No.2「粒」(2020/11/23)
「で、どれにする?」
おそらく人間でいうところの親密感を出しながら、“それ”は迫ってきた。
エスカレーターで上り切った3階のTシャツ屋で、僕は迷っている。
その店には色とりどりのTシャツが犇き合うように飾られており、なんなら店外に膨らんで蠢いていた。モノクロームの僕には敷居が高いような、むしろ拒絶されているような気がして、いつもは横目で羨みつつ通り過ぎるだけだった。
しかし今日は、気づくと入店していた。エスカレーターが店内直通になっていたのだ。
初めての店内は、思った以上にTシャツがみっしり掛けられていた。Tシャツは柔らかく膨らんでいて、めいめいが不規則に揺れていた。色酔いしそうになりながら見ていると、実は不規則ではなくポリリズムではないかと思われた。そして不規則の倍数が一致した瞬間、それらは繊毛運動のように僕を店内へと送り込んだ。
色の蠕動に身を委ねていると、突如ぽっかりとスペースが空いた。床面は黒い砂浜で、そこから大量の細かい粒が浮かび上がった。
粒はしかし砂ではなく、なにか茫としたものだった。粒はひとつひとつが変色しながら明滅し、人型を形成した。
「ここのTシャツはね」
表面に色を走らせながら“それ”は続けた。
「宇宙が変わるよ」
粒がチチッと小さく光る。
「それは色と」
店内のTシャツが色相環を作り、僕らを囲んで回る。
「柄による」
粒は細かい光になって散らばり、Tシャツに映像を投影する。
「で、どれにする?」
人型を残した“それ”に迫られ、僕の心は色めき立つ。
宇宙は変えたい。いっそのこと明るい色×楽しい柄を着て、違う宇宙で生きてみたい。ただ、
「変わったあとの宇宙にこの店はありますか」
「……」
“それ”は何も答えず、床面に潜ろうとした。僕はすぐさま粒のひとつを摘み、引っ張った。
引っ張っていくうちに、それは毛糸になった。僕はそれを編み上げ、サマーニットを拵えた。袖口がチチッと小さく光った。
このTシャツ屋は間違いなく中野ブロードウェイのお店だろう。Tシャツがニットになったのは、寝室が寒くなったからだろうか。