実に還元できる想像
  b)完全なる空想・ファンタジー・妄想

だと考えているが、例えば神話は、この①〜③全てを跨いで存在するものと思っている。それが文字に落とし込まれて、ヒトの頭の中の疑似現実から独立しても、①との繋がりを失ったものは、いずれ消え去るか、過去の記録となっていく。神話が「伝承」として人々の間に残っている場合は、言語が生み出された土地との交わりを、話者集団が失っていない。

が、人々が、言語が生み出された土地との交わりを失い、神話の中に描かれた実体験を体感できないようになり、神話が①との関わりを欠くようになった後も、「文字の中に表現された実体験」という「知識」を「現実」として認識し続けようとする、というようなことが起こりうる。死語となっていくはずの言葉が、そこに描かれた「概念」のみと繋がって、人々の実生活とは奇妙な解離を見せながら、頭の中のみと繋がって存続していく。

そこに生じてくる自己矛盾のようなものは、解釈という自己暗示で巧妙に解消されていく。その辺りが、頭脳の暴走に繋がっていくようで少々恐ろしい。

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