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偽の完璧が苦しい理由

豐策|ほうさく@arigatou_1188の固定記事:言霊「ありがとう」という
無料の万能薬「響き・周波数」が皆様のおかげ様で400リポスト頂けて喜ばしく思います。

これも🌈「ARIGATO💕」というポジティブな「言葉の偉大さ✨」あると思います。
 
自営業しながらの投稿でしたが、仕事を後回しにしてでも「書け!」という僕の心の声を優先致しましたので、初挑戦ながら渾身を尽くして、先週は次の「心の声」と向き合うのに間を頂きました。
 
そして「ありがとう」の効果として「心の在り方」によって現象を起こすまでの距離(時間)が変わることについて前半・中間・後半と9日間にて書いてみようと決意しました。
 

前半は「目に見える現象」を書いてみます。
1️⃣法律やルールに「執着」しているから
2️⃣「なければならぬ」呪縛
3️⃣「突っ込まれたくない」呪縛
 
中間は「目に見えない構造」を書いてみます。
① 法律という外側と英知という内側
② 法律という物理主義と尊厳主義
③ 物理的答えとインスピレーション
 
後半は「より良い立ち位置」を書いてみます。
① そのままで尊い
② 魂(言葉)の転換「許す」
③ 批評しない
 
それでは、前置きが長くなりましたが
1️⃣法律やルールに「執着」しているからについてです。
 
「無限の自由」「解脱」の反対は「縛り(しばり)」とか「凝り(こだわり)」とか執着
 
僕は過去の体験を成功例として執着しておりました。
✅こうすれば売れる型式
✅しかし、それは一人称でしたので再現性不足
✅結果的に執着を手放せなかった自分に「ごめんなさい」できた。
 
【法律という己の外に捉われずに己の内(他人の心の内)を観る】
 
言葉とは、人間の智恵才覚のような小さなものでは、ありません。
宇宙に満つる無限の英知、われわれが宇宙の心を開いた程度によって、宇宙の英知が無限大に、われわれへ流れ入ってくる。これがインスピレーションでありバイブレーション波動かも?
 
わがまま心が無くなれば無くなるほど、私利私欲が無くなれば無くなるほどに、宇宙の英知はわれわれの内部にまっしぐらに流入して来て、われわれの導きとなってくれる。
 
天地に満つる大きな清浄(せいじょう)な空気を得られるのに、何故われわれは狭い室内から空気を吸おうとするのでしょうか?
 
われわれは、大自然を信頼しなければなりません。
 
こうなると、われわれは、「小知(しょうち)・法律」の奴隷ではなく、学問や権威の奴隷でなく。
無限の英知を内に包蔵し、その内なる導きに導かれる。
英知というのは、常に内にある。
どんなに外のものを信じようとも、外のものからは英知は湧いて来ない。
われわれには、その内奥(ないおう)の深い処に中心がある。
その中心に無限の言葉が宿る。
その言葉を発掘すること、それを、われわれは英知を汲み出すと言うのである。」
 
如何ですか?

法律やルールという相手の言葉を善かれと掴んで、選び、生きていて「そのルール」で誰かを裁いたり、批評したりしている番組を観て「こういうことをしたら」こう裁かれると「恐怖心」も同時に掴んでおりませんか?
 
※答え合わせは、しておりませんので「法律やルール」が正義という選択肢を僕は否定をしておりませんことを、御承知おきください。
 
コトダマ的に「裁き」を疑似体験できるのは映画「レ・ミゼラブル」です。
若い方で観てない方はブログ・電子書籍・ネット配信にて、視聴されることをお勧め致します。
 
僕が40歳の時に観て、今52歳ですから30歳で観たら35歳くらいで伸びしろが顕れるかもしれません(笑)
 

2️⃣「なければならぬ」呪縛について
 
僕は労働生産性の信者でしたから、他人より効率良く働き、他人より多く働いて、他人の2倍速、3倍速で駆け抜けよう!とサラリーマンから独立しても・・・その意識がやみませんでした。
 
