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新海誠のエコゾフィー ;コロナウィルスと新ビジュアル公開に寄せて
新海のケーレ(転回)
新海誠監督作品に対する形容
SF?
ファンタジー?
セカイ系?
いろいろな分析があるだろう。
だがそのどれもがもっと表面的な事実を忘れていると思う・
新海監督は愚直な自然を描いていたのではないか。
これはずっと変わらない。
『ほしのこえ』から『天気の子』まで、新海作品にとって自然は大きなファクターだ。
だが、新海監督の作風が一貫しているかといえばそうではないだろう。
初期作品と、特に最近二作には大きな転回がある(初期作品の悲壮的なエンディングは、近作からは想像出来ないほどのものだ)。
そしてそれは新海監督がメジャー作家になったということからも明らかだ。
そういった点からも、『君の名は。』を一つの転機とする声がある。
それは一つの事実だろう。
だが自然という側面から考えると、決定的な転回は『言の葉の庭』にあった。
この作品から、舞台が都市に変わっていく。
なおかつ、都市が自然化させられている。
この〈都市の自然化〉は非常に奇妙と言っていい。
舞台は新宿御苑だけれど、あんなに自然ではない(笑)
こうした極度な〈都市の自然化〉は『星を追う子ども』以前にはなかった。
千駄ヶ谷、新宿
あんなに綺麗な東京はどこにも存在しない!
何がこの転換を促したのかは明らかだ。
本人も述べているように、3.11だ。
――震災のことは最初から念頭にありましたか?
この企画書の中で、すでに周期性の災害をもたらすものとして彗星を出しています。そして、地震も周期性の強い現象です。2011年以降、日本人の多くは「僕らは周期的に揺れる地面の上に住んでいる」ということを思い出したはずです。本作は「震災をモチーフにした映画を作ろう」という考えではありませんでしたが、2011年以降に発想した物語として、人が住んでいる場所に周期的に何かをもたらしてしまうものを物語に入れ込もうというのは、自然な成り行きだったのだと思います。
――自然な発想として、災害の後に生を掴む話になっていったということですね。
そうですね。もうそこは本当に感覚的なものでした。なかなかうまく言語化できないんですが、2014年の時点で「これから作る物語はこういうものだ」という強い感覚がありました。内容の迷いはなかったんです。細かなディテールはそこから1年かけて、迷って迷って組み立てていきました。でも根本のプロットは、最初に発想した企画書から変わってないですね。
「【3.11】『君の名は。』新海誠監督が語る 「2011年以前とは、みんなが求めるものが変わってきた」(https://www.huffingtonpost.jp/2016/12/20/makoto-shinkai_n_13739354.html)
これは決定的なインタビューだ。
彼の作風の転換は、社会や人々の感じ方の変化以前に、だいいちに自然災害という変化によって促されたものだったのだ!
それは新海監督にとって、つねに自然との関わり合いが重要な位置を占めていたことを暗示しているのではないか。
『言の葉の庭』、あるいは『君の名は。』がこうした自然との関わり合いから論じられることはあまりない。
議論はもっと感性的な側面に行きがちだ(例えばセカイ系の終焉論)。
もちろん新海監督の転回が精神的な側面を持つことを否定しない。
だからといって、自然との関わりあいが付随的なものにはならない!
「感性的なものの側面を自然が表現している」というのはありきたりな分析だ。
ここまで見てきたように、新海作品には必ず自然が出てくる。
むしろこう言うべきではないか。
自然こそが問題であり、感性的なものも自然の表現である
新海作品は、自然との関わり合い、あるいは自然環境問題として読解されるべきではないか。
新ビジュアル公開について
すこしでも明るい未来を、という気分で描きました。お手に取っていただければ嬉しいです。ラフ画はこんなかんじでした。 https://t.co/hr0S562pHG pic.twitter.com/vHvXa2dMXv
— 新海誠 (@shinkaimakoto) March 3, 2020
そうすれば、先日の新ビジュアル公開も納得できる。
徹底して物語を宙吊りにする新海監督が、あんな風な愚直な〈その後〉を描いてしまうことは一部に衝撃を与えた。
同時に、新海監督の決定的な転回を証拠づけてもいる。
本人のTwitterからもわかるように、これにはコロナウィルスという自然災害が明らかに影響を及ぼしている。
やはり新海作品の転回には、自然災害が大きな役割を果たしている。
新海監督が〈その後〉を描き出したこと。
これ自体が何か自然環境問題の裏面なのだ。
今後は不定期に自然という側面から新海作品を批評してみたいと思う。
予告しておくと、フランスの思想家フェリックス・ガタリの〈エコゾフィー〉概念がそれの大きな後押しになるだろう。
ガタリは、精神や社会を論じるのと同時に、環境を論じなければならないし、それらは相互に組み合って〈エコゾフィー〉を構成すると考えた。
自然を前景化する新海作品は、そうした環境的側面からのアプローチにこれ以上なく適格だろう。
このアプローチによって新海監督が真に描こうとしているものが明らかになるに違いない。
(画像引用元は以下の通りです。)
1枚目 上記Twitter
2-4枚目「「君の名は。」はどうやって生まれた? 新海誠展 ―「ほしのこえ」から「君の名は。」まで―」http://girlsartalk.com/feature/28874.html
5枚目「『君の名は。』新海誠インタビュー前編 「エンタメど真ん中」を志した理由とは」https://kai-you.net/article/32700
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