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117. 進む作業と戸惑う不調

なんだかんだ前回更新から約2ヶ月経過、時の速さは恐ろしい。

この間、クマ夫は実家の祖父母介護に出かけ、私は大工仕事や畑にせいを出す。

一月後半に作った「庭用流し台」で火がついた私の大工仕事。新しく見つけた材木屋さんで手に入れた端材、リサイクル素材がなかなか良くて次から次へと作りたくなってくる。

まずはランドリールームの物置棚。

ランドリールームには昔ながらの「手で洗う洗濯スペース」をどうしてもクマ夫が作りたいというので、その場所を確保しつつ物置棚を設置したい。まずは手近にある材料でどれぐらいのサイズが作れるか。曲がったり反ったり、木目に割れが入っていたりするものは使えない。これが端材の悲しいところ。

 また、将来洗濯機を買い換えるときに少し大きなものになってもいいように、スペースには余裕を持っておく。大人になるとこういう配慮もできるようになるのね。

こういう風におきたい


 120cm x 120cm x 60cm それぞれの床面に当たる部分はパレット用の松材に少しやすりをかけ、乗せる箱などの滑りがいいようにする。


反ったりしてるけど仕方ない

 この期間の作業中はいつも、スピーカーで爆音にして「にち10(安住紳一郎さんの日曜天国)」を聞いていた。昨年末の私の作業場(竹刺しブロックのところ)作成の時に何かのきっかけで聞くようになり、安住さんと中澤さんの豊富な語彙のラリーに完全にやられてしまったのだ。誰も傷つけない、誰のことも揶揄しない。もちろん、リスナーさんからのメッセージなんてもう「日本人てこんなに面白い人たちだったのか」と感服至極。私の日本語力維持のために、ほぼ毎日、聞いている。もっともっと初期のバックナンバーも聞きたい!

 さて。ランドリールームの棚はペンキ塗りも込みで三日ほどで作り終わってしまった。自分でもあっという間に作ってしまった感があり、ちょっと拍子抜け。


でけた〜

となると、同じスタイルの50%大きくした感じのだってできるはず。

またまた材木屋さんに買い出しに。

今度はリサイクルされた合板、がっしりとした足になる角材を中心に買ってきた。師匠などなしに何度かやっていると、何を作るにはどんな形の素材がやりやすく、丈夫なのか、というのがわかってくる。死にゃしないんだから、まずはやってみなよ、っていう感じよね。


さて、お次はバスルームに置く棚。

床面はあえて一部分開放にして、ここには将来的に猫トイレを並べておくようにしたい。掃除を簡単にするためにも渡し木はしないでおく。

この家を自分たちでデザインしたとき、かなり熟考したにもかかわらず物置部屋を作ることをすっかり忘れていた。日用品やレジャーグッズなど普段使わないものをしまっておく、アメリカだったらガレージのようなスペースをすっかり忘れていた。

このバスルームの棚は、それの代わりに少しはなってくれるかなぁ、というもの。丈夫な方がいい。なので自ずと足となる角材は7cm角と太く重くなる。なので今まで作業場所として使ってきた屋根のある外の通路ではなく、もう思い切ってこのバスルームだけで作ってしまえ、ということに。どうせ、今この場所を使うのは私だけだし。

ここも涼しくて良かったんだけどね

丸鋸、電鋸、ドリル、作業台、全部持ち込んで、またここで「にち10」聴きながら。

ここを作業場とする!




  丈夫に重いものも乗せられるように、各段には組み木にした縦板横板を渡す。こんなの初めて作ったわよ。こういう時に算数って重要なのね。私、算数は小4で諦めたのよね。でも、あきらめたらそこで試合終了。誰も手伝ってくれない。なので落ち着いて採寸、計算したわ。ノミで彫って微調整して、場所にあてがってまた微調整して。


ピシ〜!!とできたよ!

 大工作業も連続三つ目となると慣れたもんで、サクサク進められる。もちろん大きいので難儀な部分もあったけど、それでも意外にも順調に進む。ペンキだってここで塗っちゃう。

これも四日ほどで完成。

ババーン!!