その「こうでなければならない」という執着が成果として現実的にあらわれているならば?
「他人より効率良く働き、他人より多く働いて、他人の2倍速、3倍速で駆け抜けよう!」という「他人の心のペースを無視して」置き去りにしている呪縛でした(汗・・・)
 
つまり、その盲目的な僕の「心の声」は・・・
「こうしたら早くできるのに」「わからない人に教える時間がもったいない」「自分でやってしまえ」のループでしたから、労働生産性と逆行し、仕事に取り組む拘束時間を延ばして「自己疲弊・消耗・自己完結」するわけですから一人称の世界なのです。お客様がいてくれたから、なんとか二人称でしたから成果物としても報酬を頂戴できたのですが・・・・(笑)
バカだなあと自分でもあきれ返ります!
 

✅「批評というのは、斬る念」夫婦編


お互いに、違う働きがあることが有り難いのであって、それを一つの型に、はめようと思うから争いになる。
 
有り難いことで在ると感謝できるようになれば、両人の性格や働きが反対でありながら調和したものになる。
 
「予想することは出て来るといいますから、そんな悪いことを予想すれば出て来ますよ」
「奥様がジッと、御主人の心を包んであげるというようなところがあれば自然に酒は止まると思いますね」
奥様にあまり鋭いところがあって、常に御主人に批評の念を送っていられる。
批評というのは、斬る念でありますから、それを防ぐために、御主人が自分を酒で酔わせて、ごまかして眠らなければならないのは、「心の法則」でそうなる。
 
社会現象として「コメンテーター」として批評する意識がテレビを通して僕らの「他人を裁く」言葉や思考を毎日、テレビやニュースにつかまっていると「知らず知らずの」うちに批評という定規にて他人を計測して「正しい」「間違っている」と分別(斬る念)をしていることになります。
 
ですから「なければならない」とは、あなた様の一人称ですから「相手不在」ということになります。
偽の「完璧が苦しい」のは「そもそも相手は貴方に完璧を求めていない」ということですから「相手の立ち位置や尊厳を見つめ、そして、どうしたいのか?」もしかしたら?それ以前に、そんな貴方に相手も関心すら無かったりするかもしれません。
 
あー「自分で書いていても」ぞっとしてきました(;^_^A

✅「突っ込まれたくない」呪縛


 【昨日のおさらい】呪縛
「なければならぬ」を捨てよ!心の凝り・・・・こうでなければ?ならぬ!という凝りが心の中に、ありますために、その「なければならぬ」という自分で作った法則に自縛(じばく)している
 
僕は「一人称の生産性を追求した」呪縛として他人から「突っ込まれたくない」という意識が存在しておりました。
 
前の日に「一日のやることリスト」を欲張って一行でも多く書くものですから・・・30分単位で「リストを消化」しようとしていると「セールス電話」「飛込み客」「仲間からの電話」などがあると・・・「次にやらなければならないのに・・・邪魔だな・・・」と心がつぶやきます。
 
その延長線上に✅「突っ込まれたくない」呪縛が存在していました。
僕の意識は目標を達成するための「一人称の生産性を追求した」「一日のやることリスト」でしたから・・・時間が押すと「従業員」や「仲間」からの質問に対しても「今、忙しいのに」という思いがあるから、今は声をかけないでねオーラで「自分の殻」を形成していました。
 
ですから「自分で決めた目標を達成するために」「一人称の生産性を追求した」「一日のやることリスト」優先意識ですと「目の前にいる人」の存在があるのに「目を向けていませんので」相手不存在ですから、結果的に「その呪縛によって」毎日やればやるだけ「相手不存在の時間が経過し」「自己疲弊」していきました。
 
つまり「突っ込まれたくない」とは「殻」ですね(笑)
 
【そんな自分への戒め】
「上手に伝えるより、そのままの方が響く」
自分は、まだ他人に話すだけの力が無いと思わずに、それが種となって相手が救われる。人は種さえ播き(まき)さえすれば良い。教えの種は、言葉が人の心の中に吹き込むから、思い出すままに語れば、それで相手が救われる。
 
