漫才の宿命『言い訳』(塙宣之)
ヤホーと聞けば、ナイツが頭に浮かびます。ナイツの漫才フォーマットとして、あのスタイルは浸透しています。
著者のナイツ塙さんは、昨年のM-1グランプリで審査員を務めました。
プロローグ著者は語ります。
霜降り明星に「強さ」を感じたと。
決勝戦で塙さんは霜降り明星に投票しています。
ナイツはM-1では優勝していません。それでも、審査員を引き受け、今なお漫才にこだわる塙さんのお笑いに対する思いが綴られた一冊です。
第一章では、漫才をサッカーになぞらえています。関西を南米、大阪をブラジルに例えていました。「漫才とは、上方漫才のことであり、上方漫才とはしゃべり漫才のこと」
第三章では、「ヤホー漫才誕生秘話」や自らのスタイルについて述べられています。
元々、漫才中によく噛んでいたといいます。しかし、野球ネタや相撲ネタでは噛みません。好きなことを話しているときは噛まないということに気づいたようです。人は好きなことを話すとき、夢中になり、熱を帯びます。そこにはもはや「ボケ」が伴います。「アメトーーク」はそれを番組というフォーマットに昇華した好例かもしれません。
第四章では、もしも、といった仮定の話が登場します。もしも、海砂利水魚がM-1に出たら優勝していたというのは興味深いです。
爆笑問題は、時事ネタなので、初出場で優勝しないと難しいなどの考察も面白いところです。
ちなみに、塙さんがお金を払ってでもみたい漫才師も爆笑問題だといいます。
『言い訳』というタイトルが目を惹きます。M-1で優勝できなかったという思いが込められています。
「勝負に勝ち、試合で負ける」
オードリーや南海キャンディーズなどを引き合いに出して、このように評しています。
もっともナイツもスタイルを確立しているという点で同様です。
映画や演劇などと違い、漫才はお客が笑いにきています。そこに感動やお涙は必要ありません。
常に笑いが求められる漫才は究極のお笑いといえそうです。
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