 なかなか頑丈な出来で大満足。


 さて、時計を戻して一月。

 乾季の真ん中。からっからな日々。刈り取った雑草や雑草や雑草や雑草を山にしておいたので、焼いて灰を畑の土に混ぜましょう。

 と、燃やしている間に風向きでなんと、いちごタワーの半分を焼いてしまった。その隣のレモンの木も1/3焼けてしまった。なんという失態。ごめんねごめんね言いながら、肥料と水を欠かさず上げていく。

こっち側焼けてしまった。。。
レモンも無惨な色。。


 植物というのは手をかければそれにちゃんと答えてくれる、とどこかで読んだ記憶が。その通りなのか。3月に入ってからいちごがすずなりになり始め、葉っぱもすごい勢いで生い茂ってきた。いちごの花は、一つ一つの実を確実により大きくするために摘花する。かわいい花なんだけどもうすでに身になりつつあるものがあったら摘花した方がいい。ごめんね、と言いながら毎朝見回って、花を摘んでいた。その甲斐あってか、大した肥料あげていないのに今年のいちごは今までの小指の爪サイズではなく親指サイズにまでなってくれている。ありがたい。一度焼けてしまった部分も根っこは大丈夫だったのでバンバン伸びてくる。

みよ!この復活ぶりを!


こっちも〜!
わーーい!!

 レモンも、焼けてしまった部分の近くから新しい葉っぱをモリモリ出してくれている。ありがとう。

 調子が良かったのもここまで。

 クマ夫が帰ってきた翌日朝。急に悪寒が走り、昼前には「やばいやばい」と感じて発熱、あっという間に具合が悪くなってしまった。クマ夫に頼んでCovidの簡易検査キットやら電解水やらなんやら買いに行ってもらう。もうこの時点で私はベッドの住人。世界中がCovidの猛威にやられていた2020年から約3年、この田舎のほぼ自主隔離的な場所で頑張ってきたが、ついに感染してしまった。ルートも大体わかるが、そんなこともうどうでもいい。

猫にも感染の恐れがあるらしいので、ドアの下にある「猫ドア」も封鎖。主寝室とバスルームだけが私の居場所となる。体調的にはそんなにひどくならず、熱も最大38.4℃。それよりも、咳をするたびに日頃怠けているせいなのか腹筋が痛くなる。これが辛い。ベッドに5日。この間、Netflix見まくってそれはそれで楽しむ。

私から三日遅れて、クマ夫も症状が出始めた。最初の三日、彼は嗅覚と味覚を失う。チョコレートを食べても「ろうそく食べてるみたい」だし、ハムサンド作っても「モソモソしてるだけ」だし。食いしん坊の彼にとってこれ以上ない仕打ちだ。でも熱も出ないし咳もほとんどしていない。味覚なども三日目夜には戻ってきたとか。

 私が3回目の簡易テストでようやく陰性になった、と思ったら、なんとその三日後に坐骨神経痛を発症。日曜日の朝、大したことしてない(スコップで落ち葉をかき集めてただけ)のになぜ!夜になると猛烈な痛みで歩けない。一歩踏み出すごとに呻き声というかもう叫ぶしかない。でもトイレに行かないと。人生で一番の痛みを次の数日間経験することになる。寝ていても痛くて眠れず、ベスポジを探すのに痛みでうめきながらああでも内向でもないやってる。もぞもぞ。誰かが私の足に太い杭をガンガン打ち込んでいる。2時間とまとめて眠れない。痛みどめにイブプロフェン飲んでも全然効かない。回復の兆しもないので、セラピーの予約をして、クマ夫に運転してもらっていく。後部座席を全て倒し、枕をおいて掛け布団にくるまって横たわっていくしかない。座ってなんていられない。セラピーではまあどこでも同じだろうけど、温熱療法して電気かけてマッサージして終了。かなり軽くなる。

が、夜にはまた痛みが戻ってくる。クマ夫に買ってきてもらったCostcoの痛みどめがかなり効いて、少し眠れるようになった。

今書いている今日で8日目。痛みは初日の激痛の5%ほどになった。だけどまだ今まで通りに歩くことはできないし、ちょっとまだ怖い。いつまたあの杭打ちが戻ってくるかと思うと、怖くて無理したくない。恐る恐る、休み休み、やっている。

畑にはCovidにかかる直前に蒔いたトマトやキュウリが芽を出して伸び始めている。水やりすらできずにもどかしく、クマ夫にくちやかましくあっちだこっちだ言ってやってもらう。というか、それ、私毎日やってるんで!とわかってもらうのにちょうど良かったのかもしれない。


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