つまり「時間制限」の殻を設けるから、思い出すままに話す人の話を聞いていると「イライラ」したり「なんで人の時間を泥棒するの?」と相手を裁いている結果として「自分を裁いていた」それは「運は(ラッキーは)」人が連れて運んで来てくれる」のに自らが時間制限が大切で相手の言葉(心)を満たせないことが「己の言葉(心)も満たせなかった」ということになります。
 
参考【運を運んで来てくれる】方々を見つめる姿勢として
「そのままで尊い」※天上天下唯我独尊(てんじょうてんげゆいがどくそん)
 
「唯我独尊」とは「唯だ、我、独(ひとり)として尊し」との意味であり、それは自分に何かを付与し追加して尊しとするのではない。
他と比べて自分のほうが尊いということでもない。
天上天下にただ一人の、誰とも代わることのできない人間として、しかも何一つ加える必要もなく、このいのちのままに尊いということの発見です。
 
如何でしたか?

今日も「ありがとうね」💕どうかしたの?ありのままで話せた人は、わたしのありのままを聞いてもらえて心が満たされます。「へーそうなんだね」と聞いてあげるだけで良いのです。「本当はこう思う」とか「それは違う」と選別しなくて良いのです。するとその純粋さが「ラッキー」を運んで来てくれます。
もちろん、法律やニュースにあなたの思考が縛られていない純粋さで・・・
 

✅「目に見えない構造」


① 法律という自分の外側と英知という内側を書いてみます。
 
【おさらい】
「突っ込まれたくない」の素は「生産性」主義による殻(呪縛)でした。
 
✅「法律という自分の外側と英知という内側」
決まり事に執着すると毒素が出てくる。
 
彼達の頭脳は、心配がつくった疲労物質で麻痺されているので、自由な伸び伸びとした活動を、成すことができない。
 
もし、われわれの血液のうちに恐怖・憂慮・取り越し苦労から生じた毒素が多分に盛られているならば、栄養素のかわりに毒素を供給されているのである。
 
魂(言葉)の転換
 
「言葉の創造力を信ぜよ」
「自己を限るな小さくするな」
下座の生活とは常に自分を偉しとせずに、わたしが悪かった」と告白する。
 
この「わたしが悪かった」と下手にでる言葉が人生の争いをやわらげ、暗い人生を明るくし、つぶれかけた会社を復活し、こぐらかえっていた家庭をほぐしてしまう。
 
僕は、若いころ「法律」は人を護る決まり事であると掴んで「法律」を盾に学び資格を取得しましたので、そこに「人が不在で商品(物)ありき」ということを、この年になってきがついた次第です。
 
20年前から「コンプライアンス?」企業などが、法令や規則をよく守ること。法令遵守。となり余計に魂(こころ)よりも法律(物質)優先の旗を振るものですから中小企業潰し・・・だったかもしれませんね(笑)
 
一従業員として働けば「消費者」と「会社」の間に立ちますから「法律(物・無機質)」の檻に挟まれておりますので「クールに割り切れないこと」が多くあると思います。
 
これをできない者を「適応障害」(てきおうしょうがい)とは、はっきりと確認できるストレス因子により、著しい苦痛や機能の障害が生じており、そのストレス因子が除去されれば症状が消失する特徴を持つ精神障害である。
とされて現場から外されたり、引きこもったり、特に学識が高い暗記教育や頑なに「ルール」を尊守する方は臨機応変をできなく「固まって」しまい「身動きがとれない」「行動できない」方々をみかけております。
 
あらかた、親が厳格であったり、高い学費を払って身に着けた学費などの奴隷となっていなければ良いのですが・・・
 
ですから「決まり事は物質」でありますから「たましい・言葉」がこれから顕れる未来を形成している心(思念)がこれからの「調和」自分を生かすから他人も活かすのではないのでしょうか?
 
🆕偽の「完璧が苦しい理由」とは「法律やルール」を盲信した結果であることが少しは見えてきましたね・・・
 
 
 

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