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今、国鉄時代が面白がられている…らしい

しばらくこちらには手を出せていなかったのだが、久々に…。

さて、最近SNSでちょくちょく流れてくるのが、日本国有鉄道…つまり国鉄への興味の話題。しかも、国鉄を推しているのは国鉄時代を経験していない世代なのである。

自分が生まれる前のことだったり、経験できなかったことに対するあこがれが強いこと自体は大変よく理解できる。私にしても、鉄道ピクトリアル2022年3月号で「ディスカバー・ジャパン」の特集が出た時には、1969年生まれの私(ディスカバー・ジャパンは知らない世代)でもわくわくしながら読んだのだから、対象となる時代は違えども、結局は同じことをやっているのである。

その一方、実際のところ、労働問題とか政治的な問題とか考えると、「国鉄ってそんなに良かったか?」という感想が出てくるのも、これまた自然なことなのであり、「国鉄の悪慣行」をいろいろ列記する人が出るのも当然の成り行きなのである。もっとも、いろいろ聞いている「国鉄の悪慣行」も、横浜線と相模線と御殿場線くらいしか日常的に接することがなかった私には、それで面食らった経験がなかったので、「まあでっかい組織だったら当然地域差もあるからねぇ」とは思っている。

余談ながら、だいたい国鉄の「悪」として語られるのが国鉄労働組合(国労)で、国労の悪口を言わない人の方が少ないくらいなのだが、私の場合は知人の中に国労の人(間違いなく優良な乗務員の方)がいたことに加え、地域によっては国労の方がまだまともだったというような話が書かれた本を読んでいたことから、必ずしもそうではないという考えに至っている。

中には「経営方針などのことは趣味で扱うことではない」という意見もあるようだが、違う世界線での鉄道系創作を考えるのだったらその部分もないがしろにはできない。むしろ、調べていくと条件分岐がいろいろあるので、違うほうに分岐した世界線をいろいろ想像するのもまた楽しいのではないか、と。

それはさておき、やはり間違いなく国鉄の方が面白かったと思える要素の1つは車両面であり、車種の豊富さではないかと思う。そりゃまあ、どこに行っても103系、どっちに行っても115系という話はあるのだが、それを考えても電車・気動車・客車・貨車・機関車のいずれもそれなりの形式数があるのは確かである。しかも後天的な改造やマイナーチェンジでのバリエーションもそこそこある。
もっとも、あまりバリエーションが増えるとそれはそれで大変なのも確か。よく言われるのが「労使交渉の回避のために、本来新形式になるものが既存形式の区分番台扱いになった」という話で、たいていネガティブな扱いだったりする。しかしながら、例えば飛行機の世界では機種ごとに資格が必要なのだが、ボーイング737あたりではマイナーチェンジを繰り返しているうちにずいぶん操作が変わり「これを同一機種として運用するのはおかしいのではないか」という問題になったことがあったくらいなので、業務で接する立場からは「あまり車種を増やすな」というのは理解できなくはない。ただ、交渉術の一環とはいえ「明らかに労務環境の改善につながる」ものまで否定するのは、決して擁護できないが。

バリエーションはともかく、居住性は?という話になると非常に口が重くなるのは確か。個人的には「ロックなしの簡易リクライニングシート」は、こんなのだったらまだ転換クロスの方が良いと思ったりしているし、開放型B寝台で6000円以上の追加料金は高すぎたと思う。
もっとも、私の場合、模型ではなぜか両方の条件を満たす14系を寝台車・座席車問わず多く保有している。小学生くらいの時から、ブルートレインで一番好きなのは14系で、その憧れの想いがまだ残っているのだと思う。「憧れの想い」と「実用上の是非」はまた別物なのでございます。書いてて「すごく都合がいいことばかり」なのだが、それが趣味というものですから^^;。

あと国鉄ならではのものとしては、切符関連のルール…なのであるが、これが果たしていろいろな意味で現実に即したものになっているのかというのは難しい問題。この切符関連、特に「自分は切符鉄ではないと」認識していても、やっぱり自分の乗った列車の切符は記念に取っておきたいのが鉄道ファンの一般心理だと思うので、「実際に乗らない」ジャンル以外の人には最も理解されやすいのではないか。鉄道趣味でなくても、旅行で使った切符だったら記念に取っておきたくなるだろうし。
ちなみに、この切符鉄というジャンルがあるため、「ビジネス対応に徹する鉄道に趣味的な要素は皆無」という言説の否定材料になっていたりする。JR東海なんかは1980年代末には「使用済み」スタンプを用意して「領収証代わりに持ち帰る」ということに対応していたし、台湾でも台鐵は同様のことをやっているが、いずれも「ビジネス対応の結果、持ち帰りが容易になった」という切符鉄には喜ばしい話になるので、「皆無」は言い過ぎなのである。

まあ、相変わらずまとまりのない文面であるが、ジャンル限定でも世代の間の話題の溝が少しでも埋まるのであれば、いいことなのではないかしら?というのが結論かなぁ。



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