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どうしてふたりなの?について考えてみた。

この間、近所のちいさなかわいい子に
「なんでミルメルモさんのおうちにはあかちゃんいないの?こどもはふたりだけなの?」と訊かれた。きらきらした目に、無垢な純粋な疑問に、お〜そうだなぁ、、と考えてしまった。

私は子供をこの人生で産んでみたいと思っていて、育てるという肝のことは考えずに(今思えば若いですが、独身時代って謎のヴェールにつつまれたように子育てのことが見えないんですよね)結婚して出産し、まわりの「やっぱり兄弟はいたほうが〜」という周りの声と、産むなら早く産んでしまいたいという気持ちから、二人を産みました。これは排卵が安定せず、20歳くらいから産婦人科に通い、子供が欲しければはやくなさいと院長先生からも言われ、不妊治療を覚悟していた私にとってはとてもラッキーなことでした。

そして産んでみて、びっくりしたのは、出産までも凄まじく大変なのに、それを上回る大変さが生涯続くということでした。その大変さは刻々と変化し、慣れるということを知りません。

そしてこれは私個人のことですが、自律神経失調症になったこともあり、感覚過敏や他者と暮らすというのが根本から向いていない自分にとって、一人の時間が皆無になったり、眠れなかったり、常に鳴き声や叫び声を聞きながらのマルチタスクは、「世の中の保育者全員すごい、まじ、人間って支えられて生きてきたんだね」「太々しいおじさんも昔は赤ん坊の頃があったんか」など発見の連続とともに耐え難いこともたくさんありました。

子供が可愛い、けれどしんどい、ほんとそのシーソーを行ったり来たりして、いつもうっすら「辛い」があるのは、産んでみて、育ててみなきゃわからなかった。

赤ん坊自体も、産んだら可愛い、お母さんはすぐにお世話できるなんて、どこの世界昔話の中の魔法の国の話ですか?くらいなもんなのです。

そしてパートナーが魅力的かのみならず、どれだけ子育てに協力的か、というかこちらの意思を汲んでくれるか、コミュニケーションを取れるか、というのがないと、とてもとても三人目、とはならないな〜 そして妊娠出産子育てを二回してもなお、この人との子供が欲しい!と思える関係性ってどれだけ幸運なことなのだろう(本人の育児へのハードルや環境にもよりますし、体のこともあるので、ほんとうに幸運としか言いようがないと思う)

と、ばーっと考えて、
「〇〇ちゃんは三兄弟だよね、それってとってもラッキーなことで、〇〇ちゃんの妹ちゃんに会えているだけで十分な気持ちだし、わたしはもう二人でいいかなっておもったんだよ〜」

と軽い答えになってしまった。でもほんと、自分の子で三人目がいたらそりゃ可愛かろうとも思うのだけれど、やっぱりそれを今の環境で頑張る気持ちにはなれない、わたしは近くにいる赤ちゃんを愛でさせてもらって、幸せだし優しくなれるしちょうどいい。というところで、自分の器ちっちゃ!!みたいなものを再認識したのでした。


ふたりを生かすことと、しあわせにすることですでに私の器は満タンなのだ。